2022年3月29日火曜日

つくし摘み


長女が「つくしんぼ」があるよと昨日Lineで知らせてきたので久しぶりに「つくし」を摘みました
幼いころは春になるとボケの花が咲き、つくしの群落のある草地がたくさんありました

それは1965年で小学3年生から4年生になる春休みだったと思います
「春休みに子供たちをどこへも連れて行けなかったから」という理由で母が印旛沼まで連れて行ってくれたことがあります 1964年11月に四街道町に引っ越してきたばかりでしたから、まだ藤森や俵や須藤と知り合う前で金親君以外には親しい友達もなく、小学一年生の妹がいじめにあわないようにいつも目をひからせながら学校に通っていました 廊下で泣いている妹を見たときには妹の教室まで走って行くなどしていました
当時は自家用車もありませんでしたからバスで行きました
駅前の数百メートル以外には舗装されている道はなく砂利道を走るバスに揺られて京成臼井駅にたどり着き、印旛沼の湖畔まで歩いていきました そしてつくし摘みなどをして遊んだのです
子供だった私にとっては家族で仲良く楽しくしていることだけで幸せいっぱいでしたから、印旛沼まで行かなくても良かったのですが親としてはそのような気持ちになるのでしょう

つくしをきっかけにして4か月前の母の他界が悲しみとなって深く思われました

いつもの通り、長女を職場におくったあとで一人でつくし摘みをしました
帰宅してからつくしのハカマをとって水洗いして熱湯で軽く茹でてから水にさらし、そのあと佃煮にしました

幸子さんはつくし料理が初めてだということでしたが「美味しい!」といって食べてくれました
写真を撮る間もありませんでした

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