2013年6月7日金曜日

Rock&Snow60号 エベレスト集団リンチ事件「シェルパに登らせてもらう山」 そしてギュリッヒのDNA



Rock&Snow60号が発売された
今号も非常に興味を引く記事があった

一番目は
池田常道氏の連載「ON THE SCENE」で取り上げられた「エベレスト“リンチ”事件の顛末」である
クライミングを少しばかり深く知ると、最先端のクライミングの一つ一つには歴史を踏まえた必然性というものがあることに気がつく
例えばRock&Snow60号の表紙を飾る19歳のドイツ人少年アレクサンダー・メゴスの5.14dオンサイト
この「メゴスのオンサイトクライミング」と「1786年のバルマとパッカールによるモンブラン初登頂」は切れ目なく連続した歴史の必然性でつながっている
それは本質的には「プロセス重視」という考え方に沿ったものであるが、一般の人たちにとっては易から難への連続性と言い換えた方が理解しやすいかもしれない 

主な山々の初登頂が一段落すると、登頂もさることながら、むしろ登頂へいたるプロセスが問われるようになったのである
このプロセス重視の考え方こそすべての始まりであった
すなわち同じ山でもより充実したプロセスを経て山頂に至るということが課題となったのである

具体的には
主なリッジが登りつくされると、壁へ
これらも一段落すると、より厳しい冬期へと移行していく
プロセス重視の考え方は「より厳しいルール」の適用と表裏一体であり自然な流れであった
「より厳しいルール」の適用とはごく当たり前な話でもある
山頂へいたることが最上の価値でありプロセスは関係ないとするのであればヘリコプターで山頂へ降ろしてもらえば良いということになろう
ガイドやシェルパに助けてもらいながら登るスタイルから、ガイドレスあるいはシェルパレスへ。さらにポーラメソッドからラッシュ方式へという試みは、同時により充実したプロセスへの試みでもあった
戦前にポーラメソッドからラッシュへの登攀を主張した東京商大の小谷部全助の実践は現代クライミングにおけるアルパインスタイルにも通じるものかと思う
だから
ラインホルト・メスナーによって切り開かれていった8000m峰の無酸素登頂もこのような流れの中に位置するし、フリークライミングもまさにこの延長線上に存在する

そのような最先端のクライミングの世界がある一方で、いまだにシェルパに頼ったヒマラヤ登山も隆盛である
その最たるものがエベレストだろう
シェルパに荷を背負ってもらい、難しい場所にはハシゴをかけて手すり付きのルートを整備してもらい、食事を作ってもらい、シェルパが担ぎあげた酸素を吸いながら山頂に登らせてもらう
エベレスト登頂という商品を数百万円で買うビジネスという表現が当てはまる

「そんなものは登山じゃない」と思う一般人も少なくないだろうが、実際そのように思って行動に移すクライマーたちもまたいる
現代クライミングにおけるこのような価値観醸成にダグ・スコットら英国クライマー達がはたした役割はすくなくなかった
そしてその申し子の一人がミックファウラーであろうし、そういうクライマーが行うクライミングを評価し、賞するというのがピオレドール賞である

このような事情があってエベレストはまともな登山を行おうとする登山家からは長く敬遠されてきたのであるが、今年無酸素・シェルパなしというスタイルでエベレストに挑もうとした意欲的な2パーティーがあった
シェルパなしで挑もうとする彼らに対して縄張りを荒らされたと思ったのであろうシェルパ100名がその内の1パーティーに対して集団リンチを加えたというのである
三浦雄一郎の最高齢エベレスト登頂が世間では騒がれているが、一方でこれらビジネスとしての登山のゆがんだ側面をこの事件は物語っている
詳しくは書かない
立ち読みではなく購入して一読をお勧めする
ネット上に公開された関連情報を提示しておく「エベレストでの騒動

さて、ここまで記述して理解されることは
登山とは「特殊な技術や装備を使用して斜面で展開される身体活動にかかわるプロセスを楽しむ遊び」
と言えるのかも知れない

息子が言うには
「ヘリで登る富士山よりも、自らの足で登る高尾山の方に価値がある」

まさにその通りである

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二番目に良かったのはギュリッヒの特集
1970年代後半、行き着くところまで行き着き閉塞状態にあった日本の登攀界はフリークライミングの大津波を真正面からかぶった
一ノ倉沢の烏帽子沢奥壁や衝立岩正面壁あたりでうろちょろしていた山屋は「岩と雪」誌上で中根穂高氏によって「ボンボリーズ」と蔑まされ駆逐された。フリーを行わないクライマーは人にあらずというような風潮だったように思う。それまで黒山の人だかりであった一ノ倉沢からクライマーの姿が消えたのである
そしてこぞってフリークライミングに向かって突っ込んでいった
そんな頃に私たちに大きな影響を与えた幾人かの巨人がいた
ジョンバーカー、トニーヤニロ、パトリックエトランジェ、ベンムーン、ジェリーモファット・・・
その中の最強がギュリッヒであった

この記事の最終節に杉野保氏はギュリッヒのDNAは次世代の若いクライマーに確実に引き継がれているとして次のように記す
「ギュリッヒがアウトバーンに散ったその翌年、この世に生を受けたメゴスが一本指でキャンパシングをするその背後には、まったく同じ体勢でキャンパシングをするギュリッヒのポスターが飾られていた」

私はこの文章に震えるような感動を覚えた

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