2013年10月24日木曜日

「直登ルートデポ品発見」と「北鎌沢左俣の捜索」



各地の山々で初冠雪の便りが届き始めたのは先週のことだ。
冬の到来は秒読みとなった。

10月11日に予定されていたヘリコプター捜索が天候不順もあって延期となり、次の候補日であった10月16日も台風の直撃を受け延期となった。

捜索関係者は落胆を隠せないが、10月11日は風が強く穂高では一機のヘリコプターも飛ぶことはできなかったし、伊豆大島で多くの人命を奪った台風26号の直撃を受けた10月16日はヘリ捜索など論外だった。

とはいえ、10月に入った三週間の間にも中西夫妻や栃木、茨城、千葉、岐阜、奈良など各地から集まったメンバーによる捜索が行われ、少なくともふたつの進展があった。




1.デポ品の発見
厳冬期の北鎌尾根に執着していた土橋はガスカートリッジと非常食を三箇所にデポしていた。デポを行ったのは10年以上前である。土橋は今回の入山がデポ品の回収を目的としていることを周囲に告げていた。10月13日そのうちの一つである独標直登ルート上のものが発見された。
いうまでもなく、これより先に土橋は登っていない可能性を示唆するもので、手がかりらしい手がかりのほとんどない状況下で貴重な発見となった


2.北鎌沢左俣の捜索
北鎌沢左俣には遅くまで雪渓が残り、その雪渓のラントクルフトに落ち込んでいるがために初期のヘリコプター捜索で発見し得なかったのではないかというのは関係者の一致した見方だった。
10月13日に独標直登ルートでデポ品が発見されたことにより北鎌沢左俣の重要性はますます高まっていた。
とはいえ急峻で雪渓崩壊と落石が集中するこの場所は安全管理上の問題からヘリコプター捜索の対象という位置づけとしていた。
もしヘリ捜索の前に深い根雪を迎えたらどうなるのか。
それは越年を意味する。東鎌尾根周辺でも有効な捜索活動が再開可能となるのは来年の7月、北鎌沢左俣にいたっては雪崩によって痕跡は拡散し、さらに深い雪の中に埋没する。これらを確認することができるのは9月以降となる。
そんな中で村田と齋藤がどうしても北鎌沢左俣上部へ入りたいという。当初私は反対したが通信手段の確保を条件として送り出した。
川崎市在住の佐藤氏を加えた三人は18日冷たい雨をついて入山し水俣乗越を越えて間ノ沢出合にBCを設け、19日に左俣の2600m付近まで捜索した。無線機による中継を経て捜索状況はほぼライブに近い状態で逐一関係者に配信され、かわりに下界にいる辻からは3時間おきに気象情報が現場に伝えられた。
悪天下の苦しい捜索だったと思われるが、根雪となる前に左俣の核心部の洗い出しがほぼ完了した意味は計り知れないものがあった。



捜索用リファレンスマップ上の北鎌左E沢出合下部 撮影:村田






標高2600m付近 撮影:村田



標高2400m付近 撮影:村田



ヘリコプター捜索の日程
松本警察署の岸本警部補のはからいで二日間を確保していただいた。すなわち10月30日、予備として31日が予定されている。
雪が来る可能性は高まったが、捜索範囲を絞り込むための材料がまったくない状態であったのも事実である。
二週間延期になったことで、上記捜索が可能となり、デポ品の発見や左俣捜索だけでなく、北鎌尾根稜線上の転落方向の想定や発見難易度評価、あるいは東鎌尾根の天上沢側の一歩踏み込んだ捜索によって、何がしかの絞り込みが出来るようになった

29日は仕事が終わったらそのまま新宿へ向かい22:30の夜行バスで上高地へ入る。翌30日の捜索が31日に順延された場合には上高地に一泊することになるだろう
もし彼を発見出来たら、捜索用の掲示物や目印のビニールテープ撤去などの後始末を行いたい

