2015年10月29日木曜日

錦糸町と大衆酒場「ちばチャン」の夜

大バカ盛1280円


安蒜さんと私の復帰&快気祝いの宴ということで20時半まで錦糸町で登り、島田さんが予約してくれた居酒屋へ向かった
その店は大衆酒場「ちばチャン」という店で、ネットで調べてみると千葉が本店で数店舗を展開している
大盛が有名でTVで取り上げられて知名度が上がったようだ
料理には普通盛、バカ盛、大バカ盛の三種類があって唐揚げのバカ盛を注文したところどんぶりに山盛りだった

2015年10月27日火曜日

錦糸町 重吉さんと登る


今日は朝から右足の調子が良く機嫌よく出勤することが出来た
最近は弁当を持っていくことが多いが、今日はむかご御飯で、出汁で炊かれたむかご御飯は冷えても美味しい

朝からモニターを凝視したので眼精疲労を感じ、雲を見て目を癒そうと15時頃千葉さんと二人で屋上まで上がった
千葉さんと二人でしばらくボーっとしながら雲を見た
7月に札幌へ転勤した恵海さんはどうしているのだろうか・・・というような話もした


17時37分に事務所を出て錦糸町へ向かった
錦糸町へ到着し、10分後に島田さんが到着
普通なら島田さんが18時頃に先着しているのだけれども、今日は20分遅れ
理由は10月29日木曜日に実施予定の「重吉さん&私」の復帰・快気祝い飲み会の予約のためだった
電話やネット経由での予約が一般になりつつあるあるけれど、禁煙席を強くアピールするためには直接訪問して予約したほうが良いとの島田さんの判断だったようだ
思いやりを感じることのできる納得できる話だ

2015年10月26日月曜日

妻は筑波山 砂田は甲武信ヶ岳へ



柿が赤くなると医者が青くなる
とお袋がよく言うほどに柿にはビタミンが豊富らしい
昨夜砂田から分けてもらった柿を食べながら今日一日をふりかえってみた

5時半に起床したが妻があわただしい雰囲気だ
今日は仕事は休みのはずだったがと問うと、案の定「筑波山」へ行くつもりらしい
四街道駅まで妻に送ってもらい、妻はそのまま筑波山へと向かった

2015年10月25日日曜日

ちんたら登った?印西



朝から少し寒く札幌からは初雪の知らせがあった
30年前の1985年11月1日に東京カテドラル聖マリア大聖堂で結婚式を挙げて、数日後に札幌へ戻ってみると雪景色だったことを思い出す 結婚30年は真珠婚式ということを今日はじめて知った

息子が時々「水浸しパスタ」なるものを作っているが、茹で時間が1分で済み、とても美味しいというので午前中はそれを実験してみた 2時間ほどスパゲッティを水に浸しておいてから熱湯で1分ゆでるだけというもので、水が多量にある環境では燃料の節約になる調理方法で山でも使える場面がありそうだ
午後からは、半年ほど前に切り倒して庭のすみにおいてあったモクレンの丸太をチェーンソーで裁断したり、玄関のチャイムの交換をした

事前の連絡網で砂田が少し遅れるということだったので16時半になって印西へ向かって出発
17時半頃印西に到着してみると極道仲間の島田貞雄がいるではないか
先週の土橋さん遭難対策会議で宮崎さんが来週印西へ行く予定があるという話しをしていたから、ひょっとして、今夜あたりは山岳同人一同心のメンバーが来る可能性はあるかもしれないと思っていたので、勘が当たったことになる

2015年10月24日土曜日

錦糸町 ホールド替え後の赤直上





今日は朝からリハビリで病院へ向かった
入院した6月からお世話になっている理学療法士のSMGITさんをはじめとして病院の多く職員と顔見知りである
これを喜んでいいのかは微妙だ
9時40分から11時まで病院で過ごした

11時15分に帰宅し、それから母をクリニックへ送ってから昼食をとり、12時38分の快速電車で錦糸町へ向かった
息子は日本山岳会上高地山岳研究所へ泊まりに行って不在

2015年10月23日金曜日

C級グルメの馴染みの店「楽水軒」

楽水橋付近の運河夜景

今夜は千葉さんたち6人で私の二回目の快気祝い
昔、ちょくちょく昼飯に立ち寄っていたC級グルメの中華屋「楽水軒」
品川港南の楽水橋のたもとにある店ののれんをくぐったのが17時50分

