2009年3月18日水曜日
2009年2月15日日曜日
装具なしの外出
今日は、足の具合もだいぶ良く、装具なしで松葉杖一本で外出しました。
仕事がだいぶ溜まっていたので、近くの公民館の会議室を借りるkとにしました。長男の素直に声をかけて一緒に勉強しようと出かけました。
ところが・・・、素直は勉強道具を一切持っていないのでした。
聞くと「学校に置きっぱなし」とのこと。
私はあきれました。しかたがないので、電子辞書に内蔵されている問題集をすることにして公民館へ行きました。
公民館の会議室で4時間ほどすごし、それから買い物に行きかえりました。
昨日は6月の陽気で、今日も4月の陽気でした。明日は冷え込むそうですね。
風邪をひかぬようお互いに気をつけましょう。
仕事がだいぶ溜まっていたので、近くの公民館の会議室を借りるkとにしました。長男の素直に声をかけて一緒に勉強しようと出かけました。
ところが・・・、素直は勉強道具を一切持っていないのでした。
聞くと「学校に置きっぱなし」とのこと。
私はあきれました。しかたがないので、電子辞書に内蔵されている問題集をすることにして公民館へ行きました。
公民館の会議室で4時間ほどすごし、それから買い物に行きかえりました。
昨日は6月の陽気で、今日も4月の陽気でした。明日は冷え込むそうですね。
風邪をひかぬようお互いに気をつけましょう。
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骨折奮闘記
2009年2月11日水曜日
2009年2月9日月曜日
100歳をむかえたリカルド・カシン
今日、会社から帰宅すると妻が毎日新聞の夕刊を私に差し出してきた。
「ほら、あなたの大好きな人が載っているよ」
それは9面の「人・模・様」というコナー
「高みを目指した山人生100歳」と題されてリカルド・カシンの近況が記されていた。
私がグランドジョラス北壁ウォーカーバットレス(ウォーカー側稜)を登った1988年はリカルド・カシンによる初登攀50年の節目の年だった。
その年には次のような噂がまことしやかに語られていた。
「リカルド・カシンが初登攀50年を記念して再びウォーカーバットレスを登りに来る」というものだった。
実際にはカシンは登りに来なかったけれども、そんな噂がたつほど後期高齢者カシンは現役のクライマーであったということだ。
足元にも及ばないが、そんなカシンに私は憧れる。
「ほら、あなたの大好きな人が載っているよ」
それは9面の「人・模・様」というコナー
「高みを目指した山人生100歳」と題されてリカルド・カシンの近況が記されていた。
私がグランドジョラス北壁ウォーカーバットレス(ウォーカー側稜)を登った1988年はリカルド・カシンによる初登攀50年の節目の年だった。
その年には次のような噂がまことしやかに語られていた。
「リカルド・カシンが初登攀50年を記念して再びウォーカーバットレスを登りに来る」というものだった。
実際にはカシンは登りに来なかったけれども、そんな噂がたつほど後期高齢者カシンは現役のクライマーであったということだ。
足元にも及ばないが、そんなカシンに私は憧れる。
2009年1月24日土曜日
2009年1月5日月曜日
トホホの初登山
久しぶりに家族全員五名揃っての初登山です。正月の2日から一泊二日で日光白根へ行きました。積雪期に四度目となるコースです。
2日は天候が芳しくなく湯元スキー場の第二ペアリフト上の吹き溜まりではスノーシューを履いても急斜面のために腰から胸まで雪が達する状態。単独登山者と交替でラッセルを繰り返し、外山のコルまで5時間を要しました。この時点で白根山登頂は諦め、コルにて幕営。翌日下山することにしました。
3日は晴れ間ものぞいていましたが風強く、ブリザード。朝から3パーティーが上がってきました。
13時に下降開始。
そして13時30分頃、急斜面を滑り落ちるように下っていると針葉樹の根が絡み合ってリング状になっている輪の中に左足がはまりました。