今日、角掛から30日の好天を祈るようなメールが届いた
ご家族の方々を筆頭に関係者の誰もがおなじ思いで30日を待っている

10月に入ってからの三週間で捜索に入ったメンバーは以下14名
  • 第一週 天上沢 千葉:中西夫妻
  • 第二週 本隊 栃木:谷川、川面 茨城:藤枝 千葉:尾崎、西村、川崎
  • 第二週 北鎌 千葉:賀来素明/幸子
  • 第二週 北鎌 奈良:河村
  • 第三週 北鎌沢左俣 岐阜:村田 千葉:齊藤 神奈川:佐藤
以上敬称略


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以下、10月13日にデポ品を発見した私たちの捜索活動のあらましを記述したい

10月11日
本隊は明日12日から入山だが、私と妻は一日早く上高地へ入った
11日と12日の天候予測は芳しいものではないが13日14日は快晴ほぼ間違いなしという分析を安藤が伝えてくれていた。
なんとか11日・12日をしのぐことができれば、大きな収穫が期待できると思うと少々の悪天は甘受しなければなるまいというような覚悟で沢渡に到着した。

あいにく沢渡は強い雨に叩かれていた。
雨脚の弱くなるまで二時間ほど待って上高地行きのバスに乗った
河童橋から仰ぎ見る穂高は急速に雲が切れて青空が広がっていくが風が強い
当初の予定では今日11日はヘリコプター捜索の予定日だったが、風が強くヘリコプターが飛べるような状況ではない。三連休を前にして荷揚げができないため稜線上の各山小屋は頭を抱えていることだろう
第二回遭難対策会議のあと風邪をこじらせ先週まで抗生物質の投与を受けていた私は必ずしも体調が万全ではなく、体への負担が過度にかからぬようにゆっくりと山の奥深くへと足を進めていく


一ノ俣谷を過ぎるころから晴れ渡っていた空が曇りだし、ババ平へ着く頃にはパラパラと雨粒が落ち始めた
テントを張ってマットを敷いて一息ついたころから雨は本格的なものとなり、ついには豪雨となった

谷川からメールが届いた。本隊を二つに分け、一隊を天上沢へ派遣するとのこと。先週の中西夫妻の捜索結果を受けての配置である
しばらくして上田から気象情報がメールで届いた。
明日一日耐えれば明後日からは快晴というのは間違いないようだ
激しい雨は夜半には止み、変わって強い風が吹き始めた
しかしながら予想したほどには気温が下がらない
つまり寒冷前線の本隊がまだ通過しきれていないのだろう
寒冷前線が通過すれば好天がやってくるが、それは低温と一緒に降雪をもたらすだろう


10月12日
幸いにもまずまずの朝をむかえた
土砂降りの雨があがって強い風が吹いている
ババ平から槍沢はダケカンバの黄葉をむかえていた
今日は水俣乗越を越えて天上沢へ下り、北鎌沢を登り返して北鎌沢のコルまでの行程である
本隊は5時頃に上高地へ入ってババ平で隊を二つに分け、一隊はババ平BC、本隊は殺生ヒュッテ又は槍の肩まで登ってBCを設営し13日から始まる快晴下で北鎌平のデポ品捜索を実施する計画になっている


彼らはとてつもない歩行速度で登ってくるのでぐずぐずしていると大曲にたどりつく前に追いつかれてしまうおそれがある
それではあまりにも情けないけれど、それが私の今の体調でもある

大曲から水俣乗越へと登っていくが雲の流れは速く水俣乗越には強い風が吹き抜けていた
これから天上沢へ下降することを妻の携帯を借りてメールで知らせる
ここから天上沢へ下ってしまうとDOCOMOの通話圏外となるが、明日には本隊が入ってくるので、あらかじめ知らせていた433.180MHZでコールしてくることを期待して下降を開始する
間ノ沢出合のかなり手前から小雨がパラつきはじめた
水俣乗越から二時間を要して北鎌沢出合に到着
さっそく9月5日に村田、齋藤パーティーにより確認されたデポ地点を探す
ところがデポ地点が確認できないのである
しばらく探しまわったが場所を特定することはできなかった
あきらめてザックを背負いなおし早速北鎌沢を登り始めた
右俣の分岐点に達する前に本格的な雨が降り始めた
それは無視できないほどの雨脚で10月という季節を考慮するとこのまま登り続けるのはためらわれた