カロリーに気を使うことが身に染み付いているので、ここのところ口に運んだことのない料理が並んだ
餃子、上海焼きそば、チャーシュー、かに玉・・・

2015年10月22日木曜日

錦糸町 怪我の前のムーブ



今朝は市川で急に混みあって四街道から御茶ノ水まで立ちっぱなしだった
通勤を痛勤と揶揄することがあるけれど、この右足では1時間半のそれは痛勤そのものかもしれない
昨日よりも少しばかり気温が低いようだが、今日は一度もオフィスの外へ出なかったので日中の天気は認識できなかった
午前中は昨日のアプリケーションの仕上げをして、午後からは別のアプリケーションを作り始めた
これは少し凝ったつくりで、ステータスに応じてメールのあて先を自動判定して送るという機能をつけたが、これがうまく動かない 本日のところはタイムアウトで終了

錦糸町のジムへ到着したのは18時半

2015年10月21日水曜日

錦糸町 ボルダー


昨日よりも少し気温が低かったようだが電車の中は相変わらず蒸し暑かった
昨日千葉さんに渡したサンプル版のアプリケーションを修正し、エクセルファイルの既存情報をアップロードした
この既存情報というのが曲者で、既存のエクセルデータというものはほとんどゴミのようなもので各種マスターというかテーブルで管理されている私のアプリケーションには簡単にはアップロードできない 各種関数やVBAを使ってデータを整理するのに午後一杯かかった

18時前に続きは明日ということで後片付けをして錦糸町へ向かった
今日はいつもより足の痛みが少々強く錦糸町へ行くのも難儀なことだった
原因のひとつに靴下の締め付けによる血行阻害があるように思う
18時30分錦糸町に到着し、いつもお世話になっている常連さんのAさんやらEさんにビレイしてもらった

2015年10月20日火曜日

錦糸町 5.10dの反復練習



気温の割には蒸し暑い日だった
午前中は品川のオフィスへ赴き、昼前に千葉さんと湯島のオフィスへ移動した
午後からは11月に予定されている大きな展示会で、役員と重要顧客との接客を管理する為のアプリケーションの作成 少し細かいスクリプトを記述するためにディスプレイを凝視したので目が疲労した スクリプトが完成してから動作検証としてサンプルデータを30ほど入力
動きに問題がないようなのでビューを幾つか作って、サイトをデザインしHTMLファイルを生成
サンプル版サイトとして千葉さんに渡したところで17時30分 後片付けをして錦糸町へむかった

18時20分にリード壁の前に腰をおろした
しばらく待っていると島田さんがやってきて、少しして福田さんも到着

2015年10月19日月曜日

ジオグラフィカ(Geographica) オフラインGPSアプリ



今日、妻は筑波山へ登るとのことで朝早く出発して行った

さて今月初めにいわゆる格安スマホを購入した
二週間ほど使ってみた
会社支給のiPhoneとの併用だが違和感はまったくと言ってよいほど感じない
OSがアンドロイドなので操作上の違和感がもっとも気になっていたが、これも問題がない

楽しみが一つある
というか、これを楽しみにしていた
それはオフラインでも利用できるGPSアプリケーション「ジオグラフィカ」である
2009年からガーミンのGPSを利用しているがジオグラフィカを前にしてガーミンはその役目を終えたという感がある

2015年10月18日日曜日

錦糸町 快晴

今日は気温が高かった
午前中は敬老ミサがあって母をカトリック西千葉教会へ送迎して過ごし帰宅したのが12時半

さて午後からどう過ごそうか?
息子は先週は三ツ峠で、続いて一ノ倉沢へ向かい帰宅したのが昨日だったが今日は日和田山へ行ってしまった
さて私はどうしよう?
私の選択肢は地道な鍛錬ですね
ということで快速電車に乗車して錦糸町へ向かった

2015年10月17日土曜日

第七回栃木・茨城・千葉三県合同土橋敬司氏遭難対策会議

破損したウエストベルトのバックル

9月28日に土橋さんのザックが発見された
捜索関係者で共有されている捜索用リファレンスマップ上の日大尾根側面にあたる北鎌沢左股J沢の源流部だった
これを受けて今後の捜索方針に関して関係者のベクトルを合わせるべく本日、第七回栃木・茨城・千葉三県合同土橋敬司氏遭難対策会議がつくば市のつくば研究支援センターで開催された
距離的な問題で岐阜の村田さんと奈良の河村さんの出席はかなわない

会議室が満席になるほどの関係者が再び集合し情報を共有した
土橋さんの二人のお嬢さんも出席された

2015年10月15日木曜日

錦糸町 パンプアップ

足首の腫れはまだあるけれど、甲のむくみはだいぶ治まってきた
脛に並んだ三つの傷跡は創外固定のボルト穴跡

今日も、爽やかな一日だったが、ジムの中は蒸し暑いので半袖、半ズボンに着替えた
18時20分、リード壁の前には常連さんは三名
さっそくAさんにビレイをお願いしてウォーミングアップの2本を登る
登り終わって島田さん到着
砂田を見習って本数を稼ぎたいがそう上手くはいかない

