2012年9月2日日曜日

大木さんとグランドジョラス北壁ウォーカー側稜


朝起きて、昨日の下棚沢で泥まみれになったロープとその他の装備を洗う。バスタブに昨夜の水が残っていたので、ロープを浸し、丁寧に洗う。こうするとロープの痛んだ箇所を確認できる。
柔軟剤の代わりにリンスを少々。
そうしていると、長女が「御待夜に行きたいな」という。
「えっ、本当?」
彼女は、この土日が御待夜だということを知っていたらしい。
久しぶりに大木さんに会いたいと思っていた私にとって願ってもないことだ。


御待夜の「甚兵衛そば」は大変な混雑となる。私も学生の頃はレジに立ったことがある。18時頃に訪れるとまだ空いていて、懐かしい叔母様も元気な様子。すぐに大木さんの奥様が私に気がつきしばらくして大木さんがやってきた。

昨年の夏に妻とヨーロッパアルプスへ行ったことを話した。
さすがに大木さんだと思ったのは登った山の名を告げると、それぞれの山のコースが頭の中に入っており、背景にある氷河の名前や途中の山小屋の名前を正確に把握していたことだ。
「マッターホルンも途中の小屋まで行って引き返してきたんですよ」というと即座に
「ソルベイ小屋まで行ったのか・・・」
「メンヒは東南稜からです」
「アレッチ氷河側から登ったのか・・・」
「ドロミテにも行きましたよ」
「どこの山に登ったのか」
「クリスタロ・メッツォです」
「えっ、あの美しいミズリーナ湖のあるクリスタロに登ったのか・・・、」
「いえいえクライミングではなくヴィアフェラータですよ」
という状況。
そして大木さんは言った
「グランドジョラス・・・、登りたかった」

1981年の夏に私と大木さんはグランドジョラス北壁ウォーカー側稜を計画していた。ところがその6月に大木、湯屋、賀来の三人で一ノ倉沢烏帽子沢奥壁ダイレクトルートに取り付き、リードしていた私が20m墜落して右足首を粉砕骨折。その夏のヨーロッパ行は中止となった。とはいえギプスのとれた一週間後の鹿山会登攀クラブの夏山合宿で奥鐘山西壁を登っているので、中止する必要はなかったのかもしれない。
私がグランドジョラス北壁ウォーカー側稜を登ったのはそれから7年後の1988年。

鉄人土橋さんは70歳を越えても困難な山と谷を登る。リカルド・カシンは80歳で自らが初登攀したグランドジョラス北壁ウォーカー側稜を再登しようとした。

ふたたび大木さんと登ることが私の夢だ。

御待夜に賑わう宗吾霊堂境内の夜店
あいにく雨が強い


御待夜の山車
一台だけの山車で華やかさはないけれど御待夜のシンボルだ