秀山荘製の超軽量タープを素早くかぶって妻と岩陰にしゃがみこむ
雨粒が叩きつけ、強い風でタープがあおられる。

明日13日は快晴間違いなしなので、なんとかして北鎌のコルへ上がりたい
そう思って雨脚が弱くなる合間を縫うようにして登高を継続する
しかしながらすぐに雨脚は再び強くなる
そうするとタープをかぶって再び雨をしのぐ

やがて雨は雹に変化した
気温が下がり始めたのである
つまり寒冷前線の本隊が通過しようとしているのであろう
こまめにタープや岩陰に避難することを繰り返しながら少しずつ高度をあげていく
使命感に支えられた覚悟と明日の快晴が予測されていなければとても登る気のしない登高だったが、あっけないほど簡単に北鎌のコルに到着
早速コルの両端にある灌木にロープを張ってタープをセットし、その下に小型テントを設営
テントの中に入って炊事をしていると外は本格的な雪となった
通常は降雪と融雪をいくたびか繰り返しながら根雪となるが、場合によっては一気に多量の降雪にみまわれ根雪となることもある
ただし今回は寒冷前線の通過に伴う一時的な雪であることがわかっていたので、さほど心配することもなく就寝した



10月13日
夜半から快晴になっていたことは知っていたが風が猛烈に強い
ふと目覚めると5時半 のどが痛い
風邪がぶり返したのかもしれないが、とてつもない寝坊をしてしまったことになる

降雪が少ないことは予測していた通りで、この程度の積雪ならばグランドジョラス北壁を登ったことのある私には登高の妨げにはまったくならない

昨夜北鎌沢出合に泊った登山者が次々と登ってくる。話を聞くと一部を除いてそのほとんどが北鎌尾根は初めてだという。彼らはそのいでたちから山慣れしていないことが手に取るようにわかる。彼らは決まったようにオスプレイやグレゴリーのザックを背負っている。
このように雪のない時期の北鎌尾根は経験の浅い初級者でごった返しているのである。

転落方向の予測と発見難易度評価をナレーションにして動画で記録しながら登っていく。

まもなく天狗の腰掛を経て独標下に到着
すでに9時なのでさすがに本隊の誰かが東鎌尾根、あるいは槍ヶ岳の山頂に達して北鎌平周辺にいるだろうから無線通話ができるだろうと433.180MHZで通話を試みるが応答がない

ローソク岩の右側をたどる登山道は崩壊しておりフィックスロープを頼りにトラバースし直登ルートの取り付き点に立った。
直登ルートには12年前にはなかったスリングがチョックストーンに残置されている
このチョックストーンとスリングが抜けたらお陀仏だから、これらを頼りに登ることはとてもできない相談なのでザックをあとから釣り上げることにして、空身でクリア
左のダケカンバに自己確保して妻をむかえる
ここからさらに5mで直登ルートの出口である

思い出深い手すり状のハイマツが右に見えるが、このハイマツは年年歳歳枯死が進行しているようで、すでに心もとない状態にある

そこでハイマツには手を触れず左のダケカンバを利用して終了点に這い上がった

後続する妻がビレイ解除をするまでの間に、見当をつけていた岩の突起にデポ品を探す
予想に反して見つからない

この場所以外には考えられないのだが・・・と思いながら小さな小石を取り除いて、砂利を払うとそれはあった

「土橋さん見つけたよ」
土橋らしい入念なパッキングを施したデポ品だった

これを一刻も早く皆に知らせたいと再び433.180MHZで通話を試みるが応答がない
本隊の計画では北鎌平捜索のタイムリミットを10時と設定してあったから何らかのアクシデントで北鎌平あるいは槍ケ岳まで登ってきていないのかもしれない

