2006年4月30日日曜日

新緑の丹沢




神山復生病院を辞してから、丹沢へ向った。
まだ少し時間があるので、もう一山登ろうということになった。
許される時間は3時間。

新茅の沢

つつじがちらほら咲き始め、ふもとの林道は新緑のトンネルになっていた。

神山復生病院





数年前のミサで小林神父が、神山復生病院のことを語ったことがある。 説教の最後に神山復生病院の信徒が旧御聖堂で歌った「神のはからいは限りなく」の録音がマイクを通して流された。その時、西千葉教会の御聖堂は水を打ったように静まりかえり、皆が深く、ただ、ただ泣いた。 誰もが涙の流れるのにまかせた。
さらに今年帰天された五井教会の岩崎神父が、昨年西千葉教会のミサへ来られたことがあって井深八重の生涯を教えてくれた。

いつの日にか必ず神山復生病院を訪れたい。そのように願っていたから、御殿場への訪問はまたとない機会と感じた。
カトリック御殿場教会からカーナビで神山復生病院に照準をあわせ向う。

それは花咲き乱れる美しいところだった。

病院に併設されている御聖堂の中で祈っていた長女と私の前に事務局長のシスター小嶋が現れ、日曜日は休館日であったにもかかわらず私達親子を国の登録文化財である「復生記念館」へと導いてくれた。

カトリック御殿場教会



富士山から御殿場へ下ってきて、例のごとく教会巡りをしようということで御殿場教会を探す。
教会の暦の住所を手がかりにして探すが、なかなか見つからなかった。
聖マリア幼稚園が併設されているので、これを目当てにたどり着いた。

御殿場教会では、バザーの準備のために信徒の方が忙しそうに立ち働いている。千葉から巡礼に来た旨を伝え、御聖堂の中へ入る。

しゃれた作りの御聖堂である。祭壇正面の明り取りの窓が十字架になっている。左右には障子紙が貼られた十字架が並ぶ。
入り口の鴨居の上部にはイコン画が掲げられている。
十字架の道行きは漆塗りのようで、工芸品のようだ。14留の最後にキリストの復活の場面として15留が加えられてる。
天使祝詞と主祷文を祈り、典礼聖歌を歌った。

富士


4月29日土曜日から一泊二日で長女と二人で、富士山へ行った。
下界では初夏の様子だったというが、雪も例年になく多く風が強く寒かった。

2006年4月26日水曜日

あの本をついに入手


大阪から帰宅すると、注文した本が届いていた。
フーベルト・チースリク神父の「キリシタン人物の研究」である。
昭和38年発行のとても価値のある絶版の希少本で以前からぜひ入手したいと願っていたものだ。

遠藤周作の著作にも「チースリク教授の教えを乞うために三浦朱門と上智大学へ通った」との記述がある。この本の中にペトロ・カスイ岐部神父研究の集大成が記述されているのである。

貴重な本だから痛まないように丁寧にページをめくることにしよう。

大阪日帰り

大阪に日帰りでたった今帰ってきたら、すでに日付が変わっている。
新幹線に乗っていていて車窓から沿線の風景を見ていると、静岡県に入ってから、のどかな日本の典型的な田舎が続く。
私はこの風景がとても好きだ。

東京は天候が優れなかったが、浜松あたりまで来ると晴れて、気持ちの良い初夏のような陽気になった。

2006年4月23日日曜日

佐倉高校吹奏楽部第25回定期演奏会


土日も、夏休みも、それこそ毎日のように部活動ということで吹奏楽の練習を重ねてきた次女も高校三年生。
今日の定期演奏会で引退で、これから本格的な受験勉強に突入である。

ミサから帰ってきて、昼食を済ませ、母も一緒に家族全員で聴きに行った。妹の静子の家族もきていた。
佐倉市民音楽ホールはほぼ満席、大盛況である。13:00開演、二時間たっぷり楽しませてもらった。

復活節第二主日

長女と二人で行く。

ミサの前に聖母マリアに熱心に祈る人がいた。
今日の福音朗読は有名なトマスの「見ないのに信じるものは幸いである」の部分である。

ミサが終わって小林神父さまに「筑波山北面のニリンソウが見ごろ」であることを伝え、概念図を渡した。

「千葉PARCOの無印良品にフリーズドライ食品がいくつかある」と長女が言うので帰りがけに立ち寄り、いくつかを買い求めた。

2006年4月22日土曜日

ニリンソウと筑波山



今週は妻と長女と三人。
5:15に四街道を出発し、85kmを走って筑波山の裏側つまり北面へ回り込み、旧筑波山ユースホステル近くの登山口に7:20到着。
今日のコースは「男の川道」、スタート地点がすでに標高440mなのでとてもラクチンともいえる。

