2019年12月31日火曜日

仲間に助けられて乗り切った印西クラックの大晦日


印西クラックジム一人ぼっちの年末年始特別営業
昨日の初日は印西市フリークライミング協会(ICFCA)の現会長の岩崎と前会長の山口さん、そして船橋の吉野さんが助けに来てくれて救われた

そして今日は二日目
一人で店を開け、掃除機をかけてカーペットをきれいにしてぼーっとしていた
午前中の客足はさっぱりで「やっぱり大晦日だからクライミングしようという人はいないよなぁ」などと思っていた

お昼を過ぎたころから体験クライミングのお客さんが来始めた
それと時を同じくして松本さんとマッチ(町田さん)が助っ人にやって来てくれた
やがて昨日に続いて岩崎も駆けつけてくれた
私が困っているのではないかと助けに来てくれたのである
そして1時半から体験クライミングのお客様の洪水
受付をしてからハーネスを装着してあげて靴を選んではいてもらいビレイをする
四人で対応しても捌ききれない

2019年12月30日月曜日

印西クラックリード壁 年末年始特別営業 初日


今日から印西クラックリード壁の年末年始特別営業が始まる
普段の土日はガイド業が忙しくて印西クラックリード壁の店番をすることが困難なので、普通の人が手伝いにくい年末年始こそ私の出番だろうと思って、この期間のガイドの企画はしないで年末を迎えた
そして今日が、その初日
さすがに一人で店番をするのはつらいので岩崎や砂田に「助けてくれー」というメッセージを送っていた
そうしたら印西市フリークライミング協会現会長の岩崎と前会長の山口さんが助けに来てくれた もちろんいつもの吉野さんも
三人の助っ人を得て年末年始特別営業の初日は無事に終わった
みんなに助けられて現在の私がいます
さぁ明日からも頑張ろう

2019年12月27日金曜日

印西体育館の登り納め


今日は印西市からICFA(印西市フリークライミング協会)が委託を受けているクライミング教室が行われる
ここのところ、ガイドや都岳連の仕事が土日のスケジュールを埋め尽くして、どうにもこうにもクビがまわらない状態が続いている
それに加えて印西クラックリード壁の管理人としての責務も果たさねばならないとなると体がいくつあっても足らないという感じだ
そんな中でも年末年始は長期休暇となるのでガイドのニーズは高いけれど企画を入れなかった
そのような状況があったのでクライミング教室のサポートに入ることができた
15時50分に幸子さんと自宅を出発し、途中で郵便局へ立ち寄ってから印西市体育館へ向かった

アルパインガイドオフィス「賀来さんちの山」: 公募プランのご案内

アルパインガイドオフィス「賀来さんちの山」: 公募プランのご案内: 上高地で冬の幕営 2020/2/22-24 概要 テーマは「ガチな大学山岳部の冬山合宿を参考にして冬の上高地小梨平に冬期用テントを張って、厳冬期北アルプスの稜線で通用する冬山幕営の基本を学ぶ」という稀有な企画です 日大山岳部の元主将で現在日大山岳部コーチとして、都...

2019年12月24日火曜日

クリスマスをひかえた24日も大忙し


忙しい一日でした

大雑把な振り返りです
幸子さんと10時に車で四街道を出発
11時から13時まで幸子さんと印西市フリークライミング協会の練習会
それから次女と孫を迎えに行っていったん帰宅
母を乗せて17時に自宅を出発し、千葉駅で次女の旦那をピックアップ 教会近くで食事をして20時からミサ 長女家族とは教会で合流 息子は日大山岳部のコーチ会があってミサは不参加
ミサ後は次女家族を送って23時38分に帰宅
帰宅すると間もなく息子も帰宅しました

2019年12月22日日曜日

二週連続の八ヶ岳裏同心ルンゼ

MYMさん撮影

先週に引き続いて裏同心ルンゼでアイスクライミングでした

12月の裏同心ルンゼは定番中の定番で、毎年のように企画するので、来年以降の為にも少し詳しく書き留めておきます

1.土日の天気予報が良いと高速道路は混むが、八重洲を6:30に出発し「道の駅こぶちざわ」集合時刻を9:30とした 妥当だったと思います
2.12/21は赤岳鉱泉でマムートナイトという催し物があって個室の予約が微妙だった 少し早めに予約しよう
3.落氷だけでなく落石もあるのでビレイ場所は配慮が必要 特に最終の滝であるF5は落石があるので要注意 F5は具体的には左岸(上流に向かって右)が比較的安全
4.裏同心ルンゼの危険個所はF5終了点から大同心ルンゼ基部を経由して大同心稜を下降する地点までのおよそ1時間 状況によってはビレイが必要なので10m程度の補助ロープがあるとGood!

