2012年9月16日日曜日
奥又白の池
例のごとく、早朝というか夜中2時30分過ぎに小梨平を出発
徳沢の先で新村橋を渡り奥又白の谷を登っていく
途中に遭難碑がある
石岡繁雄氏のことは、幾度となく長女に話したことがあるので、すぐに気がついてくれた。
石岡繁雄氏のことを再び語り聞かせる。
太平洋戦争直後の混乱期に教え子である中学生達と共に屏風岩を初登攀したことはあまりにも有名な話であり、日本登攀史の金字塔であることに対して異論を持つ人はいないと思う。
この一部始終は彼の名著とされる「屏風岩登攀記」に詳しいので、是非一度読むことを薦めたい。
しかしながら石岡繁雄の名をさらに高めたのはなんといってもナイロンザイル事件であり、彼をモチーフにして井上靖が「氷壁」という小説を書いたことによる。
ナイロンザイル事件はその後日本登山界のスキャンダルにまで発展したが、ここでは詳しくは触れない。
遭難碑を過ぎて歩きやすい登山道を登っていくと中畠新道の分岐点。中畠新道自体はしっかりした道だがとても急峻。木の根をつかみながらどんどん登っていく。
そうして藪をかき分けるようにして身を乗り出すと、なんの前触れもなく突然、奥又白の池の前に飛び出すのだ。
快晴に恵まれた前穂高岳東面の岩場を映して湖面は静かだ。四峰正面壁にはクライマーの姿も見える。
池の水を汲んで、湯を沸かし、手製の弁当をたべる。
池からは北尾根の五六のコル経由で涸沢へ出て、小梨平へと戻った。小梨平へは17時50分に到着できたので、小梨平食堂の売店で買い物もできた。
風呂に入ってから、ビール(本当は発泡酒)を飲んでゆっくりくつろいだ。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
2 件のコメント:
最後にこの景色を目にしてから、もう30年位になるのではないかと思います。徳沢に1泊して池までの往復なら、今でも行ける…かなぁ。下りが辛そう。下ってから徳沢でもう一泊。
野良にも一匹餌やりをしているから、ウーン…2泊は出来ない…やっぱりダメだな。
飯田さん、こんばんは
登る時には木の根をつかんで強引に登れますけれど、下りはひざにショックもかかりますし、しんどいものがありますね。
それにしてもブッシュをかき分けて、いきなり奥又白の池に飛び出すというのは感動的なものがありました。
季節を変えて再訪したら、新しい感動を与えてくれそうな池でした
コメントを投稿