2016年10月16日日曜日

雪渓の消えた北鎌沢左俣の捜索



長野県警のヘリコプターが他の遭難者の捜索時に偶然土橋さんのザックを発見したのは昨年2015年9月28日のことだ
10月1日に一人で松本警察署母袋さんに面会して発見場所の詳細情報を伺うことができた
長野県警は位置を確定するために再度現場までヘリを飛ばし正確な位置情報を割り出していた
そして母袋さんは「人体はザックより重いので多くの場合遭難者は下にいる」という
これらの情報を共有すべく10月17日第七回栃木・茨城・千葉三県合同土橋敬司氏遭難対策本部会議が本部長の谷川さんにより召集された
ザックが発見された場所は関係者の間で意思疎通を図るために作成されたリファレンスマップにおけるJ沢の源頭部2470m付近
発見されたザックはウェストベルトのバックルが連結されたままで破断しており、ザックを残して土橋さんがさらに落下して行ったことを物語っていた
土橋さんが落下したと想定されるJ沢は急峻な地形を経て2145m付近で北鎌沢左俣に落ち込んでいる

この2145m周辺は雪渓に覆われ、この雪渓は融けないままに次の冬を迎えることが多い
谷川岳一ノ倉沢の雪渓が極まれに消えることがあるが、そんなことが北鎌沢左俣にもあるのだろうか? 昨年の遭難対策本部会議の時点ではそう思っていた
遭難対策本部会議では来年2016年の夏以降に日大尾根からJ沢周辺の捜索を行うことが決まった
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そして今年になった
7月30日に第八回栃木・茨城・千葉3県合同土橋敬司氏遭難対策本部会議が開催され今年の捜索計画が決まった
第一回目の捜索は8月15日から19日までの計画で、辻さんにより事前トレースが行われ北鎌沢左俣の雪渓がかなり細くなっていることが確認されていた
しかしながら今年の夏は8月15日を境にして台風の連続に見舞われた
第二回目は9月22日から25日に計画された これも悪天で中止
10月になっても天候は安定しなかった
せめて3日間の安定した天候と土日が重なるタイミングはないものか・・・
そんな折、10月7日から10日と穂高を訪れた
土砂降りの雨にたたられたが涸沢の雪渓がほぼ消滅していたことを確認した
北鎌沢左俣の雪渓が消滅していることはほぼ間違いないことだろう
穂高から下山して気象情報を検討すると、次の週末には3日間の好天が重なることが予測された
北鎌沢左俣の捜索には降雪直前のぎりぎりのタイミングである
さすがに単独で北鎌沢左俣へ行くわけにはいかないので、息子に同行を頼んだ
毎週のように山へ行っている息子はスケジュール調整もあるようだったが翌日、習志野でのクライミングの最中に返事があった
「土橋さんの捜索だよね、いいよ付き合うよ」
それは「俺が行くからにはオヤジは安心してくれ」というような雰囲気のメッセージだった

翌12日は準備で大わらわだったが、妻がしっかり印西へクライミングに行ったのには恐れ入りました
息子に「なるべく軽量化しようぜ」と言うと息子は次のように言った
「ババ平をベースキャンプにするのに軽量化して何か意味があるのか?」
そうか・・・では君が全部背負ってくれ
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******10/13******
夜、息子は日大山岳部のコーチ会があるので、息子の帰宅を待ってから四街道の自宅を出発したのでは、沢渡での仮眠時間がとれないので、私が息子を迎えに行って、そのまま沢渡へ向かうことになった
20時15分に文京区白山通りで息子をピックアップして、息子の運転で沢渡へ 車中で東京農大のマナスルで事故があったことを息子から聞く 単一の大学山岳部によるヒマラヤの8000m峰だっただけに残念だ
私はお神酒を少々たしなみながら助手席で休ませてもらった
23時30分に沢渡到着 アルピコ車庫の軒先を借りてマットを敷いて寝酒してから仮眠

******10/14******
沢渡でパッキング もちろん息子に全部背負ってもらったので私のザックはスカスカ
6時45分のバスで上高地へ出発した
7時過ぎに上高地バスターミナルに到着 上高地は冷え込んでおり河童橋周辺のベンチにも霜が下りている 7時40分に河童橋から歩き始めた


気温が低いので薄手の手袋では指先が冷え切って痛いほどだ
今日の行程はババ平までで、しかも荷物のほとんどを息子が背負ってくれているのでありがたい
横尾を過ぎて一ノ俣を過ぎ、ニノ俣で橋を渡ったがH鋼で作られた橋が大きく湾曲しており、増水の激しさを知った
いつもなら上高地からババ平までBC形式の装備食料捜索道具などを背負い上げるのに塗炭の苦しみを味わってきたが、今日はかなり余裕をもった状態で13時にババ平に到着した
昨年ババ平は大規模な工事が行われしっかりとしたトイレが新築されており水場は蛇口化していた トイレには電灯があって山小屋のトイレと同じくらい清潔かもしれない