2019年12月19日木曜日

若人たちと印西クラックリード壁


昨夜、リビングで山の資料を確認していたら、帰宅した息子がやってきて例のごとく夜遅くまで山の話をした
そろそろ寝ようかという頃になって「以前から約束していた通り、明日は後輩のK君と印西クラックへ行くからよろしく」という
そんな話があったことは覚えているが、それが明日だとは認識していなかった
息子が山岳部の主将だった四年生の時に新入生として入部してきたというK君はその後主将となって現在二人とも日大山岳部のコーチをしている
息子の日大山岳部員としての現役時代は2012年4月から2016年3月の4年間だが、素晴らしい4年間だったと思う それは監督の大谷さんと息子が1年生の時の主将だった飯田祐一郎さんのおかげだったと思う
特に大谷監督の山岳部運営に関するポリシーは素晴らしいもので、この件に関しては2012年9月の私のブログの記事「南アルプスから帰ってきた息子」に一例として記述した
大谷・飯田ペアの元で「リーダーシップや友情」に満ち溢れた日々を日大山岳部で過ごすことができたことは息子にとって一生の財産になったようだ
実際、今でも息子にとって飯田さんはあこがれの存在のようで、それが証拠に2017年ヨセミテ・エルキャピタン・ノーズ完登直後に飯田さんに嬉しそうに報告していた

2019年12月18日水曜日

欅の伐採


9月9日4時28分に千葉市内で最大瞬間風速57.5 m/s(207.0 km/h)を記録した台風15号は私の家にも大きな被害をもたらした

我が家の庭には樹齢50年ほどのケヤキがある
もしこれが倒れていれば近隣の住宅を巻き込んで戦慄するような大災害になっていただろうと思う
このケヤキは野鳥たちの憩いの場であり、私たち家族を50年にわたって見守ってくれた
一人の少年が山登りを始めた日にはこのケヤキはまだ幼木だった
父と母と二人の妹たちと泣き笑いながら過ごした日々もケヤキは知っている
やがて私が結婚し妹たちも嫁いでいった
三人の子供たちがランドセルを背負って四街道小学校へ通う姿も見守ってくれた
そして病に倒れた父の葬儀の日にも

伐採するのは忍びなかったけれど、切るしかないと決心した

いつ伐採するか・・・・
落葉してから切ると決めていたが、先週息子が大きな枝の多くを切ってくれた
それを引き継いで本格的な伐採を行った
幸子さんにビレイしてもらいながら残っている枝をのこぎりで切り落とす
なんだかエルキャピタンで行った高所作業に類似する
やがてケヤキは太い幹を残して丸裸になった
そして本体をチェーンソーで切った

2019年12月17日火曜日

松山下→印西クラック→都岳連プロガイド養成→昇龍


昨夜も息子と夜遅くまで山の話をしていたのでちょっぴり寝不足の中で、雨が降っているだなぁとぼんやり思いながら、うとうとしながら雨音を聴いていた
6時過ぎにゆっくり起き上がって石油ファンヒーターのスイッチを入れた
孫が生まれてから私はいつもジャスティン・ノズカを聴いている
家でも、車でも、山でも
ジャスティンのいつもの曲が雨音を背景にして流れていく部屋で、パソコンを立ち上げ、山関連の資料を整理する
それは今週のガイドの実施要項だったり、来年4月から8月のガイド計画だったり、都岳連のプロガイド養成委員会の文書だったり、あるいは息子と登りたいビッグウォールクライミングのトポなど・・・
7時半を廻ったころに幸子さんがいつもの通り「送ってくれる?」
で、幸子さんを車で職場近くまで送る

2019年12月15日日曜日

八ヶ岳裏同心ルンゼは大渋滞


今回も楽しい山行だった
12月の定番:裏同心ルンゼの山行企画をみんなにお知らせしたのは9月22日のこと
その第一回目に行ってきました
12月14日
朝5時半に自宅を出て湾岸高速を走るが、この季節はまだ暗い
いつものおじさんと品川を出発し、小淵沢でもう一人のおじさんと合流
今年も暖冬で、木枯らし一号は観測されず、雪も全くない八ヶ岳山麓
結氷状態が悪ければ小同心クラックにでも行こうかなどと思いながら走ってきた
まるで秋山のような状態の美濃戸口
美濃戸へと通じる林道も10月の台風による復旧も完了し、夏道のように車を走らせることができた
いつもの通り、美濃戸の赤岳山荘の駐車場に車を入れて歩き始めた
林道を1時間ほど歩いた堰堤広場から道は登山道となるが、こちらも台風からの復旧は終わっていた

2019年12月12日木曜日

気温20℃スタッドレス交換とプロガイド養成委員会


暖かい日だった
半袖でスタッドレスタイヤの交換をした
所要時間は40分
車外温度計は20℃を表示している
この気温では八ヶ岳裏同心の氷も相当融けたなと思った
タイヤをケルヒャーで洗浄してから郵便局へ行ったり銀行へ行ったりしているうちに夕方になった

