2024年12月25日水曜日

長女が用意してくれた最高のクリスマスパーティー


生後十ケ月の乳児を抱えて奮闘している長女がクリスマスパーティーをしたいから来てくれとお招きいただきました

長女の調理の腕前は高く、以前にも驚いたことがあります
幸子さんや私にとって最高にうれしいのは孫の相手をすることなので、これだけの料理を用意する苦労をおもんばかってしまいます

12時過ぎに素直ガイドと幸子さんと私の三人で長女の家まで行きました
我が家から信号が三つ 7分で到着します

2024年12月24日火曜日

クリスマス(キリストのミサ)


カトリック幼児洗礼の私はクリスマスの夜半のミサに与っていると幼い頃のことが思い出されます
それは生まれ故郷の大分県中津市のドンボスコや古城教会だったりします
幼い私は祖母や叔母、叔父、父、母に連れられてミサに与っていたのです

今年は幸子さんと16時のミサに与りました
クリスマスとはそもそもキリストのミサという意味で全世界のカトリック信者がミサに与ります フランスとは8時間の時差がありますがカトリック西千葉教会で洗礼を受けた南フランスの孫たちも同じように8時間後にはノエル(フランス語でクリスマスの意味)のミサに与ることでしょう

2024年12月22日日曜日

ほころび始めた蝋梅


強い冬型の気圧配置になって山は警報級の大荒れらしい
今年は大雪でサンタさんもやってこれないかもしれないと素直ガイドが言うほどだ
土日に川上村に行って男山ダイレクトを登ろうとしてしていた素直ガイドは激しい降雪に見舞われて雪景色に一変したという
夜の気温は-10℃で、最高気温も‐1.5℃だったようだ
ところが不思議なもので四街道は土曜の夜から日曜日の明け方までの最低気温が5.7℃と高かった 夜間は曇り空だったので放射冷却がなかったからだろう

2024年12月20日金曜日

恒例 甚兵衛蕎麦で忘年会


1年を迎えたことを実感する甚兵衛蕎麦での忘年会
今年も岩崎と大木さんに会いに行くために宗吾霊堂前の甚兵衛蕎麦へ行きました
アルコールが入るので幸子さんに休暇をとってもらい車で送迎してもらうのは毎年のことです
なぜ、大木さんに会いに行くのでしょうか?
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・・・・1975年6月
当時立教大学山岳部員だった大木友康さんが北穂沢で1年間の休学を必要とする大けがを負いました

2024年12月15日日曜日

ガイド養成実技2の二日目

懸垂下降の結び目の通過

今年の冬、最も冷え込んだ朝をむかえました
四街道の観測上の気温は-2℃ですが、市街地から少し離れた我が家ではもう少し低い気温だったのではないかと思います
昨年のヨセミテ・エルキャピタンでの右足首骨折の予後が悪く、ベッドから洗面所へ歩くのもつらい状態です
やりたい放題で皆さまへ御迷惑をかけてきた天罰ですな
パライソから土橋さんや木内さんが笑いながら見ていることでしょう

さて、ガイド養成実技2の二日目です
実施した主な項目は次の通りです

2024年12月14日土曜日

ガイド養成委員会実技2 レスキュー

最小限のギアで構築されたオートブロックシステムによる引き上げ

都岳連ガイド養成の実技2の初日が今日、印西クラックで実施されました
実技2はレスキューとショートロープが大きなテーマです
都岳連ガイド養成レスキューで講習する技術は通常の山岳クライミング、アルパインクライミング、ビッグウォールクライミングでも使用されることはほとんどないものばかりです
ですから市販の技術書やネットを検索しても該当は表示されませんので、ガイド養成参加者にとっては大きな喜びでもありますが、実技での説明は一回限りとなりますので反面真剣勝負の場となります

予習と復習が前提となっているガイド養成ですが事前準備をしている参加者とそうでない参加者がいるのも事実です
プロガイド養成委員はニコニコしながら穏やかな口調で説明していますが内容は極めて辛辣です

