2012年3月21日水曜日

「都一の中華そば」に相性抜群のスープ


千葉市内で製造されている「都一」の中華そば。以前にも紹介したことがありますが、この麺のうまさは絶品であります。
ところが、この麺にはスープが同梱されていません。
前回はヒガシマルのラーメンスープの素を使いましたが、ふつうの醤油ラーメンの仕上がりとなってしまいました。もちろんこれでも麺のうまさを堪能するには充分なものがありましたが、スープが貧弱すぎました。

ここのところ山に行けない日々が続いていますが、暇つぶしに山に使えそうな食材をネットで検索していると「インスタントラーメンを美味しくする方法」をみつけ、更に手繰っていくと「タモリ流レシピ」というものに行き着きました。
簡単に紹介すると通常のインスタントラーメンを付属のスープは使わずに調理するといったものです。麺の秀逸さでは他に類をみないほどの逸品である「都一」と組み合わせたらどうなるのだろう?と思いました。
それでさっそく試してみました。ヤオコーで都一を買い求め、タモリ流レシピにある調味料を補充し作りました。

妻や子供たちにも食べてもらいましたが好評。いわゆる魚介系ですね。
山では麺の湯切りは燃料と水の浪費となるので、あえて湯切りはしないで、麺を茹でた湯でスープを作りましたが、若干ですがにおいが気になりました。

水と燃料が豊富なベースキャンプでは湯切りしたほうがベターです。

2012年3月7日水曜日

大阪出張



2月13日は昼食の時間も充分に取れないので事務所近くの牛丼や「すき家」で3分間昼食。その時のサラダのドレッシングに腐臭を感じた。そして夕方になってから気分が悪くなった。
帰宅して就寝してから嘔吐が始まった。
結局、すべてを吐き出してしまい胃の中は空っぽになった。水を飲むとすべては水のような下痢となって排泄された。
とてつもない寒気に襲われ体中が冷え切った感触で眠れない。

普段の私は新陳代謝が活発なせいか布団の中に入っても足先が熱を持ったようにぽかぽかとしている。これが湯たんぽ代わりになるということで、妻が足先を私の足先へ押し付けてくる程だ。ところがこのときは氷のように冷たく眠れない。背中がバリバリと音を立てるように痛くて背を丸める。

翌日は最悪だった。私が主催する打ち合わせが横浜であって早朝から新横浜へ行った。横浜の事務所では椅子に座っていること自体がつらいがファシリテーターを何とかこなした。
熱はなかったからノロウィルスだったのかもしれない。症状は5日ほど続き徐々に緩和したが風邪のような症状はかえってひどくなった。咳と鼻水が続きつらい。それでもファシリテーターとしての出張は続く。
14日は夜に岡山、15日は岡山から広島。20日仙台日帰り。21日早朝から大宮。22日は夜遅くまで東京湯島で会議となって帰宅は23時。28日29日は鹿児島。3月1日は京都神戸3月2日は大阪。

たまりかねて3月3日土曜日に医者へ行った。当初肺結核を疑われたが気管支炎とのことで抗生物質をもらって帰宅。ドクターが言うには「数日間ゆっくりと休んだ方が良い」とのこと。

すでに四旬節だが教会にも行かずひたすら布団の中で体を休めたが、治らない。

それで今週3月5日月曜日からすでに絶不調でスタート。3月6日7日と大阪で重要な会議。宿泊したホテルが偶然「カトリック玉造教会」の近くだったので早朝ミサにようやく行けた。
カトリック玉造教会は大阪大司教区のカテドラル聖堂を有し、聖堂は「大阪カテドラル聖マリア大聖堂」と称する。私たち夫婦が結婚式を行ったのは「東京カテドラル聖マリア大聖堂」で司祭は西千葉教会の吉川神父さまだった。
「大阪カテドラル聖マリア大聖堂」の玄関の左右にそれぞれ高山右近、細川ガラシャの像があり、大聖堂の祭壇正面には日本画とおぼしき大きなマリアが描かれている。

早朝7時からのミサは主日ではないためか小聖堂で行われた。信者は12名。祈りの内に幸せなひとときを過ごすことができた。

明日は早朝から新横浜、その後仙台。肺炎にならぬよう祈るばかりだ。