まずい!と思って反射的に体をひねって左足を抜こうとしましたが上体に勢いがついているので間に合わず。ベキッという大きな音がして下腿骨が折れたことを自覚しながら雪面に投げ出されました。足を見るとすでにブラブラの状態でつま先があらぬ方向を向いています。標高を見ると1880m。手にしていたウッドシャフトのシモンPBは吹っ飛び行方不明。
すぐさま女房と子供たちが駆けつけて応急処置です。標識用の旗竿を二つ折りにして添え木として代用。テントの張り綱で縛り上げ患部を固定しました。
看護師の敦子は動かさない方が良いので救助要請を主張しましたが、私は頑として自力下降を主張。1981年に一ノ倉沢烏帽子沢奥壁ダイレクトルートで右足首を粉砕骨折した時も自力下山ができたのです。今回も下山できないはずはないと歯を食いしばり二時間を要して第二ペアリフトの終点近くのゲレンデへ到着。敦子がパトロールのスノーモービルを呼んでくれパトロール詰め所でDr鶴見に応急処置を受けました。
妻の運転で22時30分帰宅。
翌1月4日。午後千葉市休日救急診療所にてX線撮影の結果、下腿骨骨折の詳細が判明。うち頚骨は螺旋骨折にて手術が必要とのことでそのまま救急車で整形外科医のいる病院へ搬送されました。
今回の怪我後、私がまぎれもなく油断していたマヌケ登山者であることを突きつけられ、愕然としたのは、長女の敦子が次のようなことを認識しながら下降していたことを知ったからです。
「映画“バーチカルリミット”で岩の穴に足をとられて骨折してヘリで救助されるマヌケな登山者が出てくるよね。ところどころで木の根が手すりのように雪の中にあったから、あれと同じことが起こるかも知れないルートだと思いながら用心して下っていた」
事故を事前に察知する想像力が昔は高かったのに、もう敦子には完全に追い抜かれたようです。
本当にトホホです。
2008年10月19日日曜日
ご当地ラーメン
先週出張した山形の赤湯駅近くにあるラーメンが美味い。
「龍上海本店」の赤湯からみそラーメン
五本指にはいるなあ
その日は、地元の湯治場に泊まった。味気ないビジネスホテルには出来れば泊まりたくないとかねてから思っていた私。そのことを仙台支店のNさんに告げると、夜遅くにこの湯治場に連れて行ってくれた。
私には夜の盛り場は似合わない。山の中で焚き火を見ながら酒を呑むのが似合っている。
この湯治場は山の中の一軒宿で、電気も電話線も通じていない。電気は自家水力発電、電話は衛星電話。窓をあけても暗闇に沢の音がゴーゴーと聞こえるだけ。
部屋にお膳が運ばれ、仙台支店のNさん・課長のHさんと三人でささやかに乾杯。
上司の好みを押し付けられた二人には申し訳ないことをしたのかもしれない。
ところで、1972年に山形インターハイの山岳競技の千葉県代表として吾妻連峰を歩いたことがある。その時にこの湯治場の前を通ったのを覚えている。
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出張
2008年10月9日木曜日
うれしいこと
うれしいことって何。
うれしいことって、本当は私の心の中にあるもの。
今日、蒲田駅のホームで見たポスター。吉永小百合が立つどこかの駅。どこだろうかとポスターに近寄って見ると「信濃川上」とある。
信濃川上・・・この駅名を聞くだけで、私の心の中に膨らんでいくものがある。
あの日、あの時。
今日は、勤務先の定例会議が下丸子であって、その会議の内容も良かった。
だから、ささやかなことだけれども、今日はうれしいことが二つあったと思う。
2008年10月5日日曜日
巻機山登川米子沢
ナメに至るまでにはこのようなゴルジュを越えていかねばならない。
長女と二人で米子沢へ行ってきた。
二度目の米子。
今回は秋晴れの下で米子沢のナメを堪能してきた。
そしてお目当ての大ナメ
標高1800mを越えると、紅葉が始まっていた
2008年2月1日金曜日
チーム・バチスタの栄光
私は山の本しか読まないので、普通の推理小説などのエンターテイメントすらもここ数年読んだことがありません。ところが、勤務先のチームのとても信頼しているメンバーの一人が「おッさん!面白い本があるんですが、読みます?」との問いかけ。
