2015年10月3日土曜日

土橋さん 印西クライミングで過ごした10月3日


いつもの通り5時に起床して昼過ぎまで土橋さん捜索のための調査・検討を行いながら過ごした
検討しなければならないテーマは沢山あるので、もれのないように頭をフル回転させる日々が再び来たといったところだろう
遭難対策本部の本部長をお願いしている谷川さんと頻繁に連絡を取りあっているが谷川さんがおっしゃっている次の言葉を肝に銘じたい
「二重遭難があると土橋さんの奥様、ご家族が嘆かれる」
谷川さんならではの名言だと思う
そして、それを実現するための戦略・戦術を考え実行するのが古賀志の岩場を共通の接点にしている千葉・茨城・栃木のクライマーで構成される私たち極道仲間ということになる
松本警察署にご提供いただいたヘリコプターによるザック発見現場の写真をスキャナーで取り込み極道仲間に配信した

そうこうしていると14時
母から庭木の伐採と草刈を頼まれていたので、農作業衣に着替えて一時間半ほど汗をかいた
そして15時半になり、そろそろ印西へいこうと息子に声をかけ、シャワーを浴びて16時に四街道を出た

砂田に教えてもらったクライマーの「けもの道」はすこぶる快調で21kmを45分で印西市松山下公園体育館へ到着することが出来た


岩崎は到着していなかったが、私たち親子も手伝ってセッティングを行った

前回1テンだった5.10bをRPしてフロアに寝転がって岩崎と話をする
そうしたら古い帽子を持ってきた
1990年の大倉カップの帽子である
これは私が選手として出場した最初のコンペだった大倉カップで配布されたもので、競技終了後に帽子がいくつか余ったので数個入手し岩崎にプレゼントしたのだと思う
よくもまぁ保存していたものだと思うし、常に持ち歩いていることも嬉しかった
この1990年の大倉カップへの私の参加がきっかけになって、私は千葉岳連の長老たちを説得して千葉県民体育大会の山岳競技にフリークライミングコンペを導入すると同時に日本山岳協会のクライミング委員会の常任委員となって国体へのコンペ導入に動き始めたのである
それがこのように華を咲かせているということだろう

5.10bを再登してから5.10aを登り、最後に5.10cを2テンでトップアウト
前腕がパンプしたのがとても嬉しい

砂田が来ないものかと19時半まで待ったが、どうやら来ないらしいということになって、20時に荷物をまとめ、最後にシャワーを浴びてさっぱりして家路についた
岩崎にビレイをしてもらう息子