2024年12月10日火曜日

柚子も黄色くなった師走の火曜日


冬型の気圧配置になって朝の気温が0℃となる日が続いています
連日のように車のフロントガラスが凍りついています
私の風邪はほぼ全快し右足首の痛みも和らいで日常生活に戻りつつあります

ところが昨日、仕事を終えた幸子さんが帰宅するなり
「風邪ひいた~」と言ってソファーにどさっと倒れ込んでしまいました
16時半過ぎでした
それでいち早く夕食にしようと近くのスーパーマーケットに寿司を買いに行って素直ガイドを含めて3人で食べました
食べ終わったのは18時で幸子さんはそのまま就寝しました
それからは素直ガイドと明日の講習会のマニュアルを作成しプリントアウト 更に土日のガイド養成の相談をして私も就寝しました

そして今朝

2024年12月8日日曜日

クリスマス気分で盛り上がる世間ですが・・・


今日はカトリックの教会歴では待降節第二主日です

長引いている風邪はようやく収まりつつあるのですが、昨年のヨセミテエルキャピタンで負った右足のくるぶしの骨折の具合が良くありません
この右足のくるぶし骨折は同じ個所を3回に渡って骨折しているので、もうどうしようもありません

五日ほど前には痛みが激しくトイレまで歩いていくことができないような状態でした
ヨセミテメディカルクリニックで用意してもらった松葉杖
戒めとしてこの松葉杖はギアラックに飾っているのですが、これを引っ張り出してトイレに行くような状態でした
今日になってだいぶ痛みもやわらぎ松葉杖なしで歩けるようになったのでカトリック西千葉教会のミサに与りに行きました
カトリック西千葉教会から帰宅すると幸子さんが美味しい昼食を用意してくれていて、それを食べてからのんびりしました

2024年12月4日水曜日

木内さんの命日は体調不良

東壁ルンゼにて

今日は2007年に亡くなった木内さんの命日です

孫たちが去って、火の消えたような我が家
素直ガイドは一昨日から谷川岳に入っているし、幸子さんは仕事
私はだだっ広い家に一人で伏しています
というのも11月25日から風邪をひいて調子が悪かったところへ日テレ取材で筑波山へ行ったからでしょう
廣川さんから「とある報告書」のコメントを要請され、それをまとめるのが精一杯でした
かなり重症なのでもう数日かかりそうです
全快したら、また筑波山へ行きたいものです 許されるのであれば上田さんや宮崎さんたちと夜間に登って関東平野の夜景を見下ろすことのできる素敵なテラスでビバーク出来たら最高かも

2024年12月1日日曜日

孫の離日


一時帰国していた孫が離日する日がとうとうやってきた
とてもしょんぼりすることには変わりはないのだけれど、2022年2月に渡仏した時とは状況は変わっていた
あの時は母親である次女にとっても未知の世界への旅立ちだったから、送り出す私たち家族も感傷的な気分を超えた不安というものがあった
あれから2年半が経過し、孫たちにも友達ができて、夫の仕事も順調でベンツがあり、次女もフランス語の国家資格の最上位を取得し現地の会社で最優秀社員表彰を受けるなど生活基盤が確立している
そして孫娘も待っている

私は孫がまだぐっすりと眠っている6時10分に筑波山へ向かって出発した
紅葉の真っ盛りをむかえた筑波山での日テレ取材は順調に進んだが、少々誤算だったのが順番待ちのロスタイムだった 女体山を往復するだけで1時間以上、下山のケーブルカーが50分 合計2時間あまり行列に並ばなければならなかった
取材クルーとつくば駅で解散したのは18時半
放送は明朝だというから、これから新橋の日テレタワーに戻って徹夜で編集作業などをするのだろう 頭が下がる思いだ

私は素直ガイドに連絡を入れた
一旦、四街道に帰宅する余裕はないので直接羽田に向かうと
素直ガイドは羽田まで孫たちを乗せて出発しようとしている直前だったと思う