2006年1月1日日曜日

42年ぶりに訪れるカトリック小岩教会




2006年元旦はカトリック小岩教会でむかえた。

私の家族は昭和33年(1958)の一月に大分から出てきた。住んだのは中目黒。教会は碑文谷教会へ行っていたというが、私の記憶にはまったく残っていない。
その後、一度中津へ帰り、改めて東京へ出てきたのが昭和35年(1960)だった。住んだのは小岩の鹿本小学校近くの長屋。最も近い教会はカトリック小岩教会だった。そのカトリック小岩教会に幼稚園が併設されていた。私は昭和36年にこのレジナ幼稚園に入園した。そして鹿本小学校へ入学し、初聖体を受けた。
この頃は食事の前に必ずお祈りをしていたし、寝る前にもお祈りをしていた。この頃の祈りはすべて文語文だったから、意味はわからなかったが、呪文のように覚えたのである。近年口語体に改められた祈りは、覚えることが出来ていないが、文語体による使徒信条、主祷文、天使祝詞は今でもよどみなくいつでも唱えることが出来る。
そんな小岩教会の司祭は青山神父だった。

ある日のミサで、私はなんともウキウキしてきて「おてもやん」を大声で歌ってしまったのである。当時は女性と男性ではミサで座る場所が分かれていた。私は父と並んで座っていた。
ミサが終わると「おてもやん」を歌うことをやめさせなかった父に母は文句を言っていた。そうしたところ青山神父がやってきてニコニコしながら私の頭をなで「元気が良かったね」といった。

日曜学校に通ったり、ミサ使えをしたのも小岩教会だった。

昭和39年(1964)、私達家族は四街道へ引越し、カトリック西千葉教会へ転入した。

その小岩教会へ妻と息子の三人で行くことにした。場所ははっきりと覚えていた。迷わずにまっすぐ行くことが出来た。
御聖堂とマリア像は昔のままだった。
レジナ幼稚園児であった頃、帰りには必ずマリア像のところまで行って、手を合わせるように指導されていた。
そのマリア像がそのまま残っていた。
おてもやんを歌った御聖堂も内装は変化していたが告解部屋もそのままだった。深夜零時のミサにもかかわらず多くの信者が集まっていた。
まさに42年ぶりの小岩教会でのミサだった。