2019年12月10日火曜日

印西練習会からクラック壁を経てアバランチナイトへ



昨日に比べると暖かい朝を迎えた
この週末は「裏同心ルンゼの予定がはいっているのに氷が融けて困るなぁ~」とぼんやりと思った
いつもの通り幸子さんを職場に送りとどけ、10時ころになってから印西市松山下公園体育館へ向かって出発した
先週の金曜日に砂田に教えてもらった「クライマーの獣道」をたどって印西市内に入った
この道は農道をたどるもので信号機もなく見通しも良い
体育館まで1kmほどのところで自転車の砂田を追い越した ここのところ砂田は自転車で通っている 印西ロッキーへ行くときもらしい 体脂肪率を更に落とそうということだろう

2019年12月8日日曜日

初冬の谷川岳で雪訓PDCA


この土日は都岳連プロガイド養成機構委員会の仕事で谷川岳
プロガイドを志す熱心なメンバーたちと二日間を過ごした
振り返ってみて、とても有意義な二日間だったと思う

第一日目のキーワードは「PDCA」
小グループ(5-6人)に分かれて与えられた課題の試技を行い、試技のたびに、その内容についてのディスカッションを行う
私からも特に重要な点に関しては補足説明を行う
良かった点、改善提案などがメンバー内で共有され、それに基づいて次のメンバーが試技を行う
その繰り返し
いわゆるPDCAを行ったから参加者の満足度は極めて高かったのではなかろうか
キヤノンライフ40年で染みついたPDCA手法がガイドの仕事として役立つとことに喜びを感じた

2019年12月6日金曜日

大木さんの甚兵衛そばで忘年会&印西インドアクライミング


1971年から一緒に登り続けている岩崎と砂田と私の三人
忘年会をしようじゃないかということで、宗吾霊堂前の「甚兵衛そば」へいくことになりました

宗吾霊堂は江戸時代の義民として有名な佐倉惣五郎の処刑地に建てられたお寺です
そして甚兵衛蕎麦は門前にある1年先輩の大木友康さん経営の蕎麦屋
10代半ばから30代前半のとても危険なクライミングをしていた時期に私たち三人に大きな影響を与えた人こそ大木さんです
時々、無性に大木さんに会いたくなりますが、前回三人で甚兵衛そばに行ったのは2016年12月10日でしたから3年ぶりになります

とはいえ、クライミングが日常生活の一部になっている三人ですから、大木さんのところへ行く前に松山下公園体育館で一登りしてから行こうということになりました

2019年12月4日水曜日

木内さんの命日に幸子さんと印西で登る


木内聡さんが亡くなってから12回目の冬が来た
亡くなる十日前に上田、宮崎たちと病室を訪れた時「筑波山でビールが呑みてぇな~」と言っていた
もう一緒に山に登ることが叶わない山仲間の中でも木内さんと土橋さんは私にとって特別な存在だ

朝9時 印西市松山下公園体育館の表玄関からその筑波山がくっきりと見えた

2019年12月3日火曜日

午前中は松山下公園体育館で午後から印西クラックリード壁


昨日は久しぶりのオフでゆっくりできた
強い雨が降っていたから庭仕事はできなかったが、久しぶりに山の資料の整理などをして過ごした
そして今日、朝6時までぐっすり眠ることができた
7時半に幸子さんを職場近くまで車で送って、いったん自宅まで戻ってクライミングギアを積み込んで印西へ向かった
今日は9時から印西市フリークライミング協会の定例練習会があるからだ
アリーナへ入ってみるとちょうど砂田が登ろうとしているところだった
11時までみんなで楽しく登り、私は一人で印西クラックリード壁へ向かった
12時ちょっと過ぎに到着すると、朝から内田さんがボルダールームの整備をしていた
一方で私はホールドが揃ったので垂壁への取り付け作業を行った

2019年12月1日日曜日

アイゼン岩登りトレーニング


だいぶ前に安藤さん、上田さんに紹介してもらい、今年四月にエイドトレーニングを行った岩場である
この岩場で冬に備えてアイゼン岩登りトレーニングをしてきた

【11月30日土曜日】
朝6時半に八重洲地下駐車場を出発して目的地に到着したのは9時半
10時には全員がそろい、早速岩場まで行く 気温3度
ところが、ここのところの台風などの影響で岩場の三分の二が利用できなくなっていた
重たいザックを背負って30mの空中懸垂を反復練習しようと予定していたが無理だ
今回はアイゼン岩登りトレーニング一本に絞ることに変更
まずは道具の特性やアイゼンの調整方法、アイゼンによるクライミングムーブの理屈、あるいは力学的に安定した荷重方法などを説明してから早速反復トレーニング開始

2019年11月29日金曜日

久しぶりに松山下公園体育館のどっかぶりを登る


昨夜は松山下公園体育館に行ったものの登らずに帰宅した
帰宅してチェックしてみると明日は個人利用ができそうだ、ということで幸子さんを誘ったら 行こう!ということになった
個人利用は認定者二人以上が参加していることが条件になっているが、夫婦で認定者なので、アリーナが空いていればいつでも登ることができる
久しぶりに快晴の朝を迎えたので、クライミングギアなどを天日干しするために庭に銀マットを敷いてギアを並べて9時に自宅を出た
体育館に入って手続きをすると受付ですでにアリーナに先客がいると説明された
平日の午前中に登る人とは誰だ?と思ってアリーナに入ってみると・・・
いたのは砂田だった

