2016年2月8日月曜日

佐田の墓に参る


午後から祖父団二の生家へ行った
安心院にある佐田という集落にある
安心院と書いて「あじむ」と読むが、よい響きだ
幕末の頃に団二の祖父賀来惟熊が私財を投じて反射炉を築き大砲を鋳造したという話は幼い頃から聞いていた
佐田には幾たびか訪れているが、廃墟と化した三階建ての家屋に往時の家の隆盛をしのぶことが出来るし、売却された家屋の一部は湯布院に移築され「庄屋の館」という旅館になっている
国東の旧家である重光家は、この家屋を真似て国東に三階屋を建てたという
財にまかせてこのような家を建てるとは賀来も重光も少々成金趣味的なところがあるように思え少なからず悪趣味の感がある
そういう点では同じ大分の旧家でも母の実家である「湯屋」や母方の伯母の嫁ぎ先である「小袋」は賀来と異なって品がある

惟熊と書いて「これたけ」と読むが、その業績をたたえる石碑が近くの佐田神社境内にあり説明の看板が建っている
佐田神社の土塀に埋め込まれた耐火煉瓦がかすかに反射炉の痕跡を残すのみ

佐田にある賀来の墓は宇佐市指定の史跡になっている
最後に墓参りをして佐田をあとにした