2013年2月25日月曜日

寒い週末


土曜日になってようやく体調が少し回復したが、一方で妻の風邪は最悪状態
週末はおとなしくしていた

今年の冬は久しぶりに寒い
八甲田の酸ケ湯では530cmの積雪を記録し、これは観測史上の記録を塗り替えたという

それでも庭にはご覧のように蕗のつぼみが・・・

来週からネパールへ行く息子の靴を買う

2013年2月17日日曜日

雪の筑波嶺を行く


東京では2月15日金曜日に冷たい雨が降ったが、当然のことながら筑波山ではそれは雪になった

その金曜日に昨年4月にグループ会社へ出向してから初めてになる有給休暇をとった
めったにありつけないウィークディにどこへ行くかと算段するのは大きな楽しみである
息子が大学山岳部の2月合宿で八ヶ岳の行者小屋周辺をベースキャンプとしているので、それを見物がてら赤岳主稜にでも登ろうかと計画していた
ところが早朝の準備途中でぎっくり腰
おっとっと・・・と階段を登って寝室のベッドに倒れこみそのまま固まってしまった

2013年2月11日月曜日

三連休、冬晴れ、冬の夕焼け、春の知らせ



三連休だったが、愛車のアウトランダーのフロントガラスにクラックが入り、初日土曜日に修理に出した。代車の軽自動車が、小回りが効いてとても乗りやすい。

連休初日
もう10時過ぎだったが妻と筑波山を往復した。筑紫湖に車をとめていつものコースを往復した。
標高600m付近から雪が顕著になり自然研究路も雪道だった。出発が遅かったので、下り道で夕焼けぞらとなった。

日曜日は母が庭のふきのとうをとってきたので、それを妻に天麩羅にしてもらった。
とりたてのふきのとうの天麩羅は春の味がして美味
午前中はミサに与り、午後になって息子とヨシキスポーツへ行った。息子は来月から一ヶ月間ネパールへ行くというので何か足りない装備はないかと誘ったのである。しかしながらすでに装備は十分にそろっていて、買い足すものは何もなかった。しかたなくヒマラヤングラスを購入。成長した息子を見て社長が驚いていた。ヨシキスポーツのロゴ入りタオルを三枚もらう。

2013年2月5日火曜日

追悼 松永敏郎



松永さんとは年賀状のやり取りをしているが、今年はあの達筆な年賀状が届かなかった
もしや体調がすぐれないのではないかと案じていた

そして1月29日、息子さんから挨拶状が届いた
昨年11月23日に亡くなられたことが、記されていた。
すでに「岳人二月号」にカラー1ページを割いて文科省登山研修所所長による松永さんへの追悼文が掲載されていたので、承知はしていたが、親族の方からの封書を手にしてあらためてその事実をかみしめた

私の山登り人生でもっとも敬愛してやむことのなかった松永敏郎さん。
1989年頃から日本山岳協会の常任委員として技術研修会の講師などを一緒に務めさせていただいた。
当時の私は「毎日のトレーニングを抜きにして現役としての登攀活動はあり得ない」という考えを持っていたが、すでに50代後半に達していた松永さんも全く同様な考え方をしていた。