2019年11月28日木曜日

カイラス展示会、印西クラックリード壁、松山下公園体育館 雨模様の寒い一日

廣川さん撮影

朝から冷たい雨の木曜日
息子は今日は授業がなく日中は暇だと昨晩言っていたのでインドアでも行くか・・・というような話をしていた
幸子さんを職場まで送った後、散髪に行った
帰宅してからジャスティン・ノヅカを聴いていると食卓にあるハガキに目が留まった
廣川健太郎さんからのカイラス・ジャパンの展示会案内のハガキだった

カイラスは中国の登山用具ブランド
廣川さんが日本の代理店として創業したことを知っていたので、先月行われたワールドカップ印西大会でカイラスが単なるワールドカップ地方戦のスポンサーではなくIFSC(国際スポーツクライミング連盟)のそれだと知って本気度に少なからず驚いた

2019年11月19日火曜日

四重玉突き事故に巻き込まれる


今日は火曜日なので印西クラックリード壁の営業日です
12時から15時まで私が店番をして15時で内田さんにバトンタッチする予定です

11時に自宅を出発して印西へ向かいました
県道155号線を横切って佐倉市内へ入り、東邦大学佐倉病院で水道道路へ入って稲荷台で成田街道を経て県道64号線に入り、左手にある臼井城址の丘のふちを廻るようにして印旛沼の湖畔に出ます
ジョアン原主水はこの臼井城主原胤義の嫡男として生まれました そんなことを頭の片隅で思いながら印西へ向かって走ると県道の右側には川魚の料理店がいくつか点在しています 印旛沼は漁業協同組合があって「うなぎ」を看板としているお店が点在しています
美しい印旛沼の湖畔を経て架け替え工事中の船戸大橋を渡ると印西市内に入ります
坂道を登っていくと北総台地へと導かれていきます
古い宗像の集落を過ぎると印西クラックリード壁は間もなくです

2019年11月17日日曜日

二子山


都岳連のガイド養成機構委員会のガイド講習のために16日、17日と二子山に行ってきた

16日の朝6時45分集合
幸子さんに稲毛駅まで送ってもらったけれど、四街道駅始発の5:20でも新宿新線着が6:30なので、稲毛駅まで送ってもらう必要はなかったようだ
いつものメンバーとRV観光のバスに乗ったが、補助席をすべて使うほどの満員状態だった
台風の影響で股峠へつながる林道は坂本付近での法面の崩落の修復は終わったが、股峠から先は通行止めなので、上野村方面からアプローチすることはできないようだ

2019年11月9日土曜日

今日もインディアンサマーに恵まれた小川山



一昨昨日に続いて、小川山

廻り目平の駐車場は満車状態でしたが、ほとんどがボルダラーで土曜日にも拘わらずセレクションは先行パーティーが2つだけ

2019年11月6日水曜日

黄葉の小川山セレクション


11月6日と11月9日の二回に分けて二子山中央稜を企画していました
台風の影響が心配だったので先週、小鹿野町役場へ林道の状況を問い合わせてみたところ「調査が完了していないので入山は自粛して欲しい」とのことでした
せっかく二子山まで行って林道通行止めでは参加者に申し訳ないので、場所を小川山に切り替えることにしました

ということで本日、日帰りで小川山へ行ってきました

2019年11月1日金曜日

岩崎が救世主となった結婚記念日


結婚記念日にも夫婦でクライミングをしているというのが通常だが、今年だけは違った

9月9日の未明に千葉市に上陸して猛烈な風で甚大な被害をもたらした台風15号
我が家でも物置小屋として設置しているプレハブ小屋三棟の内、一棟が全壊
被災直後の9月10日に四街道クリーンセンターへ災害廃棄物を持ち込んだところ、受け入れを断られ途方に暮れていた
やむなく産業廃棄物処理業者に持ち込んだが乗用車のアウトランダーで運べる量はわずかなもので、処理は遅々として進まない
それはトンネルの出口が見えない作業で、退職後の毎日をガイドの仕事も断り、印西の練習会にも参加しないでこれに過ごしたが、半ばあきらめかけていた

そうしたところ、四街道クリーンセンターが災害廃棄物の受け入れをしていて、その期限が11月2日11時半までだという
四街道は台風15号、台風19号、台風21号で大きな被害を受けたが、災害廃棄物を四街道クリーンセンターで受け入れてくれるようになったらしい
これを知ったのは昨日10月31日のことだ
後、一日半しかない
軽トラをレンタルしようとあたったが、直前だったのでレンタルすることはできなかった
本当に途方に暮れた