それに対して「ああ」と幾分社交辞令を含んだ愛想の良いあいまいな返事をしていましたところ、翌日私のデスクにその本が有無を言わせぬという感じで積まれました。
山以外の本を読むのは本当に億劫で時間の無駄と思っている私は、仕方がないなぁとの思い半分で読み始めました。こういう私の姿勢を評して妻は「お父さんは山オタクだという自覚がないのが喜劇だ」などというのです。山登りにのめり込んでから私を「変人」と呼ぶ人が少なからずいたことは自覚していましたが、そんな私の姿勢自体が我が家では笑いのネタになっているのです。自業自得なんでしょうか・・・。
で、問題の本は上下二巻の文庫本でした。
上巻の最初の100ページを読むのに二日かかりました。本当にイヤになりました。オレはそんなに暇じゃないぞって。ここだけの話、本当は暇なんですけどね。
ところが第九章のリアルな描写に一気に引き込まれ、以降下巻まで一日で一気に読んでしまいした。
その本は「チーム・バチスタの栄光」
医療現場を舞台としたエンターテイメント小説です。著者が現役の勤務医とのことで登場人物に日本の医療が抱える諸問題を語らせていもいます。
本の評価というものは料理の評価みたいなもので好みに左右される幅が大きいのでしょうが、とても面白く感じました。
帰宅してから自慢げに妻と娘に言ったら「それって映画化されるんだよ」
「そんなことも知らないの?」といういつものパターン。
過去「もちろんそんなの知ってるよ」と嘘をついたこともありましたが、とうの昔に見透かされ、今や通用しなくなっております。
私は答えに窮し黙り込んでしまいました。
トホホ。
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書籍
2007年12月4日火曜日
木内聡 没す
十日前に、古い山仲間である山岳同人一同心のメンバーと病室を訪れました。
すでに終末医療の段階でしたから、別れの日の近いことは覚悟していました。
私は山と渓谷社の「ヒマラヤ アルパインスタイル」という分厚い写真集を持って病室を訪れました。
彼が執拗にアタックを繰り返したテレイ・サガール峰の素晴らしい写真が掲載されているからでした。
古い山仲間たちと彼のベッドをかこみ、山の話をしました。彼は涙を流しながら喜んでくれました。
私は遠藤甲太氏と対談したことも伝えました。なぜ山に登るのか?山が私たちを魅了して止まないその本質とは何か・・・・。そんな話を静かにしました。
容態の些細な変化も私に知らせてくれるように一同心のメンバーにお願いしました。
今日、仕事中に携帯電話のディスプレイが点滅しました。そこには一同心の宮崎さんからの電話であることが表示されていました。ついに覚悟していた時が来たのを知りました。
ヒマラヤニスト
木内 聡、2007年12月4日没。
長女敦子と共に落胆する。
2007年10月14日日曜日
耶馬美人
今週は、勤務先の国際会議に続いて出張の連続で、最後は博多で終わった一週間だった。
締めくくりは博多だったのでちょっと寄り道をして大分中津へ立ち寄り父の墓参りをした。
勤務先の大分の新工場の立ち上げに奔走している従兄弟の三喜雄ちゃんが中津駅まで迎えに来てくれた。
話を聴くと、数日前に隣の会議室で同じように国際会議をしていたという。しらんかった。
子供の頃の話で時の経つのも忘れがちだったが、疲れていたせいか焼酎を少し呑んだだけで眠りこけてしまった。
2007年10月8日月曜日
黒部川下ノ廊下
土日を利用して妻と次女の三人で下ノ廊下へ行ってきた。
奥鐘山西壁を登っていると黒部川を挟んで対岸に水平歩道を見ることが出来る。奥鐘を登りながら、あの水平歩道を歩く機会が来ようとは思っても見なかった。
だが、上ノ廊下にほれ込んで幾度か遡行するうちに、いつか下ノ廊下も見たいと思うようになった。
下ノ廊下は、関西電力の費用負担によって登山道の整備が行われている。整備が完了するのは白竜峡から別山谷周辺の雪渓が消える秋になってからなので、通行できるのは秋の一時期だけだ。
