2016年9月29日木曜日

2テン、トップアウトまでこぎつけた妻の印西


昨日よりも幾分気温は下がったようだが、蒸し暑い一日だった
手術後、三週間になるけれど体重と体脂肪率がかなり上昇した
引き締めを再開しないとまずいなぁー
手術後はJR幕張本郷からオフィスまでバスで通勤していたが、一昨日からJR幕張駅からの徒歩通勤に切り替えた
この蒸し暑さのなかを歩いたからオフィスに到着した時には体は汗でべとべと!
明日こそは、秋らしい爽やかな朝を期待したい
本日の昼食も美味しかった じゃこ大根おろし丼、サラダ、焼き豚 318円なり
15時半に終業時刻をむかえ、オフィスの外へ出た 湿った熱風
JR幕張駅まで我慢の2kmを歩いた

17時に帰宅
今夜は印西市フリークライミング協会の定例クライミングではないが、ネットの予約状況を見ると空いている
日曜日の印西で岩崎に「木曜日は行くべや」と声をかけていた
そんな下準備が整っていたので今日も妻と印西へ向かった
息子は授業の関係で間に合わないので不参加

2016年9月27日火曜日

蒸し暑さが際立った今夜の習志野クライミング

本日の昼食

季節はずれというべきか、三日前から暑い日が続いている
秋雨前線は夏の太平洋高気圧に押し上げられ熱気が関東地方に流れ込んでいるという

山に登っているとガスに覆われるということが頻繁にあるけれど、出勤時に四街道駅へ向かう風景は、まさにそのようなものだった
四街道駅に到着してスイカ定期券を家に忘れてきたことに気がついた
今から家まで戻るわけにはいかないので、乗車券を購入して電車に乗った
幕張駅に到着して勤務先のビルを見ると、ビルの山頂部分がガスに没しており、小雨模様だった
湿度100%の不快な朝

2016年9月26日月曜日

追悼 吉田和正



本日、北山さんのフェイスブックの投稿によって彼の訃報を知った
最近の私はインドアクライミングに入り浸りだが、そこに集まっているクライマーでジョンバーカーを知るひとはごく一部に限られる
ましてや病に倒れた吉田和正や志賀光則を知る人は、ほぼ皆無かもしれない

2004年発行のRock&Snow24号に吉田が拓いたマーズを杉野さんが再登する記事が掲載されたことがある
当時、この記事を借りる形で吉田に抱く気持ちの一片を私のホームページに記した

2016年9月25日日曜日

曼珠沙華の咲く日曜日 九日連続のクライミングは印西で締めくくりました



ここのところ涼しい日々が続いて秋が深まったなぁ・・・と思っていたが昨夜あたりから暑さが戻ってエアコンのスイッチを入れた
夏が戻ってきたような朝を迎えた9月の最終日曜日 久しぶりに晴れて蒸し暑い

午前中はカトリック西千葉教会で敬老のミサで、ずいぶん前から母が楽しみにしていたので、母と一緒に教会へ行った
午後は妻が美容院へ行くというので車で送り迎え

今日は大相撲千秋楽 NHKの相撲中継を観る
「角番常連のへたれ大関」だった豪栄道の変貌に感動すら覚えた
大相撲を観た後、簡単な夕食を摂ってから、親子三人で今夜もまた印西へと向かった

2016年9月24日土曜日

ようやく抜糸 大相撲 夜は習志野


今日はいよいよ抜糸である
ようやくここまできたか・・・との感がある一方で「抜糸は延期しましょう」といわれかねない懸念もないではない

みつわ台総合病院の診療開始は9時で、7時半に病院まで行って受付を済ませ、いったん帰宅
傷口の体液の染み出しは治まっているが念のために傷口に当てた脱脂綿を交換してから8時40分に再びみつわ台総合病院へと向かった
整形外科の待合室に到着したのは8時55分 到着と同時に呼び出された
で、抜糸してもらった

