2013年11月20日水曜日

ラマの四次元航跡


2013年10月30日のラマの四次元航跡を公開します。

この航跡をご覧の通り北鎌沢左俣の上部を集中的に捜索していることがご理解いただけるかと思います。
これは北鎌沢出合のデポ品と独標直登ルート終了点のデポ品捜索結果に鑑みたものです

2013年11月10日日曜日

今シーズン最後の現地入り 「ラマ」によるヘリコプター捜索


「ラマ」よりのぞむ独標直登ルート取付点


台風の影響による二度の延期を経て昨日10月30日、ようやくヘリコプター捜索を実施することができた。
延期されたことにより、いささかなりとも準備ができたという意味では貴重な時間を天は私たちに与えてくれたとも考えられる
初動捜索を除いて、なんの準備もないヘリコプター捜索は結果として物見遊山となんら変わらないものに終わってしまう可能性が高いであろうことは容易に想像がつく
発見できるに越したことはないけれど、たとえ発見できなかったとしても、捜索完了地域を明確にすることによって、捜索範囲が次第に絞り込まれていかなければ、何の意味もない。

今までの報告と重複するが主な手順をあらためて列挙しておきたい。

1.捜索用リファレンスマップの作成
2.転落方向の想定
3.発見難易度評価
4.上記2と3に基づく捜索計画の立案とリファレンスマップへの反映
5.捜索計画に基づく.望遠鏡による現地調査
6.捜索計画に基づく懸垂下降等を含む実地踏査
7.上記5と6を踏まえて捜索計画の見直しを実施
8.以降4から7の繰り返し
9.立体模型の作成とヘリ捜索シミュレーション

以上のうち2から8を実行する為に延べ150名を越えるメンバーが現地へはいり、おそらく今年最後の現地捜索活動となるヘリコプター捜索が10月30日、長野県警察松本警察署地域課救助係の御支援を受けて東邦航空の「ラマ」(アエロスパシアル式SA315BアルウエットⅢ)を使用して行われた

概要は添付の動画を参照願いたい

2013年10月24日木曜日

「直登ルートデポ品発見」と「北鎌沢左俣の捜索」



各地の山々で初冠雪の便りが届き始めたのは先週のことだ。
冬の到来は秒読みとなった。

10月11日に予定されていたヘリコプター捜索が天候不順もあって延期となり、次の候補日であった10月16日も台風の直撃を受け延期となった。

捜索関係者は落胆を隠せないが、10月11日は風が強く穂高では一機のヘリコプターも飛ぶことはできなかったし、伊豆大島で多くの人命を奪った台風26号の直撃を受けた10月16日はヘリ捜索など論外だった。

とはいえ、10月に入った三週間の間にも中西夫妻や栃木、茨城、千葉、岐阜、奈良など各地から集まったメンバーによる捜索が行われ、少なくともふたつの進展があった。


2013年10月3日木曜日

第三段階へ入りつつある捜索活動


922日に実施された懸垂下降による捜索によって、ともかくも鉄人土橋がアプローチとした東鎌尾根の捜索は一つの区切りをむかえた

捜索の要点を簡単に振り返ってみたい
この要点は今後の捜索活動のメインステージとなる北鎌尾根においても共通するものになるかと思う

1.転落方向の想定
天上沢側と槍沢側のいずれの方向へ落ちるのかを地図上にプロットしていく
この作業を最初に実施しないと、天上沢側に登山道が切り開かれているにもかかわらず、槍沢側を捜索するというようなことが発生する。限られた時間の中で捜索活動を効率的に行うに当たり、まず最初に実施されるべきことがらである

2.発見難易度の評価
転落する方向を想定したら発見難易度という視点で稜線上の各地点の評価を実施し発見難易度の高い地点をマーキングしていく。転落する可能性が高くとも、発見難易度が低い場所は対象外とする 転落後、土橋が自らの力でブッシュの中へ移動するケースは現時点ではあえて考慮しない なぜならば限られた捜索資源下においては一定の絞込みをせざるを得ないからである

3.リファレンスマップの作成
捜索メンバー間で場所情報の共有を図るために基準地図が必要
この地図は国土地理院の地形図を元にし、それぞれの谷にナンバリングを施しておく
ナンバリングと地形図上のコンターラインが示す標高値によって、捜索メンバー間の場所情報の共有化が可能となる

