2016年9月4日日曜日

午前中は少年コンペ 夕方は印西でお下品なムーブ そして思い出す1972年の夏


午前中は千葉県山岳連盟主催の小中学生コンペを観戦しにいきました
2020年の東京オリンピックでクライミングが競技に追加されたことを考えると有意義なタイミングだったと思います
このようにして若年層のクライミング底辺が広がってこそと私も思います
梶山さんのご家族ともご挨拶が出来て気持ちがほっこりしました
孫のようにかわいい梓君は普段の力を発揮できませんでしたが、私などはもっと酷かったことを思い出します
立川の昭和記念公園で実施された1989年の第一回大倉カップまでは、ジャパンカップを含めてほとんどの大会は外岩で行われていたのではないかと記憶しています
1993年に代々木オリンピック公園でのワールドカップ東京大会の予選として実施されたジャパンカップが選手として参加した最後の大会になり、それ以降は日山協や千葉岳連、日フリ協のコンペのジャッジなどを行う立場になりましたが、選手の心理状態は手に取るように思い出されます
緊張して頭の中が真っ白になってしまうんですね
Zクリップをしてみたり、ロープの内掛けでひっくり返ったりと、幾度も恥ずかしい経験を重ねてきました

コンペを観戦している間に、体調が悪くなりました
どうやら風邪をひいたようです
妻も二・三日前から風邪気味だというので移ったのかも知れません
夕方に予定されている印西クライミングは到底無理という感じでした
それでもいったん帰宅して、パイナップルなどを食べて少し休んだところ、容態は少し持ち直しました
明日から入院予定なので、今夜の印西でのクライミングは貴重なものになります
少ししんどい感じでしたが、一本でも登ることが出来れば幸せというような気分で妻と二人で印西へ向かいました

今夜の印西は17時から21時までの枠で予約されており、時間的なゆとりは十分にありますので、あせって登る必要はありません
大阪出張中の砂田がいないのはきわめて寂しい限りですが、岩崎をはじめとするいつものメンバー、もちろん午前中にコンペで応援した梓君とお父さんも一緒に楽しく登り始めました
そして私たち夫婦は20時まで3時間ほど登りました
妻は壁の上部にまで達することができるようになり、ムーブとしては14mパネルの下部付近にある核心部が見えてきました
一方、私は過去にレッドポイントしているルートのリピートに終始しましたが、ところどころでお下品はムーブはあったにせよ、久しぶりに粘りのあるクライミングをまっとうすることが出来て、ちょっぴりほっとしました

さて長期縦走に入っている息子からは連絡がありませんが電波状態が悪いのでしょう
台風12号を考慮し三俣乗越に停滞しているかもしれませんが、恐らく烏帽子小屋の幕営地まで達しているのではないかと推測します
懐かしや・・・
「ブナ立て尾根と烏帽子小屋の幕営地」
今夜、印西で一緒に登った岩崎と烏帽子小屋幕営地に泊まったのは1972年7月のことなので44年前のことになります あれ以来、烏帽子小屋には訪問しておりませんが光景は、はっきりと覚えています
16歳の夏の72cmのキスリング背負って体験した烏帽子から槍ヶ岳・前穂高縦走こそが、私の山登りの原点です
その上で鹿山会登攀クラブとして国内の冬期岩壁登攀やヨーロッパアルプスを登ってきたのですから同期の砂田や岩崎が私にとって特別な存在であることはいうまでもありません

全体像を見ると終了点がすぐそこであることがわかるが、ここからが遠い


黄色いスローパーをお下品なムーブでとりにいく私

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