長女と、これから八ヶ岳へ行く
黒百合平から編笠への縦走。寒気が流入しており寒いだろう
2006年11月21日火曜日
今日は繁盛しました
2006年11月7日火曜日
2006年10月20日金曜日
長崎再訪
ほぼ一年ぶりの長崎。
今回の第一目的は10月の第四日曜日(今年は10月22日)に国東半島で行われるペトロカスイ岐部神父さまの殉教祭への参加であるが、その前に長崎へ行こうと企てたのだ。
2006年9月22日金曜日
2006年9月2日土曜日
2006年8月6日日曜日
2006年7月23日日曜日
2006年6月15日木曜日
やけ食い
2006年5月29日月曜日
モンキーを購入
今日は午後から新潟を往復した。関東地方はまずまずの好天だったが、上越国境トンネルを越えて越後湯沢に入ると雨だった。浦佐、長岡を過ぎる頃には雨は降っていなかったが、どんよりとした曇り空の新潟だった。
昨日は日曜日で、午後からモンキーを買いに行った。
2006年モデルの新車、諸経費込みで20万円。
20代の頃には岩場探しを目的としてバイクに乗ったが、岩場のない千葉県に住んでいるとは言っても、昨今ではクライミングボードが発達したので当時のような必死で岩場を探す必然性もなくなった。
では、なぜ今頃モンキーを買ったのか?
それはモンキーが車に積載できるからである。モンキーを車に積載することによって入山地と下山地の選択の幅が広がる。
そう思うとわくわくする。
たとえば、上ノ廊下を遡行して裏銀座から烏帽子に至りブナ立て尾根を下降する。
あるいは双六谷を遡行して新穂高に下山する。
というように用途は無限に広がっていく。プランの幅が拡大する。
Labels:
日常生活
2006年5月10日水曜日
北国の春
一泊二日で青森へ出張に行き、先程帰宅した。
初日は弘前で仕事をこなし、宿泊は湯段温泉。湯段温泉は地元弘前の人は知っているそうだが、少し離れた青森市の人は知らないというほどの秘湯。
なぜ、こんな秘湯に宿泊することが出来たかというと、私の勤務先の同僚Mさんと一緒に出張したからである。
Mさんは木造の出身で、弘前高校OB。弘前高校時代に弘前市内に3年間下宿していたので、このような場所を知っていたのである。
しかもMさんは東京大学ワンダーフォーゲル部出身で、大の山好き。私と好みがぴったりなのである。弘前市街地のビジネスホテルに泊まるなんて真っ平ごめんということで、湯段温泉に連れて行ってくれることになったのである。
この湯段温泉は岩木山の中腹にある完璧な湯治場で、一般の温泉客が行くような場所ではない。それだけにすべてが感動的だった。
今朝は朝5時に起床して、付近の風景を写真におさめたが、残雪に水芭蕉の群落が見事だった。
Labels:
出張
2006年5月6日土曜日
カトリック松本教会
穂高から下山してきて、木漏れ日の湯で汗を流し髭を剃って歯を磨いて髪を整えて着替えた。
松本市街地へと車を走らせ、カトリック松本教会へ行く。
松本城の前にあった。神父さまに「西千葉から来ました。穂高岳登山の帰りに寄りました」と言うと「西千葉教会ということは小林神父さまですね。小林神父さまも登山がお好きなんですよね」
長女と二人で「十字架の道行き」を行った。
青春の穂高
山岳文学の傑作として中学校の国語の教科書にも採用されたことのある青柳健の「青春の穂高」
4月末から5月初旬の涸沢を舞台とした幾つかの印象的な記述。
長女と二人で行ってきた。5月3日に入山し、先程5月6日21:27に帰宅した。四日間ほぼ快晴で春の穂高を堪能した。
2006年4月30日日曜日
新緑の丹沢
神山復生病院を辞してから、丹沢へ向った。
まだ少し時間があるので、もう一山登ろうということになった。
許される時間は3時間。
新茅の沢
つつじがちらほら咲き始め、ふもとの林道は新緑のトンネルになっていた。
神山復生病院
数年前のミサで小林神父が、神山復生病院のことを語ったことがある。 説教の最後に神山復生病院の信徒が旧御聖堂で歌った「神のはからいは限りなく」の録音がマイクを通して流された。その時、西千葉教会の御聖堂は水を打ったように静まりかえり、皆が深く、ただ、ただ泣いた。 誰もが涙の流れるのにまかせた。
さらに今年帰天された五井教会の岩崎神父が、昨年西千葉教会のミサへ来られたことがあって井深八重の生涯を教えてくれた。
いつの日にか必ず神山復生病院を訪れたい。そのように願っていたから、御殿場への訪問はまたとない機会と感じた。
カトリック御殿場教会からカーナビで神山復生病院に照準をあわせ向う。
それは花咲き乱れる美しいところだった。
病院に併設されている御聖堂の中で祈っていた長女と私の前に事務局長のシスター小嶋が現れ、日曜日は休館日であったにもかかわらず私達親子を国の登録文化財である「復生記念館」へと導いてくれた。
