2016年2月28日日曜日

妻と印西



今日は13時から17時の予約ということで印西の壁は混むのではないかと思ったが、15人程度
テレビ朝日の「たけしのスポーツ大将」撮影に印西の壁を使用したのでホールドがすべて入れ替わっており、3月末には全日本選手権がおこなわれるので、短い間隔でさらに一新される
登れなくとも、現時点での日本のスポーツクライミングの水準に触れることのできる印西は他の公共クライミング施設にはない特徴だとおもう

2016年2月27日土曜日

春の暖かさを感じながら


新橋駅での人身事故の影響で総武線快速が遅れ10時半に錦糸町へ到着した
すでに島田教授や福田さんが登り始めていた

2016年2月21日日曜日

再会



昨日の投稿で金子由香利の「小雨降る径」を久しぶりに聴いた
学生時代から山登りを8mmフィルムで撮影することをしていて、そのBGMにこの曲を使って観ていた 衝立岩正面壁や奥鐘山西壁などの登攀シーンとこの曲がダブって回想される
それからしばらくして社会人になって金子由香利の「再会」を知りLPレコードを買った
とてもせつない詩だ
妻と知り合う以前のこと
YouTube上で金子由香利が歌う「再会」を容易に見つけることが出来るだろうと思っていたが動画については見つけることが出来なった

2016年2月20日土曜日

小雨降る径


雨の帰り道を歩いていると学生時代に好きだったシャンソンの名曲「小雨降る径」を思い出す

昨夜、帰宅すると山と渓谷社から封書が届いていた
最近原稿も書いていないし、なんだろう?と開封してみると「近藤等先生を偲ぶアルプスの会」の案内状だった

2016年2月8日月曜日

佐田の墓に参る


午後から祖父団二の生家へ行った
安心院にある佐田という集落にある
安心院と書いて「あじむ」と読むが、よい響きだ
幕末の頃に団二の祖父賀来惟熊が私財を投じて反射炉を築き大砲を鋳造したという話は幼い頃から聞いていた
佐田には幾たびか訪れているが、廃墟と化した三階建ての家屋に往時の家の隆盛をしのぶことが出来るし、売却された家屋の一部は湯布院に移築され「庄屋の館」という旅館になっている
国東の旧家である重光家は、この家屋を真似て国東に三階屋を建てたという
財にまかせてこのような家を建てるとは賀来も重光も少々成金趣味的なところがあるように思え少なからず悪趣味の感がある
そういう点では同じ大分の旧家でも母の実家である「湯屋」や母方の伯母の嫁ぎ先である「小袋」は賀来と異なって品がある

2016年2月6日土曜日

院殿 宇佐神宮 羅漢寺


中津の「宝来軒」というラーメン屋に出会ったのは大学生の頃だったように思う
こんな美味いラーメンは他にはないと思い、毎日昼食には湯屋から自転車で日ノ出町にある「宝来軒」へ通って食べた

その後、宝来軒はチェーン店化し、お家騒動で紛糾したりして、味ががた落ちとなった
賀来のバイパス沿いに宝来軒の支店が出来たので、帰省のたびに食べているが、昔の宝来軒を知っている私には不味いと感じられる

午後から伯母の嫁ぎ先である小袋へ行った
数ある親戚のなかでも私にとって小袋は特別な存在だ

2016年2月5日金曜日

いまおんせん県 大分にいます


2月5日午前中に86歳の母と二人で大分空港に到着した
大分へは年に2回は帰省しているが昨年は怪我もあって2月に一度訪れただけに終わってしまった

空港でレンタカーに乗り込み中津へ向かう途中に国東の重光へ立ち寄った
母の姉の嫁ぎ先である重光の三階建ての家屋は涛音寮として保存され、従姉妹の木の実ちゃんが管理している 涛音寮で蛸飯をご馳走になり重光の墓に参って重光をあとにした

駅館川を渡って中津へ向かっていくとやがて八面山が見え始める
中津に帰ってきたことを実感させてくれる風景である