2013年9月18日水曜日

冬が来る前に


根雪になる前に何とか発見したいと、20名を越える山仲間が手弁当で入れ替わり立ち替わり毎週のように現場へ入っているが行方はようとして知れず

根雪まで持ち越すと長期戦となるが、歳月の経過とともに鉄人土橋の痕跡は薄れ発見難易度はますます高くなる
雪がくるまで、もう限られた時間しか残っていない
それを皆は暗黙のうちに承知しているので毎週入るのである

2013年8月28日水曜日

鉄人土橋の捜索

鉄人土橋がヒュッテ大槍を8月7日未明に出発し、消息を絶ってすでに二十日が経過した
最も重要な初動は角掛氏が第一報を受けて直ちに現場に赴き、長野県警のヘリ1回、東邦航空のヘリ2回の捜索が行われた
東邦航空のヘリコプターにはカメラマンの横山氏も同乗しCMOSフルサイズ2500万画素の一眼でおびただしい数の写真撮影が行われた
この写真を多くの人たちが分担して隅々までなめた

2013年8月16日金曜日

情報求む

すでに3パーティーが北鎌周辺に入って捜索を行っております
私もボッカ要員として息子を伴い今夜出発します

何らかの情報をお持ちの方はご一報ください

2013年8月12日月曜日

鉄人土橋の消息を追って

今日のヘリ捜索が勝負という認識だった

古い山仲間の「山岳同人一同心」の上田から朝方電話があり、現時点での捜索態勢と状況を確認し整理しておくことは今後の方向性を決めるためにも必須であるとの認識で一致し、本件所轄の松本警察署へ行くこととした

2013年8月11日日曜日

鉄人土橋が帰ってこない


いつもの槍沢ロッジからの北鎌ワンディを計画して8月5日に上高地から入山した鉄人土橋が帰ってこない

2013年8月5日月曜日

麺房こうや


職場から10分ほどのところにあるラーメン屋「麺房こうや」
さっそく恵海さんと長山さんの三人で訪れてみた
場所は順天堂の近くで、けっこう交通量の多い通りに面している
12時15分頃に行ったがテーブル席に座ることができた
さて、何をたのもうか・・・
ラーメン630円、ワンタン麺840円
メニューにはワンタン麺がオススメと書かれていたので、ワンタン麺を注文

2013年8月4日日曜日

「山岳クライミング安全確保技術講習 理論編2」

山岳クライミングの安全確保技術向上に精神論が不要だとはいわない
すべては危険に対する認識不足から始まるのだから

だがいったん危険を認識したのであれば理論的な学習は欠かせない
失敗に対する理論的究明と学習がなければ同じような失敗をいたずらに繰り返すばかりである

2013年8月3日土曜日

小川谷のワサビ田跡の冷たい清水でザル蕎麦を楽しむ

日ごろの不摂生がたたり免疫力が低下したにちがいない
7月6日に始まった夏風邪がぐずぐずと治らない

今週の土曜日の山は軽いところがよかろうと、通いなれた小川谷へ

今日も遡行終了点で「賀来さんでしょう?」と声をかけていただいた

2013年8月1日木曜日

しらす丼

今日は曇り空で、時折小雨が降ったりして、今年最高の蒸し暑さだった

昼食は皆でサッカー協会近くにある「和KAZU」へ
しらす丼が美味しかった

2013年7月28日日曜日

「山岳クライミング安全確保技術講習 理論編1」

何事にも基礎というものがあろう
あるいは無視できない原理原則といいかえてもいいかもしれない
クライミングのような物理的な危険と表裏一体の行為に関しては、少なくとも必ずある

そのような原理原則をきちんと理解したうえで、発展系やバリエーションがある

このクライミングの安全確保における原理原則の最も優先順位の高いコアの部分を息子に伝えなければならない
今日は午後から公共施設の一室を借り切って「山岳クライミング安全確保技術講習 理論編1」を行った

西丹沢 鬼石沢


土曜日に職場の親睦を目的とした7aハイキングクラブ一番の純情派であるN君を誘って、西丹沢の鬼石沢(大滝沢)へ行ってきた
妻は町内会の盆踊り大会の係なので山へは行けない