カトリック御殿場教会
富士山から御殿場へ下ってきて、例のごとく教会巡りをしようということで御殿場教会を探す。
教会の暦の住所を手がかりにして探すが、なかなか見つからなかった。
聖マリア幼稚園が併設されているので、これを目当てにたどり着いた。
御殿場教会では、バザーの準備のために信徒の方が忙しそうに立ち働いている。千葉から巡礼に来た旨を伝え、御聖堂の中へ入る。
しゃれた作りの御聖堂である。祭壇正面の明り取りの窓が十字架になっている。左右には障子紙が貼られた十字架が並ぶ。
入り口の鴨居の上部にはイコン画が掲げられている。
十字架の道行きは漆塗りのようで、工芸品のようだ。14留の最後にキリストの復活の場面として15留が加えられてる。
天使祝詞と主祷文を祈り、典礼聖歌を歌った。
2006年4月26日水曜日
あの本をついに入手
2006年4月23日日曜日
佐倉高校吹奏楽部第25回定期演奏会
復活節第二主日
2006年4月22日土曜日
ニリンソウと筑波山
今週は妻と長女と三人。
5:15に四街道を出発し、85kmを走って筑波山の裏側つまり北面へ回り込み、旧筑波山ユースホステル近くの登山口に7:20到着。
今日のコースは「男の川道」、スタート地点がすでに標高440mなのでとてもラクチンともいえる。
7:45に出発
しばらく登っていくとニリンソウの群落が広がっている。
上高地の徳沢周辺で春に咲くニリンソウが見事だが、筑波山の北面に咲くニリンソウも素晴らしい。
ニリンソウの群落とカタクリの群落が入り乱れ斜面をおおう。
一時間ほどの登りで、8:45男体山の自然観察道に合流し、8:55に御幸平に到着
先々週に登った日光白根が良く見える。真っ白だ。
少し休んで、自然観察道を歩き立身岩の上まで登った。
素晴らしい展望が広がっている。
霞ヶ浦が近くに見え、来週登る計画を立てている富士山も真っ白にひときわ高く彼方に聳え立っている。
立身岩の先から自然観察道を離れて右の踏み跡を登り、男体山の山頂に立つ。
下山は筑波ユースホステル跡へ続く道を辿る。
9:45御幸平の女体山寄りの公衆トイレの脇から下り始める。
とても歩きやすい道で、10:05林道終点の広場に立つことが出来た。この広場には20台ほどの車が止まっており、それぞれ筑波山へのハイキングへ向ったようだ。
この林道終点の広場の標高は560m、従って御幸平までの標高差はたったの230mと言うことになる。ケーブルカーやロープウェイを使わないハイキングコースとしては最も楽なコースなのかもしれない。
車を止めてある「男の川道」スタート地点までのんびりと舗装された林道を下っていく。
10:25車に到着。
2006年4月19日水曜日
新潟名物「へぎそば」って知ってる?
今日は新潟を往復した。13時過ぎにやっと昼食タイム。
どうする?
Nさんが「“へぎそば”にしましょう」という。
“へぎそば”ってなぁに?
それは小千谷の名物だという。
Nさんのお父様が小千谷の出身で「へぎそば」は小千谷の名物だと言うのです。
小千谷ってあの「小千谷の談判」の小千谷?
そうです。
河井継之助です。
で、小嶋屋総本店にて食す。
非常に腰のある麺である。喉越しも良い。つなぎに海草を使っているという。そばつゆがやや淡白でコクに乏しいことが難点。
大木さんのところのそばつゆで食べてみたい。
新潟は桜の満開。
越後湯沢や浦佐を通過するときの新幹線の車窓から見た雪の量は、昨年よりもかなり多い。少し多いのではない。圧倒的に多いのだ。
驚いた。
Labels:
出張
2006年4月16日日曜日
2006年4月15日土曜日
復活徹夜祭
年間の典礼の頂点である過ぎ越しの聖なる三日間を締めくくる復活徹夜祭
カトリック西千葉教会へ急ぐ。
母と長女と次女の三人。息子が塾なので妻は留守番。
19:00 御聖堂内の照明が消され、真っ暗闇となり光の祭儀が始まった。
「キリストは昨日と今日
キリストははじめとおわり
キリストはアルファとオメガ」
という言葉の後、復活ろうそくに火が灯される。
そしてシスターを含めた全信者それぞれが持つろうそくに復活ろうそくから火が移されていく。
ろうそくの明かりの中で復活賛歌が合唱される。
パイプオルガンが鳴り響く、聖歌隊による美しい合唱にあわせて一般信徒たちも歌う。
洗礼式が行われた。
世界に広がる10億人のカトリック信者が、すべての教会で同じように復活徹夜祭のミサに与っている。 あの長野のカトリック富士見教会でも少ない信者が寄り添うように集まってろうそくに火を灯していることだろう。
Labels:
カトリック
登録:
投稿 (Atom)