松永さんとは年賀状のやり取りをしているが、今年はあの達筆な年賀状が届かなかった
もしや体調がすぐれないのではないかと案じていた
そして1月29日、息子さんから挨拶状が届いた
昨年11月23日に亡くなられたことが、記されていた。
すでに「岳人二月号」にカラー1ページを割いて文科省登山研修所所長による松永さんへの追悼文が掲載されていたので、承知はしていたが、親族の方からの封書を手にしてあらためてその事実をかみしめた
私の山登り人生でもっとも敬愛してやむことのなかった松永敏郎さん。
1989年頃から日本山岳協会の常任委員として技術研修会の講師などを一緒に務めさせていただいた。
当時の私は「毎日のトレーニングを抜きにして現役としての登攀活動はあり得ない」という考えを持っていたが、すでに50代後半に達していた松永さんも全く同様な考え方をしていた。