2016年9月23日金曜日

飛び石連休に休暇をとって印西でウィークデイのクライミングを楽しむ

トップアウトした者だけが味わえるロワーダウン


今年は秋分の日が木曜日なので、翌日の金曜日に休暇をとると4連休になる
で、休暇をとった
息子は金曜日には授業がないので、一緒に印西へ行けるというので朝から行こう!ということになった
問題は妻である
妻は16時まで仕事・・・
そこで、午前中に息子と印西で登っていったん帰宅し、16時に妻をピックアップして再度印西へ向かうというプランになった

そして本日
少々寝坊して8時半過ぎに息子の運転で自宅を出発
通勤時間帯なので16号なども混雑しており一時間以上を費やして印西に到着した
ウィークデイなので誰もいないだろうと思っていたが、すでに数人の人が壁の前にいる
挨拶と自己紹介をして、一緒に登らせてもらう

2016年9月22日木曜日

敬老の日 雨模様の中を昨夜に続き妻と印西で遊ぶ



久しぶりに朝寝したけれども、頭もすっきりしてすがすがしい
窓の外では雨粒の音が聞こえている 今日も天気は悪いようだ
9月もすでに下旬になったが、例年にないほどの数の台風が上陸するなど雨模様が続いている
朝食のデザートにアケビを食べたが、皮も天麩羅としてテーブルに並んだ
ほろ苦さを感じるけれど、美味しい

今夜は木曜日なので印西での定例クライミングの夜である
少し早め17時に自宅を出て千葉ニュータウンで買い物をした 妻が乾燥玉ねぎというのを見つけ、さっそく買い求めた
18時45分に松山下公園総合体育館に到着

2016年9月21日水曜日

おめでとう! 印西で妻がトップアウトした夜



台風16号が過ぎ去った日本列島
事前に予測されたように、台風一過の秋晴れにはならず、時折小雨が落ちるような一日だった

数日前から9月21日水曜日の印西は団体予約が入っておらず、個人利用が可能だとわかっていたので、岩崎におねだりして付き合ってもらい、個人利用で今夜も登った
朝、「今夜は印西へ行くけど・・・」と息子に告げると
「授業が終わったら一目散に帰って来るから行ける」
との返事
いつもの通り17時に帰宅して、簡単な夕食を摂ってから妻、息子の三人で印西へと向かった
印西へ向かう道中で息子が先週まで取り組んでいた大縦走の詳細な話を楽しく聞いた

19時に到着すると、すでに岩崎が先着していた
その後、顔なじみのメンバーがやってきて、いつもの通りにぎやかな一夜となった

2016年9月20日火曜日

土橋さんの捜索中止 台風16号で大荒れの習志野の夜

意味のない引き付けをしているところに、限りない臨場感を覚えるショットですね


朝から激しい雨模様となった
非常に強い勢力をもつ台風16号が上陸して関東地方にも強い雨を降らせているという
大きなコウモリ傘をさして出勤

土橋さんの捜索が9月22日から計画されているが、台風が通過したあとも天候は回復しないと予報されている
どうしたものだろうかと案じていたが、朝一番で谷川さんから中止の連絡があった
今年は異常なほどに雪が少なく、北鎌沢左俣の雪渓が完全に消滅するというめったにない年になりそうだ
それゆえ左俣を完全にチェックできる
10月にもう一度捜索隊を出せるかどうか微妙だ
日大尾根上部からの捜索ではなく左俣のチェックだけなら可能かもしれない
そんなことを思いながら通勤電車のひと時を過ごした

2016年9月19日月曜日

個人利用に便乗して習志野 そしてグラウンドフォールを食い止めるビレイへのヒント

のんびりと寝転がってくつろいだ


今日はKJさんファミリーの習志野の個人利用に便乗させてもらうことになった
昨夜、印西で一緒に登った同じ会社に勤務するKDさんも誘って15時スタート

習志野の通常の夜は、混みあった土曜日の夕方のファミリーレストランのようだ
登る順番を書き込む表があって、そこに自らの名前を記述する
それで、登り終えると、リストの最後に再び自らの名前を追加する
19時から21時の二時間枠で登ることが多いが、準備と後片付けがあるので、登る時間は1時間半といったところだ
登り終わってすぐにリストに自分の名前を追加しても4本程度登るのが精一杯だから、あわただしい
なぜあわただしいかといえば、リスト上で順番待ちをしている人が常に存在しており、なるべく早くルートを明け渡さなければならないし、長時間ハングドックでムーブを探るなどは、よほど神経が図太くないと出来ない相談だ

