2006年3月31日金曜日
越後湯沢の吹雪と東京の桜
昨日北海道の出張から帰ってきたばかりだが、今日は朝から新潟だった。季節外れの強い冬型の気圧配置で、新幹線の車窓から見る越後湯沢の市街地はふぶき模様だった。
ところが、いつもの通り新潟市内には雪はまったくない。
夕方18:00頃東京へ戻ってきた。東京も北風が冷たくコートの襟を立てて歩きたくなる。
22:00ころオフィスを出て中庭を見ると満開の桜がライトアップされている。思わずシャッターを切る。
2006年3月30日木曜日
北海道出張
2006年3月28日火曜日
2006年3月26日日曜日
2006年3月20日月曜日
2006年3月19日日曜日
お彼岸の墓参り
2006年3月15日水曜日
2006年3月13日月曜日
仙台出張
月曜日から仙台日帰り。東京でも昨日とは一変して寒く小雪が舞っていた。
朝9:56東京発の「こまち」に乗車したが小山の手前で列車は止まってしまった。車内放送によれば宇都宮の手前で架線にビニールが引っかかって東北新幹線は上下線とも運転見合わせだという。
結局一時間遅れの12時37分に仙台到着。
「寒い」
思わずオーバーの襟を立てる。
仙台駐在のMさんが改札口で待っていてくれた。 Mさんの運転で仙台市内を走る。
アポイントメントが13:00だったから昼食抜きで会談場所へ向う。
単刀直入に徹した70分の息の詰まるような会談が終わってから勤務先の仙台支店へ戻り、近くの大衆中華屋「桂雀花」へ。750円の桂雀花定食を注文。
仕事がうまくいったので、Mさんとにこやかに食事。
仙台発16:26の「こまち」で家路についた。 先程帰宅。
2006年3月12日日曜日
四旬節第二主日
先週は仙台カテドラルで四旬節第一主日をむかえたが、第二主日はカトリック西千葉教会。
この一週間に痛ましい事件があった。
3月9日木曜日未明、東京都世田谷区で両親が離婚した中学二年生が自宅に放火して二歳児が焼死。父親への恨みをはらすために火をつけたという。
人の心の中の闇と救いを考えさせられる出来事だった。
このような深刻な出来事に対してイエスの教えは何を語ることが出来るであろうか・・・。
かつて西千葉教会の司祭であった幸田神父、稲川神父、荒川神父は直後のミサの福音説教で必ずと言っていいほど、時事の出来事について福音宣教の立場から具体的にわかりやすく諭してくれたものだった。 そして私は祈ることを知った。
今日はカトリック吉祥寺教会の後藤神父を迎えてミサが行われたが、福音説教の中で語られたのはエルサレムへの聖地巡礼の神父自身の体験談を中心としたもので、この出来事について語られることはなかった。 とはいえ説教の内容自体は信徒にとって身につまされる事ばかりで個人の信仰といった視点で見ると有意義なものであった。
ミサ後、後藤神父の指導による黙想会が行われたが、財務当番であることもあって参加することなく帰宅した。
2006年3月11日土曜日
花の房総
2006年3月9日木曜日
2006年3月8日水曜日
甲府の最高気温は21.1℃
朝、起きてみると頭痛と喉の痛み。起き上がると体がだるく容易には起き上がることが出来ない。昨日から少し体調が悪いなとは思っていたが、どうやら風邪をひいたらしい。
とはいっても各種アポイントメントがあるので、休むわけにはいかない。通常通り出社したが更に体調は悪くなっていく。
新宿発12:30の特急かいじで甲府へ。
帰りは17:17のスーパーあづさ。
甲府駅は小さな駅で、とても県庁所在地とは思えないほどの規模。なんと3番線までしかないのである。
時々入線してくるローカル列車は三両編成だったりするから四街道駅よりもローカルな雰囲気にあふれている。
駅の通路から鳳凰三山の地蔵岳オベリスクが夕日の逆光にシルエットとなっていた。
最高気温は21.1℃と言うことで春である。
ぶっ倒れるようにして家に帰り着いた。
とはいっても各種アポイントメントがあるので、休むわけにはいかない。通常通り出社したが更に体調は悪くなっていく。
新宿発12:30の特急かいじで甲府へ。
帰りは17:17のスーパーあづさ。
甲府駅は小さな駅で、とても県庁所在地とは思えないほどの規模。なんと3番線までしかないのである。
時々入線してくるローカル列車は三両編成だったりするから四街道駅よりもローカルな雰囲気にあふれている。
駅の通路から鳳凰三山の地蔵岳オベリスクが夕日の逆光にシルエットとなっていた。
最高気温は21.1℃と言うことで春である。
ぶっ倒れるようにして家に帰り着いた。
2006年3月7日火曜日
カトリック太田教会
2006年3月5日日曜日
仙台カテドラルでの四旬節第一主日
昨夜のうちに仙台へ入って一泊し、朝9時から仕事開始である。
カトリック教会情報ハンドブックによれば、仙台カテドラルである元寺小路教会の第一ミサが7:00とある。十分に時間があるので、さっそく行くことにして6:00にホテルを出る。
第一ミサのためか半数は御高齢のシスターである。仙台近郊の修道院からやってくるのだろう。ミサが終わって、駐車場の車を見るとシスターが運転しようとしているのを見た。シスターというと崇高なイメージが私の心の中にあり、日常生活が想像しにくいこともあって、新鮮に感じた。
さらに、ホテルへ向かって歩いていると前を別のシスターが二人で歩いている。二人はバス停でバスを待つために立ち止まった。バスで修道院まで帰るのだろう。
心の中で手を合わせた。
2006年3月4日土曜日
春の房総
長女と一緒に、先週に引き続いて鋸山へやってきた。
午後から仙台へ出張しなければならないので、早めに行って早めに帰ってくることにする。
6:30四街道出発、8:00には浜金谷に到着し、コンビニで買ったお弁当で朝食。
とても天気が良い。風もほとんどなくおだやかだ。
8:45歩き始める。
今日は観月台から登り、石切り場跡を見学してから急な階段で稜線へ出て、地獄覗きの陽だまりで銀マットを敷いて湯を沸かし昼食。
春霞で、富士山もかすんで見える。双眼鏡で周囲の景色を見ていた長女が言う。
「おとうさん、あそこの海がすごくきれい。日本じゃないみたい。行って見たいな。行ける?」
確かに、見ると水が透き通っているのがわかる。予定では裏鋸を縦走して保田へ下るつもりだったが、変更して帰路は車力道(しゃりきみち)を利用して下山。
JR浜金谷駅に11:55帰着。さっそく鋸山の稜線から見えていた美しい海の広がる海岸を目指す。
そこは元名海岸だった。
2006年3月1日水曜日
灰の水曜日
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