7:45に出発
しばらく登っていくとニリンソウの群落が広がっている。
上高地の徳沢周辺で春に咲くニリンソウが見事だが、筑波山の北面に咲くニリンソウも素晴らしい。
ニリンソウの群落とカタクリの群落が入り乱れ斜面をおおう。

一時間ほどの登りで、8:45男体山の自然観察道に合流し、8:55に御幸平に到着
先々週に登った日光白根が良く見える。真っ白だ。

少し休んで、自然観察道を歩き立身岩の上まで登った。
素晴らしい展望が広がっている。
霞ヶ浦が近くに見え、来週登る計画を立てている富士山も真っ白にひときわ高く彼方に聳え立っている。
立身岩の先から自然観察道を離れて右の踏み跡を登り、男体山の山頂に立つ。

下山は筑波ユースホステル跡へ続く道を辿る。
9:45御幸平の女体山寄りの公衆トイレの脇から下り始める。
とても歩きやすい道で、10:05林道終点の広場に立つことが出来た。この広場には20台ほどの車が止まっており、それぞれ筑波山へのハイキングへ向ったようだ。
この林道終点の広場の標高は560m、従って御幸平までの標高差はたったの230mと言うことになる。ケーブルカーやロープウェイを使わないハイキングコースとしては最も楽なコースなのかもしれない。

車を止めてある「男の川道」スタート地点までのんびりと舗装された林道を下っていく。
10:25車に到着。

2006年4月19日水曜日

新潟名物「へぎそば」って知ってる?



今日は新潟を往復した。13時過ぎにやっと昼食タイム。
どうする?
Nさんが「“へぎそば”にしましょう」という。
“へぎそば”ってなぁに?
それは小千谷の名物だという。
Nさんのお父様が小千谷の出身で「へぎそば」は小千谷の名物だと言うのです。
小千谷ってあの「小千谷の談判」の小千谷?
そうです。
河井継之助です。
で、小嶋屋総本店にて食す。

非常に腰のある麺である。喉越しも良い。つなぎに海草を使っているという。そばつゆがやや淡白でコクに乏しいことが難点。
大木さんのところのそばつゆで食べてみたい。

新潟は桜の満開。
越後湯沢や浦佐を通過するときの新幹線の車窓から見た雪の量は、昨年よりもかなり多い。少し多いのではない。圧倒的に多いのだ。
驚いた。

2006年4月16日日曜日

イースター




今日はカトリック都賀集会所でのイースターのミサに与ることにした。

カトリック千葉寺教会の澤田神父さまがカトリック高円寺教会へ転任するにあたり、そのお別れ会があるからだ。

87歳になる澤田神父さま。ミサの途中で倒れるのではないかと心配したことも幾度あったことであろう。
イエスに対する真摯な姿に、神父を知る誰もが聖人のように崇敬していた。

庭の花








筑波山の花に感嘆したが、ふと自宅の庭を見てみるとたくさんの花が咲いていることに気がついた。

2006年4月15日土曜日

復活徹夜祭





年間の典礼の頂点である過ぎ越しの聖なる三日間を締めくくる復活徹夜祭
カトリック西千葉教会へ急ぐ。
母と長女と次女の三人。息子が塾なので妻は留守番。

19:00 御聖堂内の照明が消され、真っ暗闇となり光の祭儀が始まった。
「キリストは昨日と今日
キリストははじめとおわり
キリストはアルファとオメガ」
という言葉の後、復活ろうそくに火が灯される。
そしてシスターを含めた全信者それぞれが持つろうそくに復活ろうそくから火が移されていく。

ろうそくの明かりの中で復活賛歌が合唱される。
パイプオルガンが鳴り響く、聖歌隊による美しい合唱にあわせて一般信徒たちも歌う。

洗礼式が行われた。

世界に広がる10億人のカトリック信者が、すべての教会で同じように復活徹夜祭のミサに与っている。 あの長野のカトリック富士見教会でも少ない信者が寄り添うように集まってろうそくに火を灯していることだろう。

花の筑波山


今夜は、復活徹夜祭。夕方には教会へ行かなければならないので、近場に行こうということで先々週に引き続いて長女と筑波山に行くことになった。
筑波山は古くからの信仰の山で、山登りの対象として考えたことはかつて一度もなかった。たしか25年ほど前に「岩と雪誌」にボルダー巡りが柏瀬祐之によってレポートされた。戸田直樹氏らと登ったもので大きな刺激を受けた。その後、筑波山は信仰の山ということでボルダリングは禁止され訪れることなく終わってしまった。
だから今回のハイキングもトレーニング的な位置づけのものだった。