5時30分に東名高速下り線の港北PAでN君をピックアップ
愛車アウトランダー号は車検中で、代車の軽自動車で私がやってきたのでN君は驚いていた
大井松田の「すき家」で朝食

箒沢の少し手前にある大滝キャンプ場の所で左折して細い林道を峰山橋まで入り車を止めた

2013年7月26日金曜日

年報獨標1を手に入れた

年報獨標1を手に入れた
私のとっておきの古本屋の棚の上部にかなり以前からあったのは知っていたが、相当値が張るだろうなと思って手にとることもなかった

それがひょんなことから手に取ろうと思ったのである
そうしたら劣化した外箱の一部がはがれおちてしまった
こうなると買わざるを得ない

2013年7月21日日曜日

マルタとマリア

今日は参議院選挙の投票日
来週の土曜日は町内会の盆踊り大会なので、その準備をしなければならない妻を残し、母と息子の三人でカトリック西千葉教会の二番ミサに与った

2013年7月20日土曜日

夏の小川谷廊下

夏の定番「小川谷廊下」へ妻と行ってきた

F2と石棚手前のゴルジュの美しい滝にリングボルトが打ち込まれた
水量も少なく、今日の小川谷の遡行は著しく容易だった

石棚の巻き道には山百合が咲いていた

立間大橋の手前の駐車スペースで「賀来さんでしょう?」と私のブログの読者の方に声をかけていただいた
ありがたく思った

2013年7月17日水曜日

山百合咲く玄倉川

日曜日のカトリック西千葉教会二番ミサには母と妻と息子の三人であずかったが、今の私にはただ深く祈ることしかできなかった

ミサ後、私は奉仕活動があったので母と妻と息子の三人を先に帰し、12時過ぎに一人で炎天下を千葉駅まで歩いた
四街道駅に降り立つと息子が車でむかえに来てくれていた
昼時を過ぎていたので息子と二人で回転ずしへ行った

夜になって妻が落ち込んでいる私を励まそうとして明るく「明日はどこかへ行こう」と誘ってくれる

翌日、三連休の最終日
庭のアルミ鋳造の白いテーブルの上に干してある一昨日の水根沢谷で使用した装備を再び車に積み込み出発した

2013年7月13日土曜日

涼を求めて奥多摩水根沢谷へ


夏風邪がようやく収まったが、三連休は近場で過ごすことにしていた

さて、どこへ行こうかということになった
夏の猛暑には、やはりゴルジュ
東京近郊の幾つかの候補地から今回は奥多摩の水根沢谷を選んだ

2013年7月11日木曜日

夏風邪

御茶ノ水といえば「湯島聖堂」と「聖橋」そして「ニコライ堂」


土日と休日出勤
土曜日の朝の時点で少しのどが痛かった
日曜日はいつもの通り6時50分に出勤したが、のどの痛みは少しずつ増して行き、夜19時半にオフィスを出た時にはかなりの痛みになっていた
月曜日にはいったん出社したものの、このままでは寝込むことになりそうな気配だったので午後から半休にして帰宅した
翌火曜日になっても症状は改善しなかったが、水曜日に経営会議があってその資料を完成させなければならなかった
のどの痛みで飲食に不自由を感じるようになった

そして水曜日

2013年7月5日金曜日

山の食料計画


山の食事は「エネルギー補給」という機能であり、味は二の次と考えて食糧計画を立てていた私が変わり始めたのは、今から16年前に家族を山へ連れて行くようになってからだ

「インスタントラーメンのほかには砂糖でもなめていればいいかな」程度のメニューでは妻や子ともたちの胃は受け付けてくれないのである
なんとか妻や子供たちにおいしく食べてもらおうと工夫を重ねた。
その結果、日常生活で買い物に行く妻についてスーパーマーケットへ行き山の食事の献立の参考になる食材はないものかと探すようになった。
山の食事自体も楽しみの一つと考えるようになったし、工夫をするという行為自体が山登りのプロセスの一つととらえるようにもなった
だから、今となっては、たとえそれが日帰りの山歩きであっても
寒い時期であれば「鍋焼きうどん」を必ずと言っていいほど作るし、夏の暑い盛りであれば、冷たい清流にさらした「ザル蕎麦」をたべようと大きなコッフェルを担ぎあげたりする