2019年10月28日月曜日

孫の誕生と豪雨災害とワールドカップ初日のドタバタ劇


9月初旬の台風15号で散々な目にあって、まだ後始末も終わっていないのに、台風19号が上陸
そして10月26日は台風21号崩れの豪雨
二階のベランダの排水溝を確保して水を流したり、残ったプレハブ倉庫の補修に追われた
夕方になってJR総武本線が止まったので、稲毛まで息子を迎えに行き、そのまま日帰り温泉施設に行っている母を迎えに行った
道路は激しく渋滞しており遅くなった
そうしたところ出産のために家にいる次女から「破水した」との連絡を受けた
いつ出産してもおかしくない時期だったので、そんなこともあろうかと思ってはいたが心臓がどきどきした

2019年10月8日火曜日

印西練習会、店番、都岳連



忙しい一日だった
朝9時から印西の松山下公園総合体育館で練習会があり、高垣さんと待ち合わせて登った
10月26日27日に開催されるワールドカップをひかえてウォールのパネル交換が行われ、先月一ヶ月間ほど工事が行われた壁は、美しくリニューアルされていた
7月8月とガイドの仕事が忙しくほとんどクライミングができなかったので、大きなハングを登るのは三ヶ月ぶりとなった

11時少し前に体育館を出て印西クラックリード壁へ向かった

2019年9月30日月曜日

どんな最終日だったのかな


9月30日だというのに気温が高く汗ばむような陽気だ
今日は「燃えるゴミ」の日なので玄関に幸子さんが積んだたくさんの黄色いゴミ袋を持って集積場所へ運んだ そしてそのまま「市内循環バスよっぴー」に乗車して四街道駅へ向かった
6時55分の普通列車に乗車していつもの通り指のトレーニングをしながら千葉駅へ向かい千葉駅で7時7分総武線に乗り換え、7時17分JR幕張駅到着
高校生たちに交じって幕張銀座通りを歩く イトーヨーカ堂で国道14号を渡って神田外語大学キャンパスを右手にして高速道路の真下を歩道橋でくぐる そしてファミリーマートで麦茶を買って、勤務先のビルにチェックインしたのは7時50分
今日も私が一番出社なのでセキュリティを呪文で解除しフランス落としを上げて防火扉を開けた 続いて飯野君と豊田君がチェックイン 8時40分頃になって多くの社員が出社してきた
8時55分にキヤノン体操が始まり、それに合わせていつもの通り私は給湯室の鴨居で指トレーニングを行った
午前中はいつもの通りの仕事をして少し早めに社員食堂へ行った

2019年9月29日日曜日

三ツ峠 充実した内容だった都岳連クライミングスクール


都岳連のクライミングスクールの講師として三ツ峠に行ってきた
何時に何をしたかを書き留めておくと次回の参考になるので簡単に振り返ってみたい

■タイムテーブル
河口湖駅発の天下茶屋行きバスは9時5分
これに乗車するためには四街道駅の始発5:20では間に合わない
そこで、幸子さんに稲毛駅まで送ってもらった
自宅から稲毛駅までおおよそ20分なので4時40分に自宅を出た
稲毛発5:10の総武横須賀線快速に乗車
馬喰町で都営に乗り換え新宿着が6時5分 新宿から特急あずさ71号に乗車 数日前に「えきネット」で特急券を購入していたので指定席4号車12番Bに着座 富士急の改札口は甲府よりにあるので4号車からは遠くなる 10号車くらいが良かったかも

2019年9月27日金曜日

退職まであと二日


39年6ヶ月のキヤノンライフも、あと残すところ二日
退職にあたって社員持ち株会の退会、健康保険、その他各種保険、パソコンの返却準備などさまざまな作業がある
特に健康保険はキヤノン健保の継続を行うことにしたが、必要書類がいくつかあって、市役所とのやり取りが大きな負担になる
そんな準備に追われている中で、今日は1980年入社の同期が送別会を開いてくれた
ありがたいことだ
1980年4月1日の入社式で下丸子の古い体育館で一緒に並び、取手工場で過ごしたメンバーだ

2019年9月16日月曜日

秋田のマタギの森で過ごした三連休

ブナの倒木

敬老の日の三連休を利用して桃洞沢に行ってきた

関東地方や中部山岳地帯では味わえない奥深い森
そして流れる沢はナメの連続 ナメの総延長は恐らく10㎞を超える
2009年2010年に訪れて知った森吉山の北東側斜面に展開される深い森と沢

今回、私を含めて5人で計画した
そして先ほど帰宅した

それではこの三日間を簡単に振り返って見たい

9月14日
例のごとく八重洲集合 出発は6時30分
森吉山は東京からおおよそ700km 仙台がちょうど中間地点だからとにかく遠い
東北自動車道を鹿角八幡平で降りて鹿角花輪の「マルホンカウボーイ花輪店」で買い出しを行い、秋田県道309号(くまげらエコーライン)経由で森吉へと入った

