勤続30年のリフレッシュ休暇
紆余曲折の結果8月13日から8月31日までの取得としました。
で、どこへ行くか。北米か欧州かネパールか・・・
結局、勝手のわかっている欧州と言うことにしました。具体的にどこへ登るかというプランも頭の中に幾つも浮かんできますので。
ひとまずは一刻も早く航空券を手配しないと、廉価なチケットから埋まっていきます。
今日の時点でもすでに相当な金額・・・ANAジュネーブ往復で422,720
しかしながら、これで予約しました。
成田を8月14日に出発し、帰国は8月31日
出国便はANA NH209
成田発は14日11:25
成田:フランクフルト
フランクフルト:ジュネーブ
ジュネーブ着は14日17:30
帰国便はANA NH202
ジュネーブ発は30日10:20
ジュネーブ:ロンドン
ロンドン;成田
成田着は31日15:20
2011年6月12日日曜日
2011年6月11日土曜日
八ヶ岳研究上
会社近くのなじみの古本屋に獨標登高会の八ヶ岳研究上下巻セットが売りに出されていた。
山登りは精神の思索といった側面を色濃く持った行為からか著作物が多い。そういった著作物は山岳文学と称され名作がいくつかある。
もし私にあまたある山岳文学の中で最高峰として一冊を選べといわれたら何を選ぶのだろうか。
とても一冊に絞ることなど出来ないが、その数冊の中に山口耀久氏の「北八ツ彷徨」が含まれるのはまちがいない。
その山口耀久氏が創立したのが獨標登高会である。
獨標登高会というと忘れられない人物がもう一人いる。そう、久間田芳雄氏のことである。一ノ倉沢三ルンゼ冬期初登攀中に没した久間田氏のことは長くなるので今回は触れない。
八ヶ岳研究下巻は1976年に購入し、冬の地獄谷のバイブルとして活用させてもらった。「北八ツ彷徨」と「八ヶ岳研究下」は私の頭の中でイメージとしてだぶり上巻を読んでみたいと強く思った。しかしながら上巻は出版社「朋文堂」が倒産し絶版となっていた。
当然、古本屋街で上巻を探した。しかし神田神保町の悠久堂で見つけた上巻は当時学生の身だった私にはとても手の出せるような金額ではなかった。
そんな経緯があったから八ヶ岳研究上下を見つけたときには下巻がだぶることになるけれども買おうと思った。念のために書店の主人に「下巻はもっているので上巻だけを売ってくれないか」とたずねたところ、上巻だけを取り寄せてくれると約束してくれた。
そして数日後、書店の主人から連絡があり、待望の上巻を手に入れることができた。
ここのところ、通勤電車の中で一ページ一ページを慈しむように読んでいる。
2011年5月29日日曜日
久しぶりに頑張った明神岳東稜ワンデイ
とりそこないのリフレッシュ休暇。本当は妻とヨセミテへ行こうと計画していた。航空券を予約する寸前に二週間の連続休暇が困難になってしまった。
天候が良くなかったので上高地滞在を中心としてあわよくば明神岳の東稜を登ることができれば良いなと計画した。
天候が良くなかったので上高地滞在を中心としてあわよくば明神岳の東稜を登ることができれば良いなと計画した。
2011年5月27日金曜日
2011年5月21日土曜日
カメラの修理
昨年6月に購入したEOS KissX3だが、10月頃からストロボがポップアップしなくなった。
ストロボを使うことはほとんどないので、さほど不便さは感じていなかった。
そして毎週山へ持って行くので修理に出す暇がないというのもあった。
無償保障期間が来月に迫っていたし、EOS 7Dを手に入れたので、KissX3を修理に出すことにした。
5月12日に勤務先の銀座サービスセンターへ持ち込んだが、その日はあいにくの大雨。有楽町から松屋裏のセンターへたどり着いた時にはずぶぬれになっていた。
このサービスセンターには、昨年定年退職した長澤さんがいるということを知っていたので、呼び出してもらった。長澤さんはケビンコスナー似の人で山岳写真同人「四季」の会員。一緒に小川山でキャンプをしたこともある。
話を聞ところによると、ここで写真撮影のコンサルティングをしているという。定年退職後に好きなことを仕事にするというのはとても幸せなことだ。
となると私はどうしたらいいのだろうか。山岳ガイドでもやるか・・・。
ところで修理に出したX3は18日に仕上がった。今の修理はユニット交換らしくカメラの上部がそっくり新品に入れ替わっていた。
過酷な使い方をしたKissX3は機番を読み取れないほどになっていた。
ストロボを使うことはほとんどないので、さほど不便さは感じていなかった。
そして毎週山へ持って行くので修理に出す暇がないというのもあった。