7時に四街道を出発して75kmを走行し、8:50にガマ公園の市営駐車場に到着。出発の仕度をしていると隣に止まった車の人もハイキングのようで、私たちに話しかけてきた。
「今日はどちらのコースですか?」
どちらのコースといっても表参道・白雲橋コース・おたつ石コース・向場コースの四つしか知らないので、ごく普通に
「表参道を登ろうと思っています」
と答えた。
するとこの方(柏の中庭さん)は面白いコースがたくさんあると教えてくれた。その中に沢のコースがあると言う。案内図のコピーをくれた。
面白そうである。このコースを登ることに決めた。装備にロープを追加しザックの中に入れる。すると中庭さんは谷の登り口まで案内してくれるという。行ってみてわかったが中庭さんの案内がなければ登り口まで到達することは出来なかったろう。それほどわかりづらい。

そして結果は・・・
素晴らしいコースだった。谷の中は筑波山とは思えないほどのゴルジュがあって、下山ルートに推薦してくれた尾根道も素晴らしいものだった。
さらに山全体が花に埋もれるような状態で、近年まれに見る素晴らしいハイキングを堪能することが出来た。

2006年4月14日金曜日

主の受難の典礼


母と二人で行く

十字架のイエスも、聖母マリアも、ヨゼフも紫の布で覆われている。

典礼の中では、ヨハネ福音書のイエスの受難の場面を聖劇のように司祭、待者、会衆と役割分担して読む。
聖書の受難の記述は、キリスト者にとっては実に生々しい描写であり、人類への贖罪であるイエスの十字架の死を、信徒それぞれが典礼を通じて面と向って見つめなおすという重要な意味を持っているのだと思う。
典礼が終わって御聖堂の外へ出ると、急に冷え込んだらしくとても寒い。
田哺さんご夫妻と一緒に帰る。

帰宅してからメルギブソンのパッションを観ることにしよう。

十字架の道行



ここのところ休日出勤が続いたので、今日は午後半休をとらせてもらう。

一旦、帰宅し15:00から西千葉教会で行われる十字架の道行へ行く。

死刑を宣告されて、エルサレム城内を十字架を背負って引き回され、ゴルゴタの丘で息を引き取るまでを14の場面に分割して、教会の壁面に飾っているレリーフ。

この一つ一つのレリーフに礼拝しつつイエスの受難の深い意味を噛み締める。

2006年4月13日木曜日

聖木曜日 主の晩餐の夕べのミサ





聖なる過越の三日間の初日、すなわち聖木曜日「主の晩餐の夕べの祈り」である。

仕事が終わって、一目散に帰宅し、母と長女をフォレスターに乗せて西千葉教会へと急ぐ。

イエスは最後の晩餐で弟子たちの足を洗ったとヨハネは言う。洗足式、そして聖体拝領。
最後に聖体安置が終わり20:40頃、家路についた。

聖書によればイエスは最後の晩餐の後、ゲッセマネで捕らえられ拷問を経て処刑される。
すなわち、今夜から聖金曜日の処刑にいたるまで、主の受難が続くのである。
この受難に関しては一昨年、大反響を呼んだカトリック信徒であるメル・ギブソンが私財30億円と12年の歳月を費やして完成させたと言う映画「パッション」で生々しく映像化されている。

西千葉教会では明日は15:00から十字架の道行き、そして17:30から主の受難の典礼である。

2006年4月9日日曜日

カトリック西千葉教会での枝の主日


私は、横浜でのイベントでどうしても西千葉教会へいけないので、やむなく横浜の山手教会へ行った。

ところが今日は西千葉教会で私が財務当番だったので妻に西千葉教会へ行ってもらった。
そして妻が西千葉教会の様子を写真に撮影してくれた。
写真にあるとおり、教会堂の外で信者が枝をもってイエスを歓迎し、司祭と共に御聖堂の中に入堂(入城)するというのが一般的である。

カトリック山手教会の場合には、ミサの回数が多いので8:15のミサでは省略したのだろう。

カトリック山手教会での枝の主日




快晴
JR石川町駅から迷路のような坂道をたどって横浜カテドラルカトリック山手教会に8:05に到着した。

今日は枝の主日とも呼ばれる受難の主日。
処刑されるとわかっていながら・・・というよりも処刑されることを神の意志と受け止めたイエスがエルサレムへ入城する場面がミサの中で再現される。
民衆はユダヤの救世主としてイエスのエルサレム入城をオリーブの枝を振りかざし、イエスの通る道に服を敷いて熱狂の中に歓迎する。
小さな小さなイエスは子ロバに乗ってエルサレムへ入城する。
そしてミサの原型となった最後の晩餐が行われる。
ところがイエスに対して現世の中でのご利益のみを求めていた民衆は、彼に失望。
一変して、バラバを釈放しイエスを処刑しろと声高に叫ぶ。