2019年9月11日水曜日

台風15号でてんやわんや

最寄りの鹿放五差路のガソリンスタンド

台風15号で物置代わりにしているプレハブ小屋三棟の内、一棟が全壊、一棟が半壊し、吹き飛ばされた屋根が隣家の瓦を破損
取るものもとりあえずご近所に迷惑をおかけした部分だけでも一刻も早く片づけないといけません
会社を休んで三日間かけて息子と二人で後片付けしました
廃材の処理の為に市の廃棄物処理場へ行ったのですが、建築物の廃材は受け付けられないとうことで、業者を紹介され、何往復もしました
36℃の猛暑日の作業は熱中症の恐れがあるので一時間半もすると具合が悪くなりそうです 車に避難して体を冷ましてから再び作業を繰り返します
息子がいなかったらどうなっていたのだろうか?
台風が上陸する直前に自家用車のガソリンを満タンにしていましたがエンジンをかけっぱなしにしていないと車内は瞬く間に高温になってしまうので、ガソリンの消費も大きいものがあります
メインの道路は一日中渋滞して車の列がつながって、身動きもできませんが、さすがに地元の私は裏道を使ってガソリンを給油にいきました

2019年9月6日金曜日

今夜は印西クラックリードウォール壁で相談


内田さんの声かけで10月以降の印西クラックリードウォール壁をどうしましょうか?というレベル合わせをしようということになった

今日はその当日

昼食の時に15階の社員食堂でお気に入りの肉蕎麦を食べていると、この週末に開催される「レッドブルエアレース」のテスト飛行が見えた そのアクロバット飛行にしばし見とれた
勤務先の出退勤時刻はすべてゲートのセンサーで検知される
終業時は15時30分50秒にゲートを通過した 私の勤務時間は09:00から15:30だからだ
幸子さんに四街道駅まで迎えに来てもらい16時50分に帰宅
さっそく軽い夕食を摂って抗生物質を摂取し印西BIGHOPへ向かった
抗生物質?と思うかもしれないが左腕の化膿の状態が悪いのである

2019年9月4日水曜日

今日は定年再雇用を辞めることを確定した記念日

愛用したネクタイたちにありがとう

今月9月いっぱいで定年再雇用を辞めて、まったくのフリーになります
これは今日人事に伝えたので確定です
新卒で入社して過ごしたキヤノンライフ40年には感慨深いものがあります
幸子さんと知り合ったのは、私の札幌支店転勤があればこそでした
1986年に幸子さんと結婚し翌1987年7月に東京に帰任しました
1987年7月以降は良き上司と仲間と「最高のお客様」に恵まれ素晴らしいキヤノンライフを送ることができました
今後は、とりあえず山岳ガイドと都岳連と印西クラックリードウォールの店番で日々過ごそうかなと思っております

2019年9月1日日曜日

今日は印西クラックリードウォールの店番


今日は一日中、幸子さんと印西クラックリードウォール壁の店番だった
開錠は内田さんがしてくれたので10時15分にショッピングモールBIGHOPの駐車場に入った
内田さんの案内でボルダリングエリアを見たがクラックがずらりと並んでいた
後で聞いたことだが岡田さんが設置したという
内田さんは昼過ぎに帰り、午後から岡田さんが手伝いに来てくれ、ロッキー来店中のマッチも様子を見に来てくれた
今日は夏休み最終日なので、多くの子供たちは夏休みの宿題に苦慮しているのではなかろうか

2019年8月31日土曜日

8月の印西認定会とクライミング教室


今夜は印西の松山下公園総合体育館クライミングウォールの利用認定審査会だった

前回6月30日の認定会後、運営の見直しや、集計&個人別成績表発行用VBAアプリが必要だということはわかっていたが、ガイドの仕事が忙しく手つかずのままで時間が過ぎ去った
一昨日になってようやく重い腰を上げて運営の見直しをドキュメントにまとめ、関係者に配布し、岩崎にプリンターを持ってきてくれるように頼んだ
そして昨夜、1時間ほどかけて認定会専用VBAアプリをやっつけ仕事で仕上げた

2019年8月25日日曜日

屏風岩合宿終了しました



8月11日から始まった屏風岩合宿は24日に終了して帰宅することができました
台風10号や後半の悪天候の影響を受け雲稜ルートを三回登るにとどまったのは残念
そんな中、偶然幸子さんが撮影した屏風岩の写真の中に私たちの姿が写っていました
8月17日撮影で丸印が私たちです

さて恒例ですが簡単に2週間を振り返ってみたいと思います

11日
母とカトリック西千葉教会のミサに与ってからの出発になったので14時に自宅を出ました 夕方松本市内に入りインターチェンジ近くのスーパーマーケットで買い出し後、沢渡へ進み、いつもの通りアルピコ車庫の軒下をお借りしてビバーク

2019年8月5日月曜日

この猛暑の夜に仕事が終わってからトレーニングするあなたに乾杯!


