2024年8月12日月曜日

日航ジャンボ機墜落から39年

運輸安全委員会 (Japan Transport Safety Board), CC 表示 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=80616370による

1985年の夏
幸子さんとの結婚式を11月1日に控え、結婚式の衣装合わせなどの準備の為に幸子さんと札幌から帰省していました
私にとって結婚式は、これまで育ててくれた両親へのプレゼントという位置づけでしたから母の希望を尊重して場所を決めました
すなわち結婚式は「東京カテドラル聖マリア大聖堂」、披露宴は「椿山荘」でした
カトリック西千葉教会の主任司祭吉川神父様にお願いして申し込みをしました
「東京カテドラル聖マリア大聖堂」は若いカップルにとって憧れの結婚式場かと思いますが、土日祭日を除く平日の結婚式であればカトリック信者でなくても利用可能のようです

この年はつくば科学万博が開催されていました
筑波山の周辺はクライミングにとって岩質が良く、ルート開拓の対象として通っていましたから勝手知ったる地域でした
心細げな幸子さん それはそうでしょう 新しい家族、知らない土地でこれから暮らすかもしれないのですから 守ってあげられるのは私だけです
そんな幸子さんを連れてつくば万博に行っていました
そして帰りがけに岩崎の家に立ち寄りました

岩崎の茶の間のテレビでは日航機が行方不明というニュースが流れていました
その後のことは周知のとおりです
廻り目平にいた仲間のクライマーたちはダッチロールする日航123便のジェット音を聞いたと言います
二子山に通うようになってから墜落した自治体である上野村へ行く機会がたびたびありました 慰霊の園で祈りました
しかしながら現場へ行ったことはありません

今日も朝練をしましたが、27.4℃でとても蒸し暑く感じました

墜落現場周辺の地形図

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