2016年9月18日日曜日

昼食のデザートにアケビをいただき、印西でもクライミング再開


いつものとおり6時に起床
雨音が聞こえる
現役の頃は4時半起床で5時40分の快速電車に乗車していたのだから、ずいぶん朝寝坊になったものだ
高洲公民館に誘われていたが、天候が思わしくないし夜に印西が入っていたので、高洲には行かないで日中を過ごした

昼食にはクライミング仲間のIさんの沖縄土産のゴーヤでサラダを作って食し、デザートにアケビをいただいた
アケビを食べるのは数年ぶりのことだ 妻が親しくしている友人からいただいた山形産のアケビだという ほのかな苦味が郷愁を誘う
息子は昼過ぎに出かけていった 山岳部の部室に行くというから同期のH君と楽しいひと時を過ごすのだろう

夕方になって妻と印西へ向かった

2016年9月17日土曜日

午前中診察 二週間ぶりのクライミング


今日は四街道小学校の秋の大運動会なので、妻を小学校まで車で送った
その足でみつわ台総合病院へ行って受付を済ませていったん帰宅し、改めて9時に病院へ行った
順調に傷は治癒しつつあり、もう風呂に入ってもよいという 抜糸は来週21日水曜日という提案があったが、24日土曜日にしてもらった
ようやくゴールが見えてきた感じである

夕方になってへとへとにくたびれた妻が帰宅
疲れていても習志野には行きたいというので、息子と三人で習志野へ向かった

2016年9月15日木曜日

大縦走を終えた息子と印西へ



山に行くとクライミングのパフォーマンスは落ちる
たとえそれが山岳クライミングであったとしても、まぁ落ちるでしょう
悩ましいところですね

まさにクライミングパフォーマンスが落ちきった状態で、上高地から日本海への縦走を終えた息子が帰宅した
「印西行く?」
「行く!」
自宅から印西まではおおよそ40分
運転する息子から、上高地から日本海への大縦走の話を聞いた

2016年9月13日火曜日

習志野ビレイ講習会 栂海新道から日本海到達

習志野市山岳協会のテキスト


習志野で藤巻さんから
「9月13日にビレイ講習会を行うので都合のつく人は参加してください」との案内があったのは入院前のことだった
このような取り組みは願ってもないことだ

スポーツクライミングが普及するにつれて、スポーツクライミングからクライミングを始めるという人も多くなる
山岳クライミングを経てフリークライミングを始めた人たちは、クライミングがいつでも死と隣り合わせであることを知っているのでビレイに関してある意味真剣だが、違った意味でルーズかもしれない

2016年9月11日日曜日

妻のビレイで印西 憧憬の栂海新道

妻の左には岩崎が登る


朝から雨が強く降る日曜日をむかえた
午前中は母とカトリック西千葉教会でミサに与った
8月中は山に篭っていたので、久しぶりのミサになる
ノーベル平和賞を受賞したマザーテレサの列聖記念ミサが東京カテドラルマリア大聖堂で9月19日に行われ、さらに高山右近の列聖式が来年2月に大阪で行われることも知った

昼過ぎに帰宅し、簡単な昼食を摂ってからベッドで休む
足を下ろしていると、うっ血して出血が激しくなるのではないかと、少し心配だった
どうやら出血は小康状態のようだったので、16時予定通り妻と印西へ向かった
もちろん抜糸すら終わっていない私自身はビレイ役としての訪問である

2016年9月10日土曜日

ようやく退院 この六日間を振り返る

夕暮れの病棟からみる「山の上ホテル」

今日、午前中に退院できた
三回目の手術はどうやら成功し、悩まされていた疼痛は解消したようだ

だが、
喉もと過ぎれば熱さ忘れる
なにごとも辛い思いからは目を背け、楽しい思いだけが残る
そして、同じような愚かな過ちを繰り返す
小さな過ちが引き起こした結果の一つである三回目の手術と入院 その事実を私だけでなく子供たちや山仲間の為に、目を背けることなく書き残しておきたい