2013年6月30日日曜日

山岳クライミング安全確保技術講習

いまどき、クライミングといえばインドアでのプラスティックホールドを登るロッククライミングならぬプラスティッククライミングをイメージする人も少なくないのではあるまいか

市販されているクライミング技術書の多くもこのような整備された環境下で行われるクライミングの安全性をいかに極限まで高めるかという点に意をはらって書かれている

息子も大学山岳部仲間とジムに行くし、部室にもクライミングボードがあるようだ
当然、ジムクライミングの影響を強く受けている

実際の山岳でのクライミングもおかれた環境を別にすればプラスティッククライミングと多くの点で共通するものがある

2013年6月24日月曜日

雨の上高地、絵描きの渡辺さん、音楽祭

毎週のように休日出勤が続いたが、ようやく区切りがついたので木曜金曜と代休をとって妻と四日間の日程で上高地へと向かった

6月20日
土曜日に山へ行って日曜日は前日使用した山道具のメンテナンスと消耗品や食料品の補給というのが、普通の土日の過ごし方だが、ここのところ日曜日は早朝から深夜まで仕事だったので、山道具の整理がほとんど出来ていない
必要な装備を整え食料を買出し自宅を出発できたのは11時

気になるのは天候
昨日の上高地は豪雨となって昼から上高地線が通行止めになったという
それを物語るように川幅一杯に濁った水が梓川を流れている
今年からアルピコ車庫前と停留場の名称が変更になった沢渡上の駐車場に車をとめ、16時7分のバスで上高地へと向かった

梅雨時のウィークデイ
閑散とした河童橋前の広場を突っ切って小梨平へと入っていく
先月のゴールウィーク時には冬木立だった小梨平のカラマツ林はすでに鬱蒼と緑の葉を茂らせている

小梨平に張ってあるテントは絵かきのおっちゃんだけで、自由にサイトを選ぶことが出来る
小川のほとりにあるいくつかのサイトには砂が堆積しており、昨日の雨で水をかぶったようだ
増水の心配がない場所を選んで設営
気象情報をチェックしてみると、明日は雨模様のようである

2013年6月16日日曜日

Rock&Snow45号 Being Bachar 「バーカーで在り続けるということ」



バーカーが世を去ってまもなく4回目の夏が来る

今週は土曜日、日曜日と休日出勤だったので通勤の読書用にバーカーの追悼号ともいえる「Rock and Snow」45号を再読しようと本棚から取り出して通勤用のバックに入れて電車に乗った

「Rock and Snow」最新60号のギュリッヒの記事を読み、あらためてジョンバーカーに思いをはせるのは私の心の中ではごく自然ななりゆきだった

2013年6月7日金曜日

Rock&Snow60号 エベレスト集団リンチ事件「シェルパに登らせてもらう山」 そしてギュリッヒのDNA



Rock&Snow60号が発売された
今号も非常に興味を引く記事があった

一番目は
池田常道氏の連載「ON THE SCENE」で取り上げられた「エベレスト“リンチ”事件の顛末」である
クライミングを少しばかり深く知ると、最先端のクライミングの一つ一つには歴史を踏まえた必然性というものがあることに気がつく
例えばRock&Snow60号の表紙を飾る19歳のドイツ人少年アレクサンダー・メゴスの5.14dオンサイト
この「メゴスのオンサイトクライミング」と「1786年のバルマとパッカールによるモンブラン初登頂」は切れ目なく連続した歴史の必然性でつながっている
それは本質的には「プロセス重視」という考え方に沿ったものであるが、一般の人たちにとっては易から難への連続性と言い換えた方が理解しやすいかもしれない 

2013年6月2日日曜日

日曜日の過ごし方 ファイントラックの下着

先月の状態が継続しており、またもや日曜日は休日出勤
社内情報システムのデータが更新されない土日にしか作業が出来ないからである

朝5時、山へ行くという息子を駅へ送ってから朝食をとり、7時6分の快速電車でオフィスへ向かった

8時に御茶ノ水へ到着するとどんよりとした曇り空である
8時10分デスクについて、まずは今日一日の作業工程表を作る。工程表によると最終工程が終了するのは今日も22時と見積もられた。
昼食もとらずに作業を続け、14時半にあるファイルのアップロード作業を開始したところ、突如メインシステムがダウン
PCをリブートして再ログインしたが復旧しない
アップロードしようとしたファイルに問題があるのかもしれない・・・どうしよう
明日朝一番で情報システムの担当者に復旧を頼むしかないかもしれない

