今日は盛りだくさんの日だ
まず、ENSAの入学試験をアルジャンチエール氷河で見学させてもらうことになった
入学試験はいくつかの段階があって、今回は氷河上でのフレンチテクニックの試験
ガイドにとってフレンチテクニックは極めて重要だということは、今回のENSAガイドトレーニングで思い知らされているので、非常に楽しみだし、ENSA入学者のレベルを知る機会にもなる
ロープウエイの終点から歩くこと一時間で試験会場に到着した
会場はアルジャンチエール氷河の氷河上に設定されており、要所に審査員が配置されている
詳しいことは記述できないが、三分の二は試験に落ちるようだ
齋藤ガイドによると「最近はインドアクライミング施設が発達して、登ることは上手な志願者が多いが、氷河上でのクランポンの扱いは下手」ということらしい
ENSAの入学試験の様子を外部に公開したことはほとんどなく、ましてや動画撮影を許したのは極めて稀だとブルーノ教官はいう
これらの動画はAGS-Jの会員内で共有したい
そうこうしているうちに雨が降り始めた
入学試験の見学を切り上げ、私たちはアルジャンチエール氷河の奥へと進んでいった
一時間以上歩いただろうか
平坦だった氷河がクレバスやセラックなどが林立する場所にやってきた
ここでフレンチテクニックを繰り返しトレーニングした
通常ダブルアックスやタガーポジションで登るような氷の壁を前向きになって下るというエクササイズはとても難しいもので、一筋縄ではいかない
雨はみぞれに変わり、ときおり風雪模様となる
全てがびしょ濡れでガタガタと震えがくるほどだ
ようやくブルーノ教官から「戻ろう」との宣言があった時にはほっとしたというのが正直なところだ
いささか長い氷河歩行を経てロープウエイの終着駅にたどり着いた
少なくとも今日の研修はこれで終了したと思っていたが、ロープウエイの待ち時間にブルーノ教官が「これからインドアクライミングに行かないか?」と誘ってくれた
クライミング中毒の私は二週間もの間、筋肉を傷めつけるようなクライミングができず禁断症状だったので、体はくたくたに疲れていたが、最高に嬉しくなってブルーノ教官に「是非、インドアクライミングをお願いします」とほとんど絶叫してしまった
で、UCPAに戻ってずぶ濡れのウエアを脱ぎ捨てて、いつもの印西壁クライミングを登る服装でENSAのインドアクライミング体育館に向かった
たどりついた体育館はクライミング専用の施設で印西壁レベルの壁やボルダー壁などがずらりと並んでいた
ブルーノ教官はここで毎日のように登っているのではないだろうか
そうでなければ5.12cをオンサイトできる能力を維持することはできないだろう
ブルーノ教官は7bクラスをいくつか登って見せれくれた
私は6aから6cを4本ほどオンサイトするのがせいぜいだったが、久しぶりの全開クライミングで満足した
ENSAの体育館を出て一旦UCPAに戻った
明日は研修最終日でクライミングルートが予定されているのでスネルスポーツにクライミングシューズを買いにいった
普段は極端に小さなサイズのシューズをはいているが、マルチピッチのロングルートでは靴の痛みに耐えきれなくなって登ること自体ができなくなってしまう
具体的には説明すると以下の通り
通勤用シューズ 26cm
積雪期用ブーツ 42
残雪期用ブーツ 41
ミウラー 39
パイソン 38.5
そして今回購入したのは43のスポルティバTCプロ
シャモニから帰国したら、間をおかずに息子素直さんととヨセミテへ行く計画なので、この選択になった
ぶかぶかだが厚手のソックスを履けば多少落ち着く
スネルスポーツでの買い物が終わってUCPAに戻ってみると裏口にブルーノ教官の車が止まっており、中に入ってみると齋藤ガイドもいる
最初は意味が理解できなかったのだが、通常最終日に行われるディナーがブルーノ教官の要望で一日前倒しされて今夜行われるという
そのディナーの前にブルーノ教官がENSAの館内を案内するから早く行こうとせかす
様々な施設を見せてもらったがブルーノ教官の執務室は個室で非常にゆったりしたものだった
私は歴代のENSA教官で山で死亡したメンバーの石板に釘付けになった
こうして五回に渡って繰り返し私をシャモニまで導いたルイラシュナルとリオネルテレイの名がその中にあった
ENSAとなんらかの関係を結んでいる日本の団体の中に、日本アルパインガイド協会のほかに全日本スキー連盟と東京都スキー連盟の名があった
それから場所を「SATSUKI」に移してディナーを摂った
「SATSUKI」はシャモニ唯一の日本料理店である
1991年にアイガー北壁ソロへ向かう前夜に一人で最後になるかもしれないかつ丼をここで食べたことを覚えているが、正直に言うとあまりおいしくない
私たちにとってはあんまり嬉しくない選択だが、ブルーノ教官の希望らしい
寿司のコースを頼んだが、日本の回転寿司と差はなく、天ぷらも衣がからっとしていない
シャモニだからこそ許されるレベルの店であるが経営自体は苦労の連続だと想像する
外は激しい雨模様
22時過ぎにUCPAまでブルーノ教官に送ってもらい長い一日が無事に終わった
ぶかぶかだが厚手のソックスを履けば多少落ち着く
スネルスポーツでの買い物が終わってUCPAに戻ってみると裏口にブルーノ教官の車が止まっており、中に入ってみると齋藤ガイドもいる
最初は意味が理解できなかったのだが、通常最終日に行われるディナーがブルーノ教官の要望で一日前倒しされて今夜行われるという
そのディナーの前にブルーノ教官がENSAの館内を案内するから早く行こうとせかす
様々な施設を見せてもらったがブルーノ教官の執務室は個室で非常にゆったりしたものだった
私は歴代のENSA教官で山で死亡したメンバーの石板に釘付けになった
こうして五回に渡って繰り返し私をシャモニまで導いたルイラシュナルとリオネルテレイの名がその中にあった
ENSAとなんらかの関係を結んでいる日本の団体の中に、日本アルパインガイド協会のほかに全日本スキー連盟と東京都スキー連盟の名があった
それから場所を「SATSUKI」に移してディナーを摂った
「SATSUKI」はシャモニ唯一の日本料理店である
1991年にアイガー北壁ソロへ向かう前夜に一人で最後になるかもしれないかつ丼をここで食べたことを覚えているが、正直に言うとあまりおいしくない
私たちにとってはあんまり嬉しくない選択だが、ブルーノ教官の希望らしい
寿司のコースを頼んだが、日本の回転寿司と差はなく、天ぷらも衣がからっとしていない
シャモニだからこそ許されるレベルの店であるが経営自体は苦労の連続だと想像する
外は激しい雨模様
22時過ぎにUCPAまでブルーノ教官に送ってもらい長い一日が無事に終わった