十日前に、古い山仲間である山岳同人一同心のメンバーと病室を訪れました。
すでに終末医療の段階でしたから、別れの日の近いことは覚悟していました。
私は山と渓谷社の「ヒマラヤ アルパインスタイル」という分厚い写真集を持って病室を訪れました。
彼が執拗にアタックを繰り返したテレイ・サガール峰の素晴らしい写真が掲載されているからでした。
古い山仲間たちと彼のベッドをかこみ、山の話をしました。彼は涙を流しながら喜んでくれました。
私は遠藤甲太氏と対談したことも伝えました。なぜ山に登るのか?山が私たちを魅了して止まないその本質とは何か・・・・。そんな話を静かにしました。
容態の些細な変化も私に知らせてくれるように一同心のメンバーにお願いしました。
今日、仕事中に携帯電話のディスプレイが点滅しました。そこには一同心の宮崎さんからの電話であることが表示されていました。ついに覚悟していた時が来たのを知りました。
ヒマラヤニスト
木内 聡、2007年12月4日没。
長女敦子と共に落胆する。