コンティニュアスクライミング再考


コンティニュアスクライミングの「大阪府山岳連盟登山技術委員会の主張」が気になったので山道具用のプレハブ小屋にしまってあるホコリをかぶった段ボール箱の中から、古い「岩と雪」を引っ張り出して再読してみた

都度ごとに落下方向を想定して岩角にロープを回したり、あるいはピナクルや灌木にタイオフしてランナーをとりながら登り、手持ちのランナーが尽きたらパートナーに追いついてもらいギアを回収する
このようにして登ればコンティニュアスクライミングもそこそこのリスク回避ができると思う

2013年6月1日土曜日

某所・某山で梅雨の晴れ間の山歩き

先週、関東地方の梅雨入りが宣言された
今週も土曜日は良い天候に恵まれた

いつものとおり妻と二人で某所・某山へ出かけ、一日遊びほうけた

2013年5月27日月曜日

湯島天神の祭と禁断の・・・


社内情報システムに関連するデータを扱ったら普通の社員の少なくとも10倍、ひょっとすると100倍近く仕事が速いのではないかと、うぬぼれている私が4月から毎日15時間以上取り組んでいるにもかかわらず、終わらない仕事がある
そのような事情があって今月もすでに休日出勤三日目となった

一心不乱に28インチのPCモニタに向かっていると、にぎやかな太鼓と笛の音が聞こえはじめた
4階の窓から通りを見下ろすと湯島天神の祭りである
お囃子に誘われるようにして外に出てみた
初夏の日差しがまぶしく、思わず目を細める

2013年5月26日日曜日

初夏のおもむきとなった筑波山


当初、息子に正しいスタンディングアックスビレイを教えようと富士山の5合目へ行こうと計画していた
ところが、個人山行は大学山岳部のコーチ会の許可を得なければ実行できないのだという
それはもっともな話である
とりあえずロッククライミングのビレイと雪上技術の講習を目的とした個人山行の申請をしておくように告げ、息子を自宅に残し、妻と二人で筑波山へ向かった

出発が6時半と遅かったこともあっていつもの筑紫湖到着は8時50分
仕度を終えて出発出来たのは9時20分だった

今日は少し工夫をしてある
それは水の入った2リットルのペットボトルを私が4本、妻が3本をザックの底に入れてきた
こうすることによって不足している筋肉の補強になる
それだけではない 重い荷を背にして登った充実感がある

2013年5月22日水曜日

ようやく春をむかえた札幌

札幌の都心部に位置するとは思えないような景観が広がる北海道大学構内



久しぶりに札幌を訪れ先ほど帰宅した

職場のハイキングを通じた親睦グループである「7aハイキングクラブ」の悠子隊員が札幌へ転勤してからかれこれ7ヶ月が経過する

朝一番のANAで羽田を立ち、札幌到着は9時
11時までに札幌のオフィスへ入ればよいので徒歩で北大の構内を突っ切ってオフィスへと向かった

北大のキャンパスは広大な自然公園のような趣である
木々はちょうど芽吹きの時期をむかえており白樺や楡、あるいはカラマツ・・・・まるで上高地を散策しているかのようだ

2013年5月20日月曜日

7名で露営 新緑の渓 西丹沢 檜洞



新緑の金山沢出合のビバークサイトにて



昨年の11月、紅葉の頃に檜洞を訪れ、その静かなたたずまいに心癒される思いがした
この森と谷が新緑をむかえたらどんな景観になるのであろうか
そんなことをすぐに想像した

そして先週の土日の二日間を費やして、7aHCのメンバーとたっぷりと緑したたる山を堪能してきた
滝らしい滝は2カ所のみで沢登りというよりも大半は河原歩きで、沢歩きという表現がしっくりとするがアプローチに危険個所がある