昨日の朝は標高3000mの場所にいたのが嘘のようだ
来週から15日間に渡る穂高屏風岩合宿が始まるが、その参加者の一人であるIさんから最終確認の為のトレーニングの申し入れがあったのは先週のことだ
その熱意に心打たれ「夜に印西クラックリードウォールであれば可能」と返信していた
そして猛暑の今日、仕事帰りのIさんと印西クラックリードウォールで待ち合わせた
18時半から20時半まで、二人で過ごした
屏風岩で必要な技術を2時間で全てを網羅するのは不可能だがIさんとは一ノ倉沢を登ったことがあるので屏風岩特有の技術に絞って説明するとなれば2時間でおつりがくる

2019年8月4日日曜日

今週末は北岳バットレス


久々に北岳バットレスに行ってきた
バットレスについては少し付加情報を記述しておく必要があるかもしれない
なぜなら印西で一緒に登っている優秀なスポーツクライマーが北岳登山の延長線上に北岳バットレスのクライミングを位置付けていることをある時知ったからだ

昔の山行記録をひっくり返してみると1979年8月4日に砂田と登った記述がある 当時は広河原への自家用車の乗り入れが自由だったので北岳バットレスの登攀は夜行日帰りで計画されることも少なくなかった この時はピラミッドフェイスから四尾根を中継して中央稜へつなぐ予定で大樺沢二股を6:50に通過し土砂降りの雨の中のクライミングに嫌気をさしてピラミッドフェイスの途中から4尾根に逃げて最後にCガリー側壁を登って山頂へ抜け、八本歯のコルから一目散に大樺沢を下降し広河原帰着が17:30とある

その三年後、1981年にマッチ箱のコルが崩壊
これにより中央稜へ取付くことがほとんど不可能になった

2019年7月28日日曜日

この週末は剱岳で楽しかった

再会を喜びあって、はしゃぐ四人

恒例になっている幸子さんの夏の札幌帰省
涼しくていいな~と思いきや札幌も32℃だという

そんな幸子さん不在の中で金土日と剣岳に行ってきました
目指したのは源次郎尾根
梅雨明けと台風の動向が気になる気象条件だったけれど、首尾よくテラさんご夫妻と目的を達成することができました
それでは、この三日間を簡単に振り返ってみたいと思います

2019年7月20日土曜日

たった一人の店番と盆踊り大会


今日はたった一人で印西クラックリードウォールの店番だった
幸子さんは町内会の盆踊り大会(納涼祭)なので店番はできない
ここ30年ほど町内会関連の行事は幸子さんに任せっぱなしである

パソコンとモバイルルーターをバッグに入れて印西へ向かって出発したのは9時
9時半に印西ビッグホップに到着
入館手続きをして入館証を受け取り、ロッキーで鍵を受け取る
ジム内は昨夜のままの状態
すなわち私のクライミングギアが出しっぱなしだ
ギアを片付けて掃除機をかけていると10時、ゲートが開門されお客様が場内に流れ込んできた
午前中は来店者がなくさっぱりだったが、13時以降から続々と申し込みがあった
一人で受付をして、靴とハーネスを準備して装着チェック

2019年7月19日金曜日

印西で来月の屏風岩に向けてのトレーニング 熱心さに脱帽!


蒸し暑い一日だった
昼休みには梅雨明けが近いのかもしれないと期待を持たせるような青空が広がったが、それはひと時のことで、やがて霧雨が降り始めた
8月に15日間の日程で横尾に駐屯し都岳連モンターニュのメンバーと屏風岩東壁を登る計画である
そのメンバーの中のTさんとKさんが印西でトレーニングをしたいと申し出てくれ
15時半にオフィスを出て印西牧の原に直行し17時に到着
印西クラックリードウォールの鍵を開けたのは17時10分

2019年7月15日月曜日

ジムの店番として過ごした二日


土曜日は西丹沢玄倉川で水をしこたま飲まされたが、日曜日・月曜日は幸子さんと180度環境の異なる印西クラックリードウォールの店番として過ごした
この落差が私の日常というのには自嘲さえ覚えるほどだ

この二日間を簡単に振り返ってみたい
日曜日は
いつもの通り母が楽しみにしている西千葉カトリック教会のミサに与った
教会でボランティアの仕事をしてから帰宅したのは12時
軽い昼食を摂ってからユーカリが丘に立ち寄ってクライミングパンツのMサイズを2本購入してから印西へ向かった
印西牧の原にあるショッピングモールBIGHOPは巨大な駐車場をもっているがほぼ満車だった
三連休の中日はあいにくの雨だが、近場で過ごそうという家族が多いのだろうか
雨模様にもかかわらず印西クラックリードウォールは子供たちでごった返していたが、そのうち一般者も多数来店し、その中に土橋さんの捜索活動で苦楽を共にした旧知の二人(角掛、辻)がいて再会を喜んだ