無償保障期間が来月に迫っていたし、EOS 7Dを手に入れたので、KissX3を修理に出すことにした。
5月12日に勤務先の銀座サービスセンターへ持ち込んだが、その日はあいにくの大雨。有楽町から松屋裏のセンターへたどり着いた時にはずぶぬれになっていた。
このサービスセンターには、昨年定年退職した長澤さんがいるということを知っていたので、呼び出してもらった。長澤さんはケビンコスナー似の人で山岳写真同人「四季」の会員。一緒に小川山でキャンプをしたこともある。
話を聞ところによると、ここで写真撮影のコンサルティングをしているという。定年退職後に好きなことを仕事にするというのはとても幸せなことだ。
となると私はどうしたらいいのだろうか。山岳ガイドでもやるか・・・。
ところで修理に出したX3は18日に仕上がった。今の修理はユニット交換らしくカメラの上部がそっくり新品に入れ替わっていた。
過酷な使い方をしたKissX3は機番を読み取れないほどになっていた。
ところがユニット交換したストロボ周辺は新品状態
サブ機としてこれからも大切に使い続けたい。
2011年5月17日火曜日
コンパクトフラッシュカードCF64G
EOS7D用のメモリカードはコンパクトフラッシュカード
つまりSDカードは使えない
そこで64GBのカードをネットで購入。本日到着した。
つまりSDカードは使えない
そこで64GBのカードをネットで購入。本日到着した。
それからバッテリーも注文した。今週末から8日間妻と山へ入るので予備のバッテリーが必要。
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カメラ
2011年5月15日日曜日
筑波山のニリンソウとミツバツツジ
昨日は、妻と二人で筑波山
男の川橋に車を止めて、筑波高原キャンプ場まで歩き、祖父が峰歩道を経由して女体山へ。帰りは男体山から男の川コースで戻った。
ミツバツツジが満開で、ニリンソウも咲き残っていた。
男の川橋に車を止めて、筑波高原キャンプ場まで歩き、祖父が峰歩道を経由して女体山へ。帰りは男体山から男の川コースで戻った。
ミツバツツジが満開で、ニリンソウも咲き残っていた。
みごとなニリンソウの群落
2011年5月14日土曜日
2011年5月7日土曜日
2011年5月4日水曜日
2011年4月26日火曜日
ゴールデンウィーク2010年の涸沢
2009年の正月合宿で左頚骨を螺旋骨折したので2009年はリハビリの一年だった。2009年の5月の段階では歩くのやっとと言う状態。
そして2010年。まだ左足の患部が痛んでいたが涸沢へ戻ることができた。
この年は妻と二人だけの山行。従ってマンツーマンでビレイができるので北穂高岳の東稜を登った。
気持ちのよいルートだった。
そして2010年。まだ左足の患部が痛んでいたが涸沢へ戻ることができた。
この年は妻と二人だけの山行。従ってマンツーマンでビレイができるので北穂高岳の東稜を登った。
気持ちのよいルートだった。
ゴールデンウィーク2008年の涸沢
涸沢から奥穂高へ登るのは難度が高い。穂高岳山荘までは易しいが白出乗越から奥穂までが難しい。2008年はその奥穂高岳へ登った。
この年は幸いにも雪の状態が良かったが、梯子のある岩場の頂上側にある50mの雪壁。
帰路、ここの下降が核心部となる。下りはアイゼンのツメを引っ掛けやすく、転倒すれば死亡事故だ。
この年は幸いにも雪の状態が良かったが、梯子のある岩場の頂上側にある50mの雪壁。
帰路、ここの下降が核心部となる。下りはアイゼンのツメを引っ掛けやすく、転倒すれば死亡事故だ。
2011年4月7日木曜日
2010年6月27日日曜日
松永敏郎さん
6月はじめに一通のはがきが届いた。
それは山登りの世界で私が最も尊敬している松永敏郎さんからのはがきだった。
松永さんのアポロスポーツが閉店になってから7年が経つ。閉店時に売れ残った商品を分けるので来ませんかという知らせ。
6月26日土曜日に都内のご自宅にお伺いした。
松永さんの教え子や日本山岳協会、日本山岳会などで親交のあった人たちがやってきた。
かつて日本山岳協会の面々と酒を酌み交わしながら囲んだ囲炉裏にはふたがしてあり、その上には奥様の介護用のベッドが置かれていた。
この10年ほどの松永さんの苦労がしのばれた。
2時間ほどお邪魔して、ヘルメット、ストーブ、磁石、ミトン、靴下、ナイフ、ランタンのマントルなどを譲っていただいた。
帰りしなに松永さんは言う。
「もう会えないかもしないな。次に会えるのはあの世かもな」
硬い握手をして別れた。
4月18日からなんらかの形で10週連続で山へ行ってきたが、今週はお休みだ。