週の初めから週末の悪天を告げていた天気予報
スーパーコンピュータで予測データを算出していると聞いているが、自然の複雑な動きには太刀打ちできないということであろうか
うれしいことに晴天となった

2013年5月7日火曜日

GW後半 焼岳と息子の剱岳GW合宿 そしてコンティニュアス大阪方式を考える

ここのところ毎日15時間を費やしても仕事が終わらないという日々が続き、決行が危ぶまれた53日から始まるゴールデンウィークの後半
職場の仲間の協力を得てなんとか乗りきることができ、無事GW後半も山へ行けることになった

53
GW後半の初日である53日に山仕度が終わって自宅を出たのは正午だった
ところどころで渋滞に巻き込まれ、沢渡到着は1730
すでに上高地への最終バスが出た後である
仕方がないので、昨年のGWにお世話になったアルピコタクシーの赤岡さんへ電話して迎えに来てもらい、なんとかかんとか小梨平へ入ることが出来た

19時前にベースキャンプの設営が完了し、明日の行動予定を検討する
もし、明日ワンデイを行うとすれば次の二つの条件が必要だ
   1.24時間の快晴が見込まれること
   2.23時に起床し1時に出発できること
残念ながら二つとも満たすことが出来ないので、明日はとりあえずワンディは諦めて軽いハイキングで足慣らしをしようということになった
足慣らし向けの軽いハイキングコースとして選んだのは焼岳
この山なら昼過ぎにはベースキャンプへ帰着できるだろうと思ったのである

2013年4月30日火曜日

GW前半 いつもの那須で出会った「おとぎの国」

ゴールデンウィークに那須連峰の稜線がこれほどまで雪をつけているのは珍しい


例年通り今年もGW前半は母のリクエストで那須

27日
初日は予想していた渋滞もなく13時過ぎに戸田交差点に到着
風が強く気温も低い
いつものサイトにテントとタープを張ったが強風にあおられてタープの下での炊事はとても出来ない状況
夜半から豪雨となりモンベルのムーンライトは天井からの漏水でシュラフが水浸しになる


28日
晴れるには晴れたが気温は低く風も強い
那須連峰の稜線は真っ白に雪化粧して真冬のような様相である
朝日岳東南稜を予定していたが、この状況ではやめたほうが良かろうと思い、雪のないコースを再検討する
そして選んだのが板室温泉から沼原へと至るもの
沼原までは立派な車道が通じており、それゆえ徒歩で登ろうと言う人は、よほどの物好きに限られだろう
ということはめったに人に歩かれることない静かな山旅ができる可能性があるということだ
この期待は裏切られることはなかった
最近人の入った形跡のない穏やかな沢筋にはキクザキイチゲやカタクリ・ニリンソウなどが咲き乱れ「おとぎの国」のような風景が広がっていた

2013年4月22日月曜日

あしびき創刊号

ハッピーさんに教えてもらった古本サイトで「あしびき創刊号」を入手することができた

A5版のわずか138頁の小冊子ではあるが、その外観とはうらはらに、期待通り内容はずっしりとして、深い感銘を受けた

昭和36年(1961年)に発行されたもので、編集責任者を務めた松永さんは28歳
この年、私は大分県中津市で5歳を迎えており、妻は稚内で2歳
世相を調べてみると坂本九の「上を向いて歩こう」が大ヒットした年であり、その年末年始は豪雪だったという
その豪雪の中でむかえた国学院大学山岳部の冬山合宿




2013年4月21日日曜日

小雪舞う筑波山で職場の親睦ハイキング



昨日、土曜日は職場の親睦ハイキングを筑波山で行いました
20名の大所帯だったので、3班に分かれて御幸ヶ原で落ち合うというもので、本格的な登山の世界では「集中登山」と呼ばれる登山形式でした
職場では親睦ゴルフコンペというものが実施されますが、ゴルフをしない人も少なくありません。というよりも女子社員を含めなくてもゴルフをしない人が過半数というのが実態でしょう
参加できる人が限定されてしまうゴルフよりも、はるかに敷居が低く、多くの社員が気軽に参加できる親睦ハイキングというものがあっても良いのではないでしょうか
軽いハイキングであれば特別な装備は必要ありませんし、メタボなオジサンも日ごろの運動不足解消のきっかけになるかもしれません

