2007年12月4日火曜日

木内聡 没す


十日前に、古い山仲間である山岳同人一同心のメンバーと病室を訪れました。
すでに終末医療の段階でしたから、別れの日の近いことは覚悟していました。

私は山と渓谷社の「ヒマラヤ アルパインスタイル」という分厚い写真集を持って病室を訪れました。
彼が執拗にアタックを繰り返したテレイ・サガール峰の素晴らしい写真が掲載されているからでした。

古い山仲間たちと彼のベッドをかこみ、山の話をしました。彼は涙を流しながら喜んでくれました。

私は遠藤甲太氏と対談したことも伝えました。なぜ山に登るのか?山が私たちを魅了して止まないその本質とは何か・・・・。そんな話を静かにしました。

容態の些細な変化も私に知らせてくれるように一同心のメンバーにお願いしました。

今日、仕事中に携帯電話のディスプレイが点滅しました。そこには一同心の宮崎さんからの電話であることが表示されていました。ついに覚悟していた時が来たのを知りました。

ヒマラヤニスト
木内 聡、2007年12月4日没。

長女敦子と共に落胆する。

2007年10月14日日曜日

耶馬美人


今週は、勤務先の国際会議に続いて出張の連続で、最後は博多で終わった一週間だった。
締めくくりは博多だったのでちょっと寄り道をして大分中津へ立ち寄り父の墓参りをした。

勤務先の大分の新工場の立ち上げに奔走している従兄弟の三喜雄ちゃんが中津駅まで迎えに来てくれた。
話を聴くと、数日前に隣の会議室で同じように国際会議をしていたという。しらんかった。
子供の頃の話で時の経つのも忘れがちだったが、疲れていたせいか焼酎を少し呑んだだけで眠りこけてしまった。

2007年10月8日月曜日

黒部川下ノ廊下


土日を利用して妻と次女の三人で下ノ廊下へ行ってきた。

奥鐘山西壁を登っていると黒部川を挟んで対岸に水平歩道を見ることが出来る。奥鐘を登りながら、あの水平歩道を歩く機会が来ようとは思っても見なかった。
だが、上ノ廊下にほれ込んで幾度か遡行するうちに、いつか下ノ廊下も見たいと思うようになった。

下ノ廊下は、関西電力の費用負担によって登山道の整備が行われている。整備が完了するのは白竜峡から別山谷周辺の雪渓が消える秋になってからなので、通行できるのは秋の一時期だけだ。

一般登山客がたどることの出来るコースとして下ノ廊下はその迫力において国内屈指のルートだと私は思う。

ここのところ立て込んでいてレポのアップが滞っているが、素晴らしいコースでもあり、そして印象的な人との出会いがあった。いずれ詳しくまとめたい。

写真は阿曽原温泉。

2007年1月30日火曜日

仙台でラーメンを食す


今日は6時56分の新幹線「こまち」で仙台へ。
会議が終わってから皆でラーメンを食べた。
「仙台っこ」というラーメン。大分中津の蓬莱軒のスープに似ており旨かったが、難を言えば少々粉っぽい感じがした。
13時26分の「はやて」で帰京。

案じていた息子の受験結果の第一報が入り安堵。