Rock&Snowの最新刊にもいくつかの素晴らしい記事があって、鳥肌が立つような感動を覚えたので記述したい
まずは、この年末年始に行われたビッグクライム、黒部横断の2本である
一つは上ノ廊下を横断して上ノ黒ビンガを登攀して鍬崎山へと抜けたもの
そして、もう一つが十字峡付近を横断して八ツ峰を縦走したというものであった。
冬期に上ノ黒ビンガを登攀しようとする着想自体に驚愕を覚えるが、さらに腰を抜かさんばかりに驚いたのは八ツ峰縦走である
そして今回Rock&Snow59号を読みノンデポ・ノンサポートのビッククライムであることを知った。
1970年代の後半から始まった日本の登攀界のうねりの中でフリークライミングの大波を真正面から受けて「山岳クライミングは死滅した」と思えるような数十年が過ぎさった
そのような流れであったからこそ鈴木謙造君の存在に胸を振るわせた先鋭クライマーも少なくなかったのでないか
つまりその時点でのフリークライミングの最高難度・・・謙造君の時代には5.13・・・の登攀能力を氷雪の山岳で展開するという試みはコンペやボルダリングの全盛時代を迎えて死滅したかのように思われた。それゆえ謙造君の存在に多くのクライマーが感銘したのだろう
菊池敏之さんが山岳雑誌で「鈴木謙造の名を語るとき若いクライマーたちは感極まって泣く」と記述しているのを読んだことがある
やはり技術的高難度と究極の危険度を追求する本当のアルパインクライミングの地下水脈が存在していたのかと、私までもがもらい泣きするような逸話である
ここ数年、馬目氏らに代表されるクライマーたちによって真のアルパインクライミングが復活しつつあると感じさせる記事だった。
さて、その1970年代後半のフリークライミング大波を真正面から受けた年代のクライマーにとって忘れられないパトリック・エドランジェの追悼記事を読んだ
パトリックが亡くなった直後に、この私のBlogに記述したが、ほとんどの人はパトリックを知らないのかもしれない
概要は杉野さんの記述の通りであるが、当時発刊されていた写真週刊誌「FOCUS」に少年パトリックが見開き2ページで掲載されたことがあることを知ればいかにインパクトがあったかを理解してもらえるかも知れない
杉野さんのRock&Snowの記事で「パトリックがカリスマであった」という表現に異論はないが、それをはるかに超える存在があったと思う
それはやはりジョン・バーカーではなかろうか。与えたインパクトの強烈さでジョンをしのぐクライマーを私は知らない。
それから「北川の岩場」の記事で久しぶりに志賀光則さんの写真を見た
二子山で私をビレイしながら志賀さんが「中根は赦せない」と言い続けていたのを思い出す。
当時の「岩と雪」で中根穂高氏が「かかってきなさい」という下品な連載をしていてその中で国分さんを侮辱するような記事を書いたからである
やはりRock&Snowは面白いとつくづく思った次第。
話題はまったく変わるけれど、昨夜22時42分に見慣れぬ電話番号からの着信があった
そして今朝10時過ぎに再び電話
音声が途切れ途切れでよく聞こえない
そうこうするうちに回線が切れた
あらためて発信側の電話番号を見ると先頭の番号が「81」とある
これを見て察知した
ネパールからの国際電話である
1分も経過しないうちに再度着信
やはり息子の大学山岳部の大谷監督
高度障害で息子が体調を崩し大谷さんと一緒にルクラまで下山してきたところだという
詳しいことはわからないが、息子にルクラまで付き添ってくれた大谷さんに感謝
そして15時過ぎに息子から国際電話
すでにルクラからカトマンズに到着したという
本隊が下山してくるまで一ヶ月近くカトマンズに滞在するという
ずいぶんと関係者の方々にお世話になっているようで感謝に耐えない
さて、明日の土曜日
なんとしても山に行きたい
妻も行きたいと私に言う
久しぶりに標高差1000m程度の山に登りたいと地形図などを用意しているが、妻の体調が万全ではないように見受けられる
明日の朝、妻の様子を見てからどこへ行くかを決めたい
2 件のコメント:
「かかってきなさい」、下品と言っても下ネタが載っていたわけでもないし、僕は結構好きでした(笑)。ま、志賀さんの気持ちも判らないではないですが、とかく排他的な雰囲気もあった中で、ジャック中根氏は人柄も好きでしたよ。
素直君、せっかくネパールまで行ったのに残念ですね。でも、高度ばかりは根性で克服できるものではないし、次に期待しましょう。
先ずは、大事にならなくて何よりでした。
飯田さん
おはようございます
ここ数日暖かな日が続いていますね。通勤時のコートを今年になって初めて着用しませんでした
中根さんの「かかってきなさい」は面白かったですね。自分たちに火の粉がかかってこないもので毎号笑っていました。
でも国分さんのことを書いた号は酷かった
「これはいくらなんでも限度を超えているなぁ」と思っていたものですから志賀さんが怒り心頭になっているのを見て、やっぱりそうだなぁと共感を覚えました。志賀さんと国分さんは仲間でしたからね。
志賀さんはいすゞの白いビッグホーンに乗っていたので、志賀さんが亡くなられた後も、山の中の林道で白いビッグホーンとすれ違うと、ひょっとして生きているのではないかとふと思ったりしました。
今日はこれから教会です
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