キリスト信者にとって一年を通じて典礼の頂点である「聖なる過ぎ越しの三日」が木曜日の日没と共に始まる。
木曜日の夜はいわゆる最後の晩餐。
金曜日には十字架の道行きとゴルゴタの丘での処刑。
土曜日には日没後から始まる復活徹夜祭。
日曜日には復活の主日。

イエスは人類の贖罪のために、すなわち人に対する愛のために十字架上で死を迎えたというのがキリスト教のコア部分である。
それゆえクリスマスでのイエスの降誕も、人類の贖罪のためにイエスが生まれたと解釈されるので、キリスト信者はクリスマス自体にも重い意味を感じとることが出来るのであろう。

このような背景があって「神は愛なり」という聖書の言葉がイエスの死を通して本当であったと解釈されるのだと思う。

聖週間

今日はいよいよ横浜でのイベント最終日。
先程NHK総合テレビジョンの名曲アルバムでバッハのマタイ受難曲が放送されていた。

そうである。
今日から聖週間。

今日は枝の主日だが、西千葉教会にはいけない。イベントの集合時間は9:30。これからまもなく家を出れば、横浜の山手教会の8:15のミサに間に合う。

さあ、行こう。

2006年4月7日金曜日

横浜



この週末は、横浜で大きなイベントがあって木曜日から日曜日までパシフィコ横浜で仕事。
まだ桜も散っていなかった。

2006年4月4日火曜日

新緑が・・・


日曜日から昨日までの嵐のような天候にも関わらず、勤務先のある品川の高層ビルの中庭の桜はまだ美しく咲いている。
しかしながら私が驚いたのは新緑である。
もう若葉が芽吹いて緑の葉を茂らせているのである。

2006年4月2日日曜日

ペトロ・岐部神父ほか187人の列福を祈る









カトリック西千葉教会の第二ミサが終わって帰宅後少しばかり休んで、長女と二人で浅草教会へ向った。
今日はカトリック浅草教会で「ペトロ岐部と187殉教者列福を願うミサ」が行われるのである。なんとしても行きたい、行こうということで先週から楽しみにしていたのだ。

昨日の好天はどこへやら。今にも雨が降り出しそうな曇天のなかで四街道14:34の快速電車で出発する。
浅草橋から10分ほど歩いてカトリック浅草教会へ到着した。聖堂は新築されてまもないようで小奇麗である。門の左手には桜が満開で、桜の樹の下には小さな池をあしらったルルドがある。
15:40だが曇天と言うこともあってすでに薄暗く、教会堂の中からもれてくる白熱の灯りが暖かい。

聖堂は天井が高く、祭壇を囲むように円形に座席が並んでいる。

ミサはペトロ岡田武夫大司教によるものだ。岡田大司教はまったく飾らない人柄で、親しみのある方だ。ミサの後でキリスト教史の研究家として高名な高木一雄氏によるペトロ・カスイ岐部神父の殉教に関する講演があった。きわめて貴重なお話を伺うことが出来た。

高木先生の講演後、ホールでお茶をご馳走になり17:40頃外に出る。
かなり強い雨が降り出していた。ずぶぬれになりながらJR浅草橋駅へ急ぐ。錦糸町で17:59発の成田行き快速電車に乗り換えた。グリーン車に乗ったが、長女はグリーン車に乗るのは初めてということでたいそう喜んでいた。
18:45に四街道駅に到着した。妻に迎えに来てもらい19:00に自宅に帰り着くことが出来た。

2006年4月1日土曜日

筑波山




桜の満開をむかえた関東地方。
ほぼ快晴の日和で心地よい一日だった。朝10時頃自宅を出て、長女と二人で筑波山に出かけた。筑波山に始めて登ったのは1968年中学校の遠足で、その後何度か家族で行ったことはあるが、登山道を歩いて登るのははじめてのことである。
最も低いところにある市営第一駐車場の標高は180mほどだから山頂までの標高差は700mとなる。房総の山に比べると登り応えがある。
ケーブルカーに沿って男体山まで登り、山頂で昼食。その後女体山から奇岩をめぐって、案内板にある白雲橋コースを辿って下山。
程よい行程で満足度の高い春の一日だった。