2022年6月1日水曜日

印西クラック運営委員会メンバーの訃報


北穂高岳の登頂を終え、5月29日ゆっくりと涸沢ヒュッテで快晴の朝を迎えました
上高地から沢渡へ向かうバスに乗車し15分ほど経過した時、携帯電話が鳴りました
ディスプレイを見ると「内田さん」と表示されています
通話に出ると内田さんの声ではありませんでした
心の準備をしていましたから、声の主が内田さんではないことを知ったその瞬間にすべてを理解しました
抗がん剤の効果で元気になって3月までは一緒に印西クラックのビレイなどをしていました
通夜 5月31日 告別式 6月1日
この訃報を印西クラック運営委員会のメンバーと田村さんと目次さんに伝えました
目次さんは千葉県フリークライミング協会(CFA)のメーリングリストで一斉同報してくれました
それから「ミミナグサ」にも連絡をしました
一通りの連絡が終わって内田さんの孫の「昴」君のことを思いました
内田さんはすばる君をよく印西クラックに連れてきていました
通夜の5月31日はあいにく都岳連の年次総会でしたので、本日6月1日の告別式に参列させていただきました
祭壇の左側に田村さんの献花があり昨年8月に他界された奥様と連名でした 田村さんの気持ちが伝わってきました
涙ぐむすばる君の肩に手を置いて、私も涙を止めることができませんでした

内田嘉彦さん
5月27日11時43分永眠 78歳でした

0 件のコメント: