2022年11月24日木曜日

長野県警岸本さんを招いて遭難防止講習会

日の暮れた日比谷公園

10月の都岳連運営委員会の席で遭難対策委員会の槙委員長から長野県警の岸本さんを講師として招聘して「遭難防止講習会」を実施するとの案内がありました
それが今日でした
会場は日比谷図書文化館4階

2013年から数年に及んだ土橋さんの捜索では岸本さんをはじめとする長野県警の皆様には大変お世話になりました
東邦航空の捜索ヘリコプターにまで同乗していただいた岸本さんのサポートには感謝の気持ちで胸が震える思いがしたものです
土橋さんの遭難対策本部は上田さんや谷川さんつながりで土橋さんと山に登っていた千葉県、茨城県、栃木県のクライマーや遠く岐阜、奈良のメンバーで構成されていました
捜索は私たちの登山人生の中で最も理論的思考を駆使したもので、全身全霊を打ち込んでおこないました

なぜそこまで捜索するのか?という問いに対する私たちの答えは次のようなものでした

「もし私たちが行方不明になった時、土橋さんは現在の私たち以上の情熱を持って私たちを捜すだろう だから私たちは土橋さんを捜す」

来年の8月で土橋さんが行方不明になって10年の節目を迎えます
私の心のどこかに今でも捜し続けたいという気持ちがあります
来年、10年の節目を迎えるにあたって区切りをつける必要があるのか、あるいは区切りなどつける必要すらないのか
さまざまな思いが心をめぐります

2019年5月に横尾で再会した時のショット

GPSに記録された捜索の為の東邦航空ヘリの航跡

東邦航空ラマによる捜索の様子


3 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

賀来さん、ご無沙汰しています。谷川です。
土橋さんの捜索では多大なご苦労を頂き今でも賀来さんには申し訳ない気持ちで一杯です。
来年、8月7日で満10年になりますが節目として慰霊登山を考えたことがありますが2回目捜索以降、帰路はいつも息苦しくなり不安を感じました。上田さん同様、私も狭心症だろうと思います。強力な握力で心臓を握りつぶすような痛みですが10分程安静にするとス~ッと消えます。初めて発症したのは賀来さん達に遅れて尾崎さんと二人で入山した2回目の捜索帰路でした。車にたどり着き発症、このまま死ぬのか!と思いもしかしたら土橋さんが呼んでいるのかな?などと思いました。10年後は慰霊登山をと思いましたがチョットやばそうです。賀来さんが息子さんとザックが見つかった北鎌沢、左沢へ行かれた時、土橋さんは自然に帰られたんだな~とのコメントに救われました。どんな岩壁でも懸垂、登攀で捜索は出来ますがあのコメントでそ~っとしておくことが土橋さんの本望かな、と思うようになりました。遭難現地での慰霊は厳しいですが千葉、茨城、栃木県等の近場での慰霊又は偲ぶ会等計画されれば是非、参加させて下さい。

Motoaki Kaku さんのコメント...

今でも土橋さんのことが頭の中から離れることはありません
土橋さんは私たちの手本でしたから

あれから10年になるんですね
雑念を一切振り払って取り組むという体験をしましたが、遭難対策本部長を谷川さんが引き受けてくれたからこそ、成り立ったと強く思っています むしろお世話になったのは私の方です
そして上田さんがいなければあれだけのメンバーが一致団結して捜索に集中することもできなかった

そんな中で、心を時々よぎるのは土橋さんの奥様のことです
10年の区切りとして奥様を囲んで食事会等を計画しても良いかもしれませんね

Unknown さんのコメント...

上田です。ご無沙汰しております。

土橋さんが消息を絶たれてから来年8月で10年になるのですね。こうしてはっきりと記憶をたどれるのは賀来さんが記録をしっかりと残されているからこそ、また、賀来さんに同行した山行等もその記録の恩恵に与っています。ありがたいことです。

そして賀来さんと同じように記録を残し、山行に当たってはただついて行くだけで良いように計画を立てて頂いた尾崎さんがいたればこそ土橋さん捜索に皆が心ひとつに向かえたのだと思います。

谷川さんの言われる仕事を犠牲に、また家族で捜索に向かった賀来さん、皆をまとめた谷川さん、尾崎さんいたればこその土橋さん捜索でした。