2021年4月7日水曜日

クライミングとマニュアルの作成

 

先週はリードジャパンカップで、昨日は八ヶ岳の大同心ルンゼ大滝を登っていたのに、今日は一変して印西クラック

1970年代後半から80年代前半にかけて日本登攀界を襲ったフリークライミングの大津波を真正面から受け、その事実から目を背けることなく取り組んだ結果こうなりました

今でもコンペを評して「あんなのはクライミングではない」という人がいますが、40年前も同じでした 40年前にはコンペはありませんでした(脚注1)がクライミング自体の技術的難度を追求するフリークライミングの大きな潮流に対して「あんなのは器械体操でクライミングではない」という人が多くいました
このような事情があったこともあり上田益孝や島田貞雄など志を同じくするメンバーと共に1989年に千葉県でフリークライミングコンペ(脚注2)を始めたのです

私の頭の中では200年前のモンブラン初登頂と先週のリードジャパンカップは歴史的必然性という糸で結ばれています

さて、明々後日(4月10日)に印西クラックで懸垂下降トラブルのレスキューの講習会を予定しています
私も含めてですがガイドによる講習会では配布されるドキュメントは予定表&装備表程度で技術に関連する解説ドキュメントはほとんどなく、ガイドが解説と実演をして「さぁやってみてください」というパターンが多かったのではないでしょうか
参加者は必死になってメモをとるしかありませんし、メモでは記載漏れもあるでしょう
このような状態に私も大いに反省し、講習内容に関して参加者が再現できる手立てとなるドキュメントが必要だと思いました
そんなことができるようになったのもガイドとして修業中の素直さんと共に実技検証が毎週、いや毎日でもできるようになったからです

4月10日に予定されている懸垂下降レスキューのマニュアル作成の為に今日は10時から17時まで印西クラックで素直さんと過ごしました

帰宅してから本日の実技検証結果を踏まえて手順書を作成し21時頃に素直さんにチェック依頼を送りました

明日はスタッドレスからノーマルタイヤへの交換やアイスクライミングギアの整理で過ごすことになりそうだ




(脚注1)旧ソ連の岩登り競技会の影響を受けて日山協がすでに実施していました
(脚注2)この資料は第7回となっていますが、時代に通用するフリークライミングコンペとしては第二回目のものです
千葉では1983年から岩登り競技会が開催されていたことがわかります
初期の頃は鋸山で実施していました
現在、千葉県内には公共のクライミング施設が数多く存在しますが、そのルーツはここにあります

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