もっとも、キャンプ料金は700円から1000円に値上がりしていた
食料計画はすべて息子に依存しているので何が出てくるのだろうかと楽しみにしていたが、今夜は回鍋肉
私は山で回鍋肉を初めて食べた

明日の捜索活動は標高差1458mになるので早めに就寝した

******10/15******
2時に目が覚めたが、月明りでテント内が明るい
ヘッドランプを点灯するとテントのフライシートの内側が凍り付いて砂糖をまぶしたように白く輝いている
外に出ると煌々とした月明りで稜線までもがくっきりと見渡せた
風はない 遠くから沢の音が聞こえる
2時30分に息子に声をかけて起床する 昨晩のうちに仕込んでいたパスタを調理して食べ、スープ、お茶などの水分補給を十分に行った
今日は長丁場だ 3時半出発
薄手のダウンジャケットの下にフリースを着込み、薄手のバラクラバとブレスサーモの手袋をして歩き始めた
寒さがきつく、歩行速度をセーブしているので、これだけの厚着をしていてもまったくと言っていいほど汗をかかない
水俣乗越で完全に明るくなるのを待つ ヒュッテ西岳は十日前の10月4日にすでに小屋閉めしており、稜線を歩く人はほとんどいない 息子はSony Xperiaを持って水俣乗越周辺での電波状況をチェックしてくれたが、まったくアンテナが立たないという 常念岳に設置してあるドコモの基地局が昨日撤去されたことが原因だと思われた こうなると仮に土橋さんを発見したとしても長野県警に通報することは難しいということになる
5時45分天上沢へ向かって下り始めた
朝日に照らされて赤く燃え上がる北鎌尾根の斜面が見えている
8月中旬から雨続きだったせいか間ノ沢の水量も豊富で、水しぶきのかかる岩の表面はベルグラにおおわれている
7時50分北鎌沢出合到着 歩行速度をセーブしながら歩いてきたので汗もかかず余力十分
ここで早めの昼食としてカップヌードルリフィルを食べる
そしてガーミンのGPS二台の電源を入れ、ジオグラフィカのマーカーを確認しながら北鎌沢の遡行を開始
北鎌沢は晩秋とは思えないほど水量が多い 歩き始めるとすぐに日向になり、ベルグラも融けた
小さな痕跡でも見逃すまいと岩の隙間などを覗きながら高度を上げていく
沢の形状は傾斜のやや強いゴーロ状なので全般的に不安定で、踏み込んだ大きな石が崩れたりするので慎重に登る 左岸(右側)は比較的開けており明るい 一方、右岸の日大尾根側の斜面は傾斜がきつい
ジオグラフィカはスマホアプリなので画面が大きく見やすい バッテリーも機内モードにすれば20時間以上使えるので問題なし それに比べるとガーミンは画面が小さくとても使いづらい
沢の中にはいくつかの残置物がある
アイゼン、ニッカーホース、古いザック、風化した布きれ・・・
やがて目的地に到着したことをジオグラフィカが教えてくれた
通常は雪渓の下に隠れている箇所である 植物は一切ない 沢の底は大きな岩が積み重なっている その岩の隙間を覗きこみながらチェックしていくが、それらしきものは見当たらない
標高2200m付近まで捜索したけれど、これから上には土橋さんはいない
10時下降に移る
下降しながらもチェックしていくが成果なし
11時15分北鎌沢出合に戻り、少し休んでから、水俣乗越までの長い登り返しを忍耐で登った



水俣乗越直前に設置してあったプラカードを回収
15時にババ平帰着 すでにババ平では日が陰っており肌寒い ババ平のプラカードも回収した
テントの中に入ってアルコール度数50度のウィスキー富士山麓のお湯割りを呑んで体を温め、息子の手料理ビーフストロガノフを賞味した
事前に作成していたタイムテーブルとほとんど同じ行動ができたのは息子のおかげである

******10/16******
小仏トンネルを渋滞が始まる前に通過したいので2時半起床、4時半出発
横尾の手前で夜が明けた
今日も快晴で凍えるような寒さだ
前穂東壁に朝日が当たっているが、横尾から徳沢への道に日光が差し込むのはもうしばらく後になる



徳沢園ではミルクココアを飲む
小梨平食堂には9時到着 山菜そばを食べた

10時過ぎのバスに乗って沢渡の駐車場へ向かう 竜ヶ島温泉せせらぎの湯に立ち寄ると小仏トンネルの渋滞に巻き込まれるし、汗をほとんどかかないで三日間を過ごしたので温泉には入らないことにして家路を急いだ
自宅には15時に帰り着いた
帰り着いてテントを干そうとザックから引っ張り出したら、布地にまだ氷が張りついていてバラバラとベランダの床に落ちた

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