大きなもの、美しいものが尊ばれるのは道理にかなっている。
しかしながら、ふとしたきっかけで視覚的に認知できる大きさや美しさもさることながら、より本質的な大きさや美しさに気づくことがある。
樫山教会は民家の中に埋もれた民家のような教会である。ここには長崎のカトリック教会建築の象徴ともいえるリブ・ウォールト天井もなければ、ステンドグラスもない。
密集した民家と細い坂道。
そこに生きる人、生活する人といった視点で見る時、視覚に映る教会の建物自体にはさほどの意味はなく、この小さな教会を支える信者の内面にこそ教会の本質があると思えるのである。
今回の長崎巡礼でイエスが私に語る本質がこの教会にあるように思えてならない。
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