妻が風邪をひいてしまったからである。なんとなく一人で行く気がせず、松永さんから譲っていただいた道具の調整などして一日を過ごした。
2010年6月16日水曜日
沢登りルート120
山と渓谷社「沢登りルート120」と言うガイド本が本日発売となった。
帰宅途中に東京駅で下車し、丸の内の丸善で購入。
過去、沢のガイドブックと言うと山と渓谷社発行のものとしては1995年発行の「丹沢の谷110」などがある。これはシリーズになっており奥多摩、奥秩父、上信越などを紹介したガイド本が連続して発行された。
このシリーズは上信越を除いては記述がいい加減なものが少なくない。「丹沢の谷110」は特定の著者のものではあるがあきれるものがある。
2000年発行の白山書房の「東京周辺の沢」も一般的である。
山と渓谷社の「丹沢の谷110」と白山書房の「東京周辺の沢」を読み比べてみると、同一の著者が同じような記述をしているものがあり、いい加減な記述は特定の著者であることがわかる。
しかしながらこのようないい加減な記述が問題になった話しはあまり聞かない。それなりのベテランを対象とした沢登りの分野では遡行者自身が判断してルートを発見し登ることが前提となっているし、沢の形状は変化が激しいこともある。
この本に過去のガイド本のようなアバウトさがあるかどうかは、もう少しじっくり読んでみないとわからないが、記述が間違っていたがために遭難したとして訴訟を起こすような新人類が出てきそうだ。編者の宗像氏が「はじめに」で懸念している通りである。
ひとつ興味を引いたものがある。インタレストグレードである。ロッククライミングを中心として山登りを行ってきた私の価値観とこのガイド本の価値観の相違である。
少し考えてみたが「沢を登攀対象として捉えるのか否か」が影響しているように思える。私にとって沢は登攀対象ではなくどちらかといえば旅に近いものだ。
純粋に登攀行為を追及するのであればフリークライミングに帰結するし、自然条件などの不確定要素をはらんだ登攀を追及するのであれば国内では奥鐘山西壁などを頂点とする課題がある。さらに追求をしていけばそれらの冬季登攀が課題となろう。
私がただの河原歩きと徒渉の連続に過ぎない黒部川の上ノ廊下を三度にわたって遡行したのは登攀の価値観とはまったく異なる価値観をそこに見出したからだと思う。一ノ倉沢、奥鐘山、ナチュプロのフリールート、グランドジョラス北壁などとは異質の価値観がそこにはある。
沢登りに登攀の価値観を持ち込むことに違和感を感じている私から見ると沢登りの価値観は登攀の価値観とは別のものであるということをもう少し前面に打ち出しても良かったのではないか。
2010年4月1日木曜日
松本の馬刺し&秋田
3月30日に松本へ入り、仕事が終わってから馬刺しなるものを食す。
もちろん、馬刺しの名店など知らないので地元信州大医学部附属病院のHさんに紹介してもらって行ったお店
店の中に入って注文のやり取りをしていて、女将いわく「あんたらひょっとして初めてか」と驚かれました。
初めてだということに驚かれたことに、私たちが驚いたといった感じでした。
味噌馬刺し、霜降り馬刺し、刺身盛り合わせ、モツ煮込み、野沢菜、そして4人で酒一升程度。
生まれて初めて馬刺しでおなかいっぱいになりました。
このお店は、観光客向けのお店ではありません。
なにせ、メニューがないのですから。従って予算計画というものが立案できません。
何がいくらで出てくるのか・・・。
かって知ったる常連だけを相手にするお店という感じでした。
写真は霜降りの馬刺し一人前
2010年2月22日月曜日
トンテキって知ってる?
いつものとおり「のぞみ305号」に乗って、今日は名古屋。
昼飯に「トンテキ」なるものを食したくて、名古屋支店のメンバーにリクエスト。
ところが、長い打ち合わせと得意先への訪問に引っ張りまわされ、昼食をとったのはなんと16時。
やっぱり執念でトンテキ食べます?という雰囲気を押し切ってトンテキを所望。
連れて行ってもらったのは名古屋支店のすぐそばにある「広小路キッチンマツヤ」
http://www.sanynet.ne.jp/~mty/
社内における事前のトンテキに関する下馬評は必ずしも芳しいものではなかった。いわく甘いたれが我慢できないなど
ところがどっこいおいしいではないか!
名古屋の食として「ひつまぶし」「味噌煮込み」「きしめん」「味噌カツ」を昼食として食べてきたが、トンテキは上位ランクに位置するのではなかろうか?
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