とある縁があって、来月5月14日に晴れていれば三頭山に登ることになった
大島亮吉の紀行の中に三頭山の記録があって、昔から気になってはいたが登る機会を逸していた山でもある
それで本棚から「大島亮吉全集」を引っ張り出し老眼鏡を通して「三頭山」の記録を読み直してみた
19歳になったばかりの大島亮吉が三頭山に登ったのは大正7年(1918年)9月5日から6日のことですでに100年以上前のことだ
一ノ倉沢などの谷川岳東面の岩場を世に紹介した大島は、この9年後 28歳という若さで積雪期前穂高岳北尾根に逝った
三頭山の紀行では五日市線のない時代に八王子を出た大島は秋川沿いに歩き、時坂峠を経て数馬で一泊 翌朝6時に宿を出立して三頭沢経由で登頂し、下山は上野原発7時40分の列車に乗ったとある
5月14日は小河内から登って五日市方面へ下るとのことなので、大島亮吉がたどったものとは異なるが、いつの日にか時坂峠を越えて数馬で一泊し、上野原へと歩いてみたい
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