金正恩、TPP、尖閣諸島、欧州通貨不安など日本を取り巻く環境は予断をゆるしませんが、そのような懸念をひと時忘れて、野鳥の声や梢を渡る風の音に耳を澄ませ、足元に咲いた山野草の小さな花弁や、まさに芽吹こうとしているブナの枝に目を凝らし、冷たくて清浄な大気を胸いっぱいに吸い込んでリフレッシュしようと出かけました

2013年4月16日火曜日

越後駒ヶ岳と八海山

越後駒ヶ岳と八海山

昨日、日帰りで新潟を往復した

大学生の頃、山登りを続けるなら学費は出さないと両親に反対され、「学費はいらない、そのかわり山登りに口出しするな」と言い放って家を飛び出し、一人暮らしをしながら学資と山行費用を捻出するために土木工事現場で働いた

なんという親不孝もの

そして働いた工事現場のひとつに上越新幹線のトンネル工事がある

2013年4月14日日曜日

思い出に残るであろうこの一週間


金曜日から今日まで3日間、横浜で大きな展示会
山を歩いている分には5時間歩いてもどうという事はないけれど、一つところに立っていると2時間でも辛い

山に行かない、行けない一週間となったが、それはそれなりに思い出に残ることがいくつかあった

まずは、火曜日の妻の一人旅だろう

2013年4月7日日曜日

桃源郷の山 兜山

桃源郷を走る「あずさ9号」


4月6日土曜日は妻と青春18切符を利用して甲府在住の細田さんと久しぶりの山歩きとなった

数日前から天気予報では週末の爆弾低気圧の発達を予告していたので、暴風雨の場合には温泉に入ってワインでも飲んで過ごすことにして、まずは甲府盆地へ行こうということになった

春の甲府、特に盆地の東側半分は桃の花が咲いてまさに桃源郷となる
例年は4月の中旬からが見ごろだが、今年は桜の開花が早いので4月第一週の土曜日に計画となった
しかしながら今年の桜の開花が異常なほどに早かったのと同様、桃の花の開花も早かったようですでに盛りは過ぎていた。それでも咲き残った桃の花が絨毯のように広がっていた

雨にもほとんど降られず、ゆったりとした休日を過ごすことができた

2013年3月31日日曜日

ツェルマット、コルチナ、ク-ルマイユール、そしてシャモニの教会でも行われたであろう「光の祭儀」


筑波山から帰宅して大急ぎで風呂に入り、ネパール合宿から帰国したばかりの息子を誘って、母と妻と4人でカトリック西千葉教会へ向かった

ついこのあいだも記述したことだけれども、日本ではクリスマスがすっかり定着したけれどイースターすなわち復活祭を知る人ははるかに少ないと思う
実際のところイースターを「七面鳥を食べる感謝祭ですよね」などといわれたことがあるが、このような理解は戦勝国アメリカからの強い影響ゆえかも知れない
復活祭は教会における典礼の頂点に位置するものでニューヨーク証券取引所も聖金曜日は休日だという

2013年3月30日土曜日

0.5℃の冷たい雨模様の筑波山


「ニューヨーク証券取引所は復活祭前の金曜日のためお休みです」とNHKのニュースが告げている
復活徹夜祭へ行くためには16時には帰宅しておきたい

どんよりとした冬空だが国土交通省防災情報リアルタイムレーダーを見ると関東平野に時間当たり1mmを越える雨雲はかかっていない
ヨシ!筑波山へ行こうと決めて自宅を5時に出た

筑波研究学園都市を突っ切っていくと霧雨状態
筑波山も深いガスにおおわれて姿を見せない
筑紫湖まで上がってみると霧雨というにはやや強い雨で小雨と形容できる雨脚だ
なるべく短いコースが良かろうと男の川道を登って御幸ヶ原からユースホステル跡へのコースを選択

2013年3月23日土曜日

東筑波ハイキングコースとおたつ石コース

自然研究路の石段に咲いたスミレ


水曜日に続いて今日土曜日も筑波山だったが、たった三日のうちに花がちらほらと目に付くようになった

朝6時15分に四街道を出発
つくば学園都市の中心部を突っ切って、筑波高原キャンプ場の駐車場に車をとめる

4月20日に職場の親睦ハイキングを筑波山で実施予定なので、コースの下見を兼ねていくつかのコースを再チェックしようという目的もある

職場の親睦ハイキングは山道を歩きなれないメンバーも含めて20名前後の参加が見込まれているので、同一のコースを1パーティーとして歩くには無理がある
隊を二つか三つに分けるのが賢明だろう