2016年9月8日木曜日

今日は洗濯

病院の昼食

入院期間は二泊三日の予定でしたが出血が予想外だったようで五泊六日になってしまいました
着替えが足りなくなるかもしれないので早朝から洗濯です
病棟にはコインランドリーが設置されており、洗剤は病院の一階にあるローソンで購入します
場所が、神田駿河台なので、東京のど真ん中
洗剤を買いに行った時にロビーから外を歩く勤め人の皆さんが、見えました
ほんの半年前まで私もあの中の一人だったのてす
皆さん、本当にご苦労様です
さて、今回も辛い手術でしたが、この一年間悩まされてきた歩き始め10分間の疼痛が、消えました
一方、日本海への大縦走中の息子ですが、行程のおおよそ半分にあたる冷池に昨日到着し本日は停滞とのこと
全てに感謝します

2016年9月4日日曜日

午前中は少年コンペ 夕方は印西でお下品なムーブ そして思い出す1972年の夏


午前中は千葉県山岳連盟主催の小中学生コンペを観戦しにいきました
2020年の東京オリンピックでクライミングが競技に追加されたことを考えると有意義なタイミングだったと思います
このようにして若年層のクライミング底辺が広がってこそと私も思います
梶山さんのご家族ともご挨拶が出来て気持ちがほっこりしました
孫のようにかわいい梓君は普段の力を発揮できませんでしたが、私などはもっと酷かったことを思い出します
立川の昭和記念公園で実施された1989年の第一回大倉カップまでは、ジャパンカップを含めてほとんどの大会は外岩で行われていたのではないかと記憶しています
1993年に代々木オリンピック公園でのワールドカップ東京大会の予選として実施されたジャパンカップが選手として参加した最後の大会になり、それ以降は日山協や千葉岳連、日フリ協のコンペのジャッジなどを行う立場になりましたが、選手の心理状態は手に取るように思い出されます
緊張して頭の中が真っ白になってしまうんですね
Zクリップをしてみたり、ロープの内掛けでひっくり返ったりと、幾度も恥ずかしい経験を重ねてきました

2016年9月3日土曜日

蒸し暑かった!習志野東部体育館を出ると雨だった


気温はさほど高くなかったのではないかと思うが、体がべとべとするような蒸し暑い一日だった
午前中はアブミ自作の為の材料を下見するためにホームセンターへ行った
いまさらアブミ?とも思うが、先日の東壁ルンゼで息子がアブミを落としたので補充が必要だし、市販のアブミプレートは幅が中途半端だとかねてから感じていた
30年前からフリークライミングに軸足を移しているけれど、還暦を迎えてもなお時々黒部奥鐘山西壁正面OCCや先々週の穂高屏風岩東壁ルンゼのようなルートを登ってみたくなることがある 根本に山岳クライミングの原体験があるからだろう
ホームセンターを探索した結果、アルミ角材コーナーに、十分にアブミプレートに使える素材があることがわかった
午後は来週月曜日の入院準備などをして過ごした

2016年9月1日木曜日

息子は幕営大縦走へ 父と母は印西へ


いつもの通り、17時に帰宅すると息子の自転車がなかった
天候待ちをしていた息子は台風10号が去って槍ヶ岳から日本海への幕営縦走へ出発していった
息子の同期は10名近くいたように記憶しているが四年間を日大山岳部員としてまっとうできたのは二人だけだった その二人で今回の大縦走へ出発していった
ちょうど私が大木さんや砂田や岩崎と長期山行へ出発する時に似てワクワク感にあふれていることだろう
残念ながら今日台風12号が発生し二・三日後には九州に上陸する可能性があるし、今後も連続して台風が発生する気象条件にあるという
15日間の日程には四日の予備日を用意しているが、モンスター級の体力を持っている二人であっても、すべてを使い果たして途中下山を余儀なくされる可能性はいつでも存在する
これらのことを含めて二人にとっては青春そのものに違いない

一方で残された私たち夫婦だが、木曜日なのでいつもの通り印西へ赴いた