2006年2月27日月曜日
あと少し
数日前から、大きく膨らんでいた指の水泡が少しづつ小さくなり始め、今では健常者と見た目にはさほど差異がないほどまでになった。
一見したところ、ドアに指を挟んだかのようにも見えるが、ここまで来るのが大変だった。
凍傷に気がついて山の中で指を口に含んでマッサージを続け携帯カイロで解凍した直後は、身をよじるような激痛。その後、指は空気を入れた風船のように腫れあがり、血管拡張剤による治療を開始した。当初は治癒の兆しが見られず、心配したが数日後に指の先端に大きな水泡が出来はじめた。
そして治療を継続すること一週間。
指の先端と爪の間から黄色い膿のような体液が出てきたりして、気をもませるが、なんとか快方へ向っている様子。
爪はだめなようで、まもなく脱落するものと思われる。ただし、爪の根元は健在なので1年ほどで生えそろうと予測される。
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山登り
2006年2月26日日曜日
年間第八主日
朝から雨。 かなり激しく降る。
母と長女の三人で教会へ向かう。
昨年の枝の主日は大分へ帰省していたから中津市の古城教会で叔父伯母たちとミサに与り、枝をもらった。
約一年間家に飾り、今日教会に返す。教会ではこれを焼いて灰の水曜日に備える。
いよいよ四旬節だ。
ミサ後、厳律シトー会のガレットを教会で買おうとした長女・・・
ところが先月で販売を取りやめていた。
私はそのことを知っていたが、母と長女は知らなかったようで、とてもがっかりしていた。
このガレットは一般にはトラピストクッキーと呼ばれているもので厳律シトー会の修道院で作られているものだ。
西千葉教会で販売していたのは那須のトラピスチヌ修道院製のものである。
シンプルだが風味がよく、大変おいしく、子供達は幼い頃から教会の帰りの車の中で食べていたものだった。
午後から次女の英検が幕張であるので、妻と買い物をかねて幕張まで車で行く。 凍傷は治癒の方向へ向っているようだ。
2006年2月25日土曜日
房総の山
先週、行者小屋から美濃戸への夜道を長女と二人で歩きながら、「暖かい房総の山に行きたいね」などと話していた。
トリノオリンピックで昨日、荒川静香が女子フィギュアで金メダルをとって 世間では沸いている。私も早朝の中継を見た。
さて、
週末の天気予報では土曜日が晴れで日曜日が雨とのこと。
一人で四街道発7:25の電車に乗った。
登ったのは鋸山。鋸山に登ったと言う人は多いが、本当の鋸山山頂に足をしるした人はとても少ないと思う。
先週の登山で右薬指に凍傷を負っているので、血管拡張剤の点滴をすべきなのだが、今日は経口投薬。1992年の足の凍傷に比べれば、ずっと軽いものだが壊死が進行しないように養生は欠かせない。殊勝にも手袋をして歩く。
アプローチに車力道を使い、展望台から鋸岳を往復、下山に観月台コースを使った。
今年は寒いせいか、観月台公園には水仙が咲き乱れていた。
千葉で好日山荘へ寄ってモンベルのトレッキングパンツを買って帰った。
2006年2月16日木曜日
カトリック甲府教会
仕事で甲府へ行った。
勤務先のCさんとの待ち合わせは10:15だが、一時間以上前に到着して甲府の町の中を歩いた。
今年の冬は寒さ厳しい日が続いたが、今日は暖かい雨である。
15分ほど探して、カトリック甲府教会にたどり着くことができた。
落ち着いた、雰囲気のある教会である。
天使祝詞を唱え、典礼聖歌を歌った。
2006年2月11日土曜日
2006年2月5日日曜日
水仙の花を求めて
昨日、土曜日ながら仕事から帰って天気予報を見ていると日曜日の快晴を告げている。
妻に
「水仙の花でも見に行かないか」というと
ここのところ仕事三昧の私を妻は哀れに思ったのだろう。付き合ってくれるという。それではと言うことで小保田から水仙畑をぬいながら嵯峨山を往復し、下山後にカトリック館山教会のミサに与ろうという計画を立てた。
妻は子供たちの朝食を作り、食卓の上にラップをかけて並べて出発だ。時計を見ると7:00。
道も空いており順調に浜金谷までたどり着いた。いつも立ち寄るコンビニで朝食の弁当を買い求めた。コンビニの駐車場で食べ終わり弁当ガラをゴミ箱に捨てようかなと思っていたら、となりに四駆がとまってドアが開いた。顔を見合わせてお互いにびっくり仰天。
「あ、植草さん」
「おお、賀来さん」
千葉岳連理事長を務めていた千葉渓稜の植草勝久さんだった。
植草さんには同行者が二人いて、今日は取材で鋸岳の車力道へ行くと言う。
とにかく再会を喜び合う。
小保田には9:00に到着した。舗装された農道を沢に沿って進み大きな空き地に車を止めて歩き出した。今朝、家を出るときに寒暖計を見たら-4度だったから今冬一番の冷え込みとなったようである。
田んぼの水溜りにも氷がはっている。
それでも快晴の里山はのどかで陽だまりハイキングには絶好の日和である。農道のどん詰まりにある駐車スペースから水仙畑の中のあぜ道を拾うように歩いていく。今年は寒さが厳しいので2月になっても水仙の花は咲いていた。
背中にぽかぽかと太陽のぬくもりを感じながらゆっくりと歩いていく
2006年2月1日水曜日
恩師との再会
年に一度は高校時代の同級生と酒を飲む。
今年の新年会で木坂先生の話題がでた。木坂先生は1960年代後半から11年間佐倉高校の世界史を担当した先生である。
社会を見る目に目覚めつつある思春期の生徒に与えた木坂先生の影響は大きなものがあった。
今日、その木坂先生を囲んで政治家のT、役人のH、建築士のT、そして私の5人で食事をした。
木坂先生は広島大学を卒業して最初の赴任先が佐倉高校だった。
最初の年に、授業中一人の男子生徒が挙手をして立ち上がり「もっとちゃんとした授業をしてください」と言った。
これに対して先生は
「申し訳ない、ちゃんとした授業をします」とお答えになったというのだから真摯である。
そして猛烈に勉強したという。
今年の新年会で木坂先生の話題がでた。木坂先生は1960年代後半から11年間佐倉高校の世界史を担当した先生である。
社会を見る目に目覚めつつある思春期の生徒に与えた木坂先生の影響は大きなものがあった。
今日、その木坂先生を囲んで政治家のT、役人のH、建築士のT、そして私の5人で食事をした。
木坂先生は広島大学を卒業して最初の赴任先が佐倉高校だった。
最初の年に、授業中一人の男子生徒が挙手をして立ち上がり「もっとちゃんとした授業をしてください」と言った。
これに対して先生は
「申し訳ない、ちゃんとした授業をします」とお答えになったというのだから真摯である。
そして猛烈に勉強したという。
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