一般登山客がたどることの出来るコースとして下ノ廊下はその迫力において国内屈指のルートだと私は思う。
ここのところ立て込んでいてレポのアップが滞っているが、素晴らしいコースでもあり、そして印象的な人との出会いがあった。いずれ詳しくまとめたい。
写真は阿曽原温泉。
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山登り
2007年1月30日火曜日
仙台でラーメンを食す
2006年11月21日火曜日
今日は繁盛しました
2006年11月7日火曜日
2006年10月20日金曜日
長崎再訪
ほぼ一年ぶりの長崎。
今回の第一目的は10月の第四日曜日(今年は10月22日)に国東半島で行われるペトロカスイ岐部神父さまの殉教祭への参加であるが、その前に長崎へ行こうと企てたのだ。
2006年9月22日金曜日
2006年9月2日土曜日
2006年8月6日日曜日
2006年7月23日日曜日
2006年6月15日木曜日
やけ食い
2006年5月29日月曜日
モンキーを購入

今日は午後から新潟を往復した。関東地方はまずまずの好天だったが、上越国境トンネルを越えて越後湯沢に入ると雨だった。浦佐、長岡を過ぎる頃には雨は降っていなかったが、どんよりとした曇り空の新潟だった。
昨日は日曜日で、午後からモンキーを買いに行った。
2006年モデルの新車、諸経費込みで20万円。
20代の頃には岩場探しを目的としてバイクに乗ったが、岩場のない千葉県に住んでいるとは言っても、昨今ではクライミングボードが発達したので当時のような必死で岩場を探す必然性もなくなった。
では、なぜ今頃モンキーを買ったのか?
それはモンキーが車に積載できるからである。モンキーを車に積載することによって入山地と下山地の選択の幅が広がる。
そう思うとわくわくする。
たとえば、上ノ廊下を遡行して裏銀座から烏帽子に至りブナ立て尾根を下降する。
あるいは双六谷を遡行して新穂高に下山する。
というように用途は無限に広がっていく。プランの幅が拡大する。
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日常生活
2006年5月10日水曜日
北国の春

一泊二日で青森へ出張に行き、先程帰宅した。
初日は弘前で仕事をこなし、宿泊は湯段温泉。湯段温泉は地元弘前の人は知っているそうだが、少し離れた青森市の人は知らないというほどの秘湯。
なぜ、こんな秘湯に宿泊することが出来たかというと、私の勤務先の同僚Mさんと一緒に出張したからである。
Mさんは青森県木造町の出身で、弘前高校OB。弘前高校時代に弘前市内に3年間下宿していたので、このような場所を知っていたという。
しかもMさんは東京大学ワンダーフォーゲル部出身で、大の山好き。私と好みがぴったりなのである。弘前市街地のビジネスホテルに泊まるなんて真っ平ごめんということで、湯段温泉に連れて行ってくれることになった。
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出張
2006年5月6日土曜日
カトリック松本教会


穂高から下山してきて、木漏れ日の湯で汗を流し髭を剃って歯を磨いて髪を整えて着替えた。
松本市街地へと車を走らせ、カトリック松本教会へ行く。
松本城の前にあった。神父さまに「西千葉から来ました。穂高岳登山の帰りに寄りました」と言うと「西千葉教会ということは小林神父さまですね。小林神父さまも登山がお好きなんですよね」
長女と二人で「十字架の道行き」を行った。
青春の穂高



山岳文学の傑作として中学校の国語の教科書にも採用されたことのある青柳健の「青春の穂高」
4月末から5月初旬の涸沢を舞台とした幾つかの印象的な記述。
長女と二人で行ってきた。5月3日に入山し、先程5月6日21:27に帰宅した。四日間ほぼ快晴で春の穂高を堪能した。
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