2009年1月5日月曜日

トホホの初登山


久しぶりに家族全員五名揃っての初登山です。正月の2日から一泊二日で日光白根へ行きました。積雪期に四度目となるコースです。

2日は天候が芳しくなく湯元スキー場の第二ペアリフト上の吹き溜まりではスノーシューを履いても急斜面のために腰から胸まで雪が達する状態。単独登山者と交替でラッセルを繰り返し、外山のコルまで5時間を要しました。この時点で白根山登頂は諦め、コルにて幕営。翌日下山することにしました。

3日は晴れ間ものぞいていましたが風強く、ブリザード。朝から3パーティーが上がってきました。
13時に下降開始。

そして13時30分頃、急斜面を滑り落ちるように下っていると針葉樹の根が絡み合ってリング状になっている輪の中に左足がはまりました。
まずい!と思って反射的に体をひねって左足を抜こうとしましたが上体に勢いがついているので間に合わず。ベキッという大きな音がして下腿骨が折れたことを自覚しながら雪面に投げ出されました。足を見るとすでにブラブラの状態でつま先があらぬ方向を向いています。標高を見ると1880m。手にしていたウッドシャフトのシモンPBは吹っ飛び行方不明。

すぐさま女房と子供たちが駆けつけて応急処置です。標識用の旗竿を二つ折りにして添え木として代用。テントの張り綱で縛り上げ患部を固定しました。

看護師の敦子は動かさない方が良いので救助要請を主張しましたが、私は頑として自力下降を主張。1981年に一ノ倉沢烏帽子沢奥壁ダイレクトルートで右足首を粉砕骨折した時も自力下山ができたのです。今回も下山できないはずはないと歯を食いしばり二時間を要して第二ペアリフトの終点近くのゲレンデへ到着。敦子がパトロールのスノーモービルを呼んでくれパトロール詰め所でDr鶴見に応急処置を受けました。
妻の運転で22時30分帰宅。

翌1月4日。午後千葉市休日救急診療所にてX線撮影の結果、下腿骨骨折の詳細が判明。うち頚骨は螺旋骨折にて手術が必要とのことでそのまま救急車で整形外科医のいる病院へ搬送されました。

今回の怪我後、私がまぎれもなく油断していたマヌケ登山者であることを突きつけられ、愕然としたのは、長女の敦子が次のようなことを認識しながら下降していたことを知ったからです。

「映画“バーチカルリミット”で岩の穴に足をとられて骨折してヘリで救助されるマヌケな登山者が出てくるよね。ところどころで木の根が手すりのように雪の中にあったから、あれと同じことが起こるかも知れないルートだと思いながら用心して下っていた」

事故を事前に察知する想像力が昔は高かったのに、もう敦子には完全に追い抜かれたようです。
本当にトホホです。