2015年10月14日水曜日

混雑した夜だった


爽やかな秋晴れの一日だった

今日からクライミングは長ズボンにしたがジムの中は少し蒸し暑い感じがした
着替えを済ませ18時半から短い間隔で島田さんにビレイをお願いし4本(5.7,5.9,5.10d,5.10c)ほど登ったところで19時

息子がやってきた
いつもより1時間遅い来訪だったのは日本山岳会の事務所へ立ち寄ってきたからだという
目的は土橋さん捜索のための日大尾根の資料を調査するためだった
ところが残念、日本山岳会創立記念日で休館だったという
ご苦労様でした

2015年10月12日月曜日

砂田60歳にしてこのクライミングとは恐れ入りました

息子のロープの結びを点検する砂田

砂田とは幼馴染で四街道小学校、四街道中学校、佐倉高校山岳部そして鹿山会登攀クラブと50年以上にわたって仔犬のようにじゃれあいながら過ごしてきた 岩崎とも同じように45年になる
いずれにしても女房よりも長い付き合いだ

その砂田が一昨日の印西で
「明日は仕事が休みなので錦糸町へ行きたいが、賀来は行ける?」
「ごめん、日曜日は家族で父の墓参りで錦糸町へは行けないんだ」
「そうか・・・明後日は仕事の都合がつけば錦糸町へ行けるけど、まだわからないな」
「そうか、行けるようだったら知らせてくれ」
そんな会話があった

それで昨夜、砂田から
「明日11時から15時までなら行ける」
との連絡があった
「契約ロッカーにロープをデポしてあるのでロープは持ってこなくていいよ」
と返信した

2015年10月10日土曜日

主治医の見立て 印西で岩崎・砂田と登る

ロープの結びを確認しあう砂田と岩崎


午前中は診療とリハビリで病院

主治医のSRGさんから問われたので通勤で3.5kmから5kmを歩行していることを伝えた
レントゲン撮影の画像を見ながらきわめて順調な回復状態だが、重い骨折なので歩行障害が残る可能性が大きいという
芳野満彦さんや今野和義さんの例もあるし足の機能欠損による歩行障害自体を気にしていても仕方がない
そこで聞いてみた
「そろそろランニングをしてもいいでしょうか?」
それに対してSRGさんは
「この骨折でこの時期にここまで歩行できるのは極めてまれなことなので、これだけで満足できませんか?どうしてもというのなら1km以内の軽いランニングなら・・・」
主治医のSRGさんも少々あきれたというニュアンスだった

私は困った患者だ
主治医のSRGさんの軽いランニングOKと聞いて、右足でのフットホールドへの踏み込みをしても良いと解釈した

そして16時
先日1テンだった5.10cをRPしようと、印西へ向かって自宅を出た


2015年10月9日金曜日

秋晴れが続く関東地方 スマホSIM到着




乾燥注意報が出ている関東地方
勤務先ではまだクールビズ期間中だが、一昨日からスーツで通勤を始めた
一昨日の夜はガイド協会の用事があって錦糸町へは行けなかった
夜遅くになって息子が帰宅し、話を聞いてみると今夜も錦糸町で島田さんにビレイをしてもらうなどお世話になったという

昨日は休暇をとって自宅近くのスーパー銭湯へいって患部を温めてマッサージやらストレッチをしてのんびり過ごした
真っ青な秋空の下で入る露天風呂は空気がひんやりとしている分、気持ちがよく、、ちょっとばかり山奥の温泉にでも来ているような気分だった

2015年10月6日火曜日

今夜もお世話になりました 右足の具合とスマホ購入



半袖のワイシャツでは朝晩は肌寒い季節になった

昨日飛び込んできた大村さんのノーベル賞受賞のニュース
福田さんに大村さん関連の話を伺いたいと思いながら錦糸町へ向かった
福田さんによると莫大な特許収入を寄付するなどしている人だという
へぇーと感心する私
いい話を聞いた