しばらくあれこれ試みたが、あきらめて無線機の電源を切る

デポ品は丁寧にビニール袋に包んでザックにしまった

直登ルートの終了点からはナイフリッジがしばらく続く
12年前、当時小学生だった息子を含め子供たち三人を連れて登ったラインだが、なかなかスリリングなリッジだった
私の携帯電話はiPhoneで山の中では通話不可能なので妻の携帯電話を借り、独標の山頂で角掛さんに電話を入れる。角掛さん経由で関係者へ一斉同報していただくのが無線機による通信が不可能となった現状では情報伝達手段としてはもっとも確実だからである
角掛さんは今回の捜索活動全般において、まさに要となる存在でもあり、電話口に出た角掛さんの声を耳にして、本当に安堵の気持ちがこみ上げてきた
要点を手短に説明し、関係者への一斉同報をお願いして電話を切る

独標からは退屈な登下降が延々と続く
トラバースを極力避けて稜線通しに行くのが土橋流であり賀来流でもあるが、ぶり返した風邪は背中の痛み、のどの痛みそして鼻水という症状となって私を苦しめる

北鎌平の手前になって私に声をかける人がいた
「賀来さんですか」
その声に振り向くと、なんとびっくり仰天!それは奈良の河村さんだった

聞くところによれば、金曜日の夜に奈良から一人で運転して土曜日の早朝に平湯へ入りその日のうちに西岳ヒュッテまで上がって宿泊、そして今朝ヘッドランプの灯りを頼りに西岳ヒュッテを出発し北鎌尾根上で私たちに追いついたのである
決して若いとはいえない氏だがなんという体力だろう

北鎌平のデポ品の確認は本隊が済ませているだろうと割愛して先を急ぐとまもなく槍ヶ岳山頂に到着
たくさんの人々が山頂にたむろしていた

その夜は殺生ヒュッテに宿泊した
日頃、晩酌を欠かさない私も今回ばかりはババ平に酒を置いてきており、酒は持ってきていない。
河村さんは「自分は酒をあまり飲まないが、賀来さんが飲むだろうと思って持ってきたよ」などと言いながらペットボトルに入れた琥珀色の液体をテーブルにおいてくれた

殺生ヒュッテでようやく尾崎、谷川パーティーと携帯電話で連絡がついた
全員ババ平にいるとのこと どうやら昨日の雪にビビッてしまったらしい
明日の下山時に私がババ平に残置してきた装備などを明日おろしてくれるように頼むと、こころよく引き受けてくれたのは本当にありがたかった

10月14日
予測とおり快晴の朝をむかえた
昨夜は風邪の症状がさらに悪化し、背中の筋肉に疼痛が走って十分に睡眠をとることができなかったのでつらい出発となった

それでも救いなのはババ平に控えた尾崎・谷川パーティーが私の荷物を背負って先にくだってくれることである
ありがたいことだなぁとしばらく考えていたら、谷川そして土橋にとって私は放蕩息子そのものだということに気がついた
皆にすまないと思いながら軽いザックを背負って下り始めた
 
河村さんには先に下ってもらい、妻のサポートを受けながらのろのろと下っていく

5時50分に殺生ヒュッテを出発し上高地にたどりついたのは14時半。いつもの通り「せせらぎの湯」で汗を流し、中央高速小仏トンネルの渋滞を経て帰宅したのは日付もかわろうとしているころだった

1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

土橋さんとは面識がなかったので、今回の件に関してのコメントはせずにいましたが、
それはそれとして、捜索時の様子を写した写真の数々は素晴らしいですね。
晩秋~初冬に至ろうとする北アルプスの空気感がよみがえって、懐かしさでいっぱいになります。

今年はだいぶ雪が遅いようですが、北アルプスが雪に覆われるのももうすぐでしょう。
早い発見を祈るとともに、皆さん自身も充分に注意して活動してください。