2018年10月28日日曜日

千葉県民体育大会クライミング競技

オブザベーション中の幸子さん


千葉県民体育大会山岳競技がクライミング競技化されたのは1992年のことである
1992年にいきなり県民体育大会の山岳競技がクライミング競技化されたわけではない
それには下地作りが必要で1989年から1990年と千葉岳連岩登り競技会というものを銚子の犬吠埼で2回実施した 一部にリードクライミングもあったものの、現在のボルダリング競技に準じるものだった
1991年は新松戸のスポーツスクエア新松戸の外壁を利用して千葉岳連岩登り競技会を実施した これは人工壁を利用したオンサイトリードクライミングの競技会だった
そして翌1992年に県民体育大会山岳競技に昇格された
私の提案をバックアップしてくれ県民体育大会へ昇格することを決断してくれた当時の岳連幹部だった故:倉持さんや植草さんには今でも感謝している

そして実施された1992年の県民体育大会山岳競技
前年に引き続きスポーツスクエア新松戸のビルの外壁で行われた
ルートセッターをジャック中根に依頼した
なぜジャックに依頼したのかというと、前年までは島田貞雄と私がルート設定していたが県民体育大会山岳競技になったことで島田も私も選手として参加しなければならなくなったからである

今の私の体形からは想像もできないほどに当時は減量しておりガリガリに痩せていた
1992年当時はクライミングの競技人口は極めて少なく市区郡対抗のチーム編成ができない状態で、やむなく幸子さんや岩崎夫人、砂田夫人に印旛郡市代表チームとして参加してもらった

新松戸における第一回県民体育大会クライミング競技会後の第二回大会は場所を野田に移し、その後私は岳連の行事を岩崎に引き継いだ
野田での県民体育大会では鈴木謙造君が優勝するなどしたがやがて場所は習志野に移り、数年前から印西に場所を移した

そして今日、26年を経た県民体育大会クライミング競技会が印西で行われた

第一回に選手として参加した幸子さんが26年を経て選手として参加した
参加女子選手の中で最年長の幸子さんだったが頑張った
緊張しないでリラックスして登れたというから大したものだと思う

千葉県フリークライミング協会(CFA)のほとんどのメンバーが県民体育大会にかかわっているので「印西リードクラック壁」の店番がいない
午後から幸子さんが駆り出され「印西リードクラック壁」の店番として赴いた
15時半になって県民体育大会が終わり、目次さんからの依頼もあってJFAの機関紙「フリーファン」を抱えて「印西リードクラック壁」へ向かった
そのあと私自身の大マヌケな事件があって、私も含めて全員が呆れるというか爆笑
早く酒を飲んで忘れたいということで幸子さんに運転してもらいハイボールを飲みながら家路につきました
明日はグリーンアローに行けるけど、明後日の火曜日に予定されている印西の練習会には行けません
先ほど気が付いたのですが10月30日火曜日には都岳連クライミングスクールの修了式がモンベル渋谷店で実施されるからです
トホホです



森川兄い

大樹さん

マッチ

山崎さん

川口さん

印西のおじいちゃん、おばあちゃんのアイドル的存在の希ちゃんの異次元のクライミング