クライミングの方は三か月ぶりに5.10dをリード、5.10cフラッシュ、5.11aメタメタといったところ
ビレイしていただいた島田さんと福田さんに感謝

2015年10月5日月曜日

日大尾根


日大尾根の資料はネット上にはほとんどない
しかしながら初登した日大山岳部には資料が残っているのではないかと思い、息子に調べてくれるように頼んでいた
そうしたら、間もなく安藤さんから日大山岳部のホームページ上に日大尾根初登時の記録を発見したとの連絡があった
昨年までホームページの担当をしていた息子も知らなかったファイルだった
それは2004年に発行された「日本大学山岳部八十年の歩み」と題された300ページに近いボリュームのPDFファイルの中に埋もれていた
テレイ、ラシュナル、レビュファなども参加したフランス隊によるアンナプルナ登頂の1950年
その年の12月から翌年1月にかけて40日間の冬山合宿で登ったもので、ポーラメソッドで日大尾根経由で北鎌尾根を登り、北穂高まで往復するという内容で、臨場感のある読み応えのある記録になっている

2015年10月4日日曜日

おいしい!むかごご飯


秋が深まった

昨日、庭木を切った時にむかごが地面に散らばった

この「むかご」は私が中学校1年生の頃に庭にばら撒いた「むかご」が成長したものだ
私が中学1年生ということは1968年だから47年前になる

当時、秋になると幼馴染の須藤君と一緒に自然薯掘りをしていた
もちろん子供の遊びとしてである

時代背景の説明が必要かもしれない
我が家にテレビジョンがやってきたのが1963年
東京オリンピックを翌年にひかえて買ったのだと思う
そして買ったばかりのテレビに映しだされたのがジョン・F・ケネディの暗殺だったことを鮮明に記憶している
そして1964年に東京オリンピック
東京オリンピックが終わった翌月の11月に私たち家族は四街道に引っ越した

2015年10月3日土曜日

土橋さん 印西クライミングで過ごした10月3日


いつもの通り5時に起床して昼過ぎまで土橋さん捜索のための調査・検討を行いながら過ごした
検討しなければならないテーマは沢山あるので、もれのないように頭をフル回転させる日々が再び来たといったところだろう
遭難対策本部の本部長をお願いしている谷川さんと頻繁に連絡を取りあっているが谷川さんがおっしゃっている次の言葉を肝に銘じたい
「二重遭難があると土橋さんの奥様、ご家族が嘆かれる」
谷川さんならではの名言だと思う
そして、それを実現するための戦略・戦術を考え実行するのが古賀志の岩場を共通の接点にしている千葉・茨城・栃木のクライマーで構成される私たち極道仲間ということになる
松本警察署にご提供いただいたヘリコプターによるザック発見現場の写真をスキャナーで取り込み極道仲間に配信した

そうこうしていると14時
母から庭木の伐採と草刈を頼まれていたので、農作業衣に着替えて一時間半ほど汗をかいた
そして15時半になり、そろそろ印西へいこうと息子に声をかけ、シャワーを浴びて16時に四街道を出た

砂田に教えてもらったクライマーの「けもの道」はすこぶる快調で21kmを45分で印西市松山下公園体育館へ到着することが出来た

2015年10月2日金曜日

明け方は猛烈な雨 夜は息子と錦糸町へ

島田さんのビレイで登る息子

朝起床してリビングにいると激しい雨となった
どれどれと「高解像度降水ナウキャスト」を見ると時間当たり80mmを越える降水域が四街道を通過中だった
これは945hpにまで発達した低気圧にともなう前線の通過によるもので、昨日松本へいった時にもずーっと気になっていた その前線も7時前には四街道上空を通過して行った

今週月曜日に全荷重を右足にかけてもよいという診断結果で装具歩行から開放されて五日目を迎えた今日 足首の関節が硬くなって稼動域が狭く痛みもあるので歩行がぎこちない
それでも一日の歩行距離は4kmくらいにはなるのではなかろうか?

さて、今夜も錦糸町だ
今日こそは島田さんにUSBメモリを渡すぞと思いながら錦糸町へ向かった
このUSBメモリの中にはホールド換え前の5本のルートを登る島田さんの動画が入っている
毎晩持ってきているのだが、錦糸町に到着するとクライミングに集中してしまって、そのことをすっかり忘れてしまうのだ

2015年10月1日木曜日

北緯36度21分12.3秒 東経137度39分39.3秒



松本警察署まで行ってきた

松本署には本当に親身になってご支援をしていただいており、とても感謝している
岸本さんがこの春に異動となり、その後任の母袋さんにアポイントメントをおねがいしていたのだ

今回もザック回収後、回収位置特定の為の写真撮影のために再フライトしていただいたことを知った
GPSによる正確な緯度経度情報と三方向から撮影されたザック発見場所の写真で位置は明確にすることができた
岸本さんから母袋さんへの引継ぎも十分にされており、私どもから提出させていただいている報告書もお読みいただいているので、今回の捜索に関しても十分にご理解いただいていた