2019年12月19日木曜日
若人たちと印西クラックリード壁
昨夜、リビングで山の資料を確認していたら、帰宅した息子がやってきて例のごとく夜遅くまで山の話をした
そろそろ寝ようかという頃になって「以前から約束していた通り、明日は後輩のK君と印西クラックへ行くからよろしく」という
そんな話があったことは覚えているが、それが明日だとは認識していなかった
息子が山岳部の主将だった四年生の時に新入生として入部してきたというK君はその後主将となって現在二人とも日大山岳部のコーチをしている
息子の日大山岳部員としての現役時代は2012年4月から2016年3月の4年間だが、素晴らしい4年間だったと思う それは監督の大谷さんと息子が1年生の時の主将だった飯田祐一郎さんのおかげだったと思う
特に大谷監督の山岳部運営に関するポリシーは素晴らしいもので、この件に関しては2012年9月の私のブログの記事「南アルプスから帰ってきた息子」に一例として記述した
大谷・飯田ペアの元で「リーダーシップや友情」に満ち溢れた日々を日大山岳部で過ごすことができたことは息子にとって一生の財産になったようだ
実際、今でも息子にとって飯田さんはあこがれの存在のようで、それが証拠に2017年ヨセミテ・エルキャピタン・ノーズ完登直後に飯田さんに嬉しそうに報告していた
さて、今日の話だ
13時30分に津田沼のヨシキスポーツで待ち合わせることになっていた
13時28分にヨシキスポーツに到着するとすでに二人が私の車の方向へ歩いてくる
そして車に乗った
私はヨシキスポーツで久しぶりに社長や青木さんと話をしながら少し買い物がしたかったのだがしかたがない
津田沼から印西までは20km足らずだが幹線道路がなくて細い道を縫うように走る
信号も多く渋滞する BIG HOPに到着したのは15時だった
息子が「こんないい男は他にいない」と褒めるK君は口数の少ない朴訥な好青年
私も一発で惚れ込んでしまった
K君はT-Wall錦糸町のアルバイトをしている
私も錦糸町店には知り合いが多いので共通の話題をぽつりぽつりとした
一通りクラックを登った後にフランス国立スキー登山学校(ENSA)の教本を使いながらガイドでよく使う技術の講習などもおこなった
それから空き時間に彼らにビレイしてもらって垂壁に新しいラインを設定することができた 湯河原幕岩風の1本5.10b
19時に終了し、息子に運転してもらい、私は助手席でワンカップを飲みながらK君を送ってから家路についた
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インドアクライミング,
印西クラック
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