2019年7月13日土曜日

ヒルと増水の歓迎を受けた玄倉川


玄倉川に行ってきたが、ヒルの生息域がこの流域にも拡大してがっかりした
最後に玄倉川水系の沢を訪れたのは2013年8月3日小川谷だったが、すでにこの時にヒルにやられていたが限定的な範囲にとどまっていた
だが今回は林道にも大量のヒルが私たちを待ち受けていた
水量が多く難儀した分、黒部川上ノ廊下に似た体験を味わうことができた

2019年7月11日木曜日

ユース全日本クラスの少女たちと登った印西の夜


昨夜遅かったので、目覚まし時計が鳴るまで熟睡した
今日も朝から涼しかった
帰宅する時間帯から少し雨がぱらつき始めJR幕張駅へ向かった
千葉から総武線普通列車に乗り換えて座っていると臨月かと思われる女性が乗ってきた
見た瞬間に妊娠している可愛らしい次女と重なって席を譲った
雨模様だったので四街道駅から市営バスに乗ろうとバス停にならんだ彼女も同じ市営バスに乗車し、しかも同じバス停で降車した

味仙の台湾ラーメン知ってる?


今夜は都岳連の会合があって東京へ行くことになっていた
私は時短勤務なので15時半に仕事が終わる
都岳連の会合は19時開始なので、時間的にゆとりがある
こういう時は早めの夕食をどうするかというのが課題でもあり、楽しみでもある
そして今日選択したのは味仙の台湾ラーメン
先日三ツ峠からの帰路の車の中で味仙が東京にも出店している話題を聞いて、ぜひ行きたいと心にあたためていた

2019年7月9日火曜日

梅雨寒17度の夜も印西


今夜は印西松山下公園総合体育館の個人利用ができることがわかっていたので、幸子さんに行こうと声をかけて、朝玄関を出た
曇り空で気温が低い
朝はジャケットが欲しいくらいだが、足早に歩いていると湿度が高いせいか、じっとりと汗ばむ
そろそろ7月中旬になるが、北の冷たい空気に梅雨前線が南方へと押し返されてしまい、夏が遠のいてしまった
今月末から一か月間ほど連続するようにして剱岳、北岳バットレス、穂高屏風岩などでガイドの予定が入っており、天候が気になる
食堂で夏を思わせるメニューに目がとまった

2019年7月7日日曜日

第24回 習志野コンペ


昨日は予定していた小川谷廊下を中止し、日中は散髪してから幸子さんんと雨の中を買い物に出かけ、夕方から海浜幕張のグリーンアローへ行った 松本店長とすこし話す

そして今日は習志野コンペ
常日頃、一緒に登っている仲間たちが熱戦を繰り広げた
男子優勝は川口さんかマッチだろうと思っていたが、マッチだった
私はここ4年、写真撮影係をしている
クライミングの写真は真横や上から撮影すると迫力のある写真が撮れる
観客の多くは下から撮影するほかに選択肢はないので、結果的に選手の尻ばかりを撮影することになる

2019年7月5日金曜日

ロワーダウンして美しい夕焼けに気がついた


湿度の高い日々が続いている
今日は気温が低かったのでJR幕張駅からオフィスまでの歩行も楽だった
歩きながら今日もアグネス・チャンの「雨模様」を聴いた
オフィスの中は冷房が効いているが今日は少々寒く感じたほどだ
今日は印西市フリークライミング協会の定例練習日なので、帰宅すると幸子さんはスタンバイ状態だった
炭水化物少な目で高タンパクの軽い夕食を摂って印西へ向かった

2019年7月4日木曜日

フリークライミングを哲学あるいは生き方として昇華させたジョン・バーカーが没して10年


2019年7月5日は2009年7月5日にカリフォルニア州マンモスレイクス近郊の岩場でソロクライミング中のバーカーが墜死してから10年の節目となる日である

印西や習志野で日々一緒に登るクライマーたちはジョン・バーカーを知らない世代がほとんどだし、知っていたとしてもジョン・バーカーに影響を受けたクライマーは恐らく皆無かと想像する
1970年代からクライミングを行っている人の間では、ジョン・バーカーといえば「岩と雪72号」で紹介されたグラビア写真、すなわちヨセミテ渓谷キャンプ4にある巨大ボルダー「コロンビア」に設定された課題である「ミッドナイトライトニング」を短パンで登る彼の姿のインパクトを持って語られる
すなわち「岩と雪72号」の発売が日本のフリークライミングの出発点だという人が多い
だがそれは少し違うように思う

2019年7月3日水曜日

梅雨時のムシムシした印西クライミング


ここのところ梅雨らしく小雨や曇天で湿度の高い蒸し暑い日が続いている
今日も朝から湿度が高く歩いているとシャツが汗で濡れるほどだった
昨日アマゾンから届いたアグネス・チャンのアルバムに中にある「雨模様」という曲を聴きながら歩いた このアルバムは10代の後半の頃によく聴いたもので甘酸っぱく懐かしい思い出が脳裏によみがえってくる
今日はICFCAの練習会があるのでいそいそと帰宅し幸子さんと印西へ向かった
18時50分にアリーナへ入った