その中で最も心肺的負荷の軽いコースとして、東筑波ハイキングコースをつつじヶ丘まで歩き、そこからロープウエイで女体山の山頂へ向かい、御幸ヶ原でもう一隊と合流し、花の美しいコースを全員で下山するというプランを考えた

今日は、そのコースを実際に歩いてみようというのである
筑波高原キャンプ場から仙郷林道を経て東筑波ハイキングコースへ入って広根場林道からつつじヶ丘へ一旦出る。
さすがに今日のところはロープウェイには乗らず、「おたつ石コース」で女体山へ登り、筑波山自然研究路を時計回りに歩いて、男の川沿いにくだろうというもくろみである

2013年3月20日水曜日

「静かな瞳」 キクザキイチゲ咲く

花言葉は「静かな瞳」


春の花の中で最も好きな花の一つがキクザキイチゲ
カタクリに先立つようにして咲く


昨日は暑いくらいの陽気で自宅近くの公民館の「ソメイヨシノ」も三分咲きとなった
ひょっとすると筑波山のキクザキイチゲが咲き始めているのではあるまいか

そう思うと左足の火傷の痛みもさほど気にならない
いつもの通りの支度をして朝6時に妻と二人で自宅を出た

2013年3月18日月曜日

陽春の谷川岳

今年は近年まれに見る寒い冬で日本海側では記録的豪雪となったが、3月初旬になってから俄かに春めきはじめた
先週の御前山では汗ばむような陽気で、翌日の日曜日には東京で今年初めての夏日を記録した

そして今週も土日の好天が予報されている
それではということで雪洞を利用して妻と谷川岳に行ってきた
横に水平に入るクラックが気にかかるのは私だけか・・・

2013年3月12日火曜日

「アイヌねぎ」が近くのスーパーに


昨日はあわただしく名古屋を往復したが、新幹線の車窓からは丹沢と富士がよく見えた

2013年3月10日日曜日

「青春18きっぷ」で訪れた奥多摩

御前山避難小屋


千葉から奥多摩や中央線沿線方面への山登りに最適な「青春18きっぷ」というものがある
1980年代に伊豆の城ヶ崎海岸へ通う為に使ったことがある
料金が安い上に伊豆は交通渋滞が激しいこともあって、所要時間を読める列車利用は大きなメリットだった

昨日、妻と二人で奥多摩を訪れるために、久しぶりに利用した

2013年3月8日金曜日

Rock&Snow59号とネパールからの国際電話


Rock&Snowの最新刊にもいくつかの素晴らしい記事があって、鳥肌が立つような感動を覚えたので記述したい

まずは、この年末年始に行われたビッグクライム、黒部横断の2本である
一つは上ノ廊下を横断して上ノ黒ビンガを登攀して鍬崎山へと抜けたもの
そして、もう一つが十字峡付近を横断して八ツ峰を縦走したというものであった。
冬期に上ノ黒ビンガを登攀しようとする着想自体に驚愕を覚えるが、さらに腰を抜かさんばかりに驚いたのは八ツ峰縦走である

2013年3月3日日曜日

巨大風車と加波山


先週は妻の風邪と私の食あたりで散々な週末だった その前週はぎっくり腰だった

昨日土曜日は休日出勤だったので今日の日曜日はなんとしても山歩きをしたいと朝5時半に妻と二人で自宅を出発した

二週間ぶりの山歩きである

2013年3月2日土曜日

0:20発 バンコク行き タイ航空・ANAコードシェア便

息子のネパール合宿だが成田出発かと思っていたら羽田発だという
深夜0時20分のフライトなので仕事が終わってから羽田空港国際線ターミナルへ向かった

電光掲示板を見るとタイ航空とANAの共同運航便でBカウンターのようだ
下のほうには1:10フランクフルト便が見える

離れた所からBカウンターを見るといたいた・・・
おそろいのパタゴニアの大型ダッフルバックにICI石井のガッシャー