2018年5月17日木曜日

幸子さんは印西、私は代々木オリンピックセンター


朝は風がひんやりしていてゆっくり歩けば汗ばむこともないような陽気だったが、夜になって湿度が上昇し蒸し暑い夜となった
帰宅してから今年初めてエアコンを入れた

今夜は印西の定例練習会があるが私は都岳連のある山岳会の集会に急遽出席することになり、15時半に仕事が終わってから代々木のオリンピックセンターへ向かった
集会は19時からなので、とても時間があるというか暇つぶしをしなければならない

それで久しぶりに秋葉原の電気街へ立ち寄ってみることにした
湯島にあるオフィスに通っていた時代があって、秋葉原の電気街が近く、毎日のように昼休みには千葉さんや林さんと昼食を摂ってから秋葉原ニッピンの店内を一周してから電気街を散歩したものだ

それは4年ほど前のことなので、電気街の模様も少しばかり変化していた
電気パーツやジャンクパーツの店が減って、飲食店に衣替えしている店がいくつかあった
最大の変化は秋葉原ニッピンの閉店だろう
ビルの耐震基準の問題で閉店せざるを得なかったと店のシャッターには掲示されている

秋葉原のニッピンはとても思い出深い登山用品店だ
私が山登りを始めた1971年の段階では、
千葉県内で登山用品を取り扱っている店は千葉山岳会の内山さんが経営する千葉市富士見町にあった「ウチヤマスポーツ」だけだった
そのウチヤマスポーツに勤務していた吉野さんがヨシキスポーツを創業したのは数年後だった

そのような事情だったからウチヤマスポーツで用立てできない場合は東京まで行かないと登山用品を入手することはできなかった

1971年、佐倉高校山岳部に入部して登山道具一式を揃えるために部長の田中さんから薦められたのが秋葉原ニッピンだった
母と訪れ一式を揃えたことが懐かしく思い出される

電気街を一通り見てから神田明神の脇の坂を登って御茶ノ水まで歩いた

会社帰りに飲むという習慣がない私だったが「ビストロぴん」には幾度か同僚たちと立ち寄った 「びすとろピン」もまだ健在だった

そろそろいい時間になったので代々木オリンピックセンター最寄りの駅となる小田急線参宮橋へと向かった

集会では、ボスの松元さんを筆頭に、ベテランガイドの大西さんや昨年ENSA研修で一か月寝食を共にした山本さん、そして先日白馬岳主稜でばったり遭遇した道家さんなど、なじみの山岳ガイドが揃った

集会が終わってからは当然ながら飲み会となった
店は昇龍という店 しばらくすると坂口さんや川瀬さんも入店
21時から飲み始め22時過ぎに解散
帰宅したら24時を過ぎてしまった
来月以降、これが毎月一度の頻度で繰り返されることになる
15時半から19時までの三時間半のうち移動時間を除く二時間をどのように過ごすか?というのが課題であろう

一方で幸子さんは印西
19時から21時までいつものメンバーがあつまり、左壁紺四角を三本ほど1テンでトップアウト
まずまずだったようだ

錦糸町で一緒に登っていた仲間のメーリングリストで事故の第一報があった
錦糸町でグラウンドフォールがあったという
ロープ結束のミスではないとすればビレイヤーの操作ミスか、たぐりクリップかどうかは現時点では不明
もしビレイヤーの操作ミスに原因があるとすればブレーキアシスト付きのディバイスの普及が望まれる ブレーキアシスト付きディバイスによるビレイはショックが大きいという意見もあろうが、万難を排して避けるべきはグラウンドフォールであろう
ビレイヤー側の人為ミスをカバーしてくれるブレーキアシスト付きのビレイディバイスの普及は時間の問題だと思う

今後の事故防止の為にも事故原因の情報公開が望まれる


本日の昼食

会社の同僚とたびたび利用した御茶ノ水の「びすとろピン」は健在

代々木参宮橋駅近くの中華料理店「昇龍」
手ごろな値段で美味しい
お薦めです