2020年12月9日水曜日

甚兵衛そばで大木さん、岩崎、砂田と忘年会


もう、そんな季節になったのかと思う
木内さんの命日を迎え、八ヶ岳の氷の発達具合がクライマーの間で話題になり、昨年に続いて大木さんに会いに甚兵衛そばへ行く季節になった
というのも、新年を迎えると成田山や宗吾霊堂への初もうで客が甚兵衛そばに多数来客し、大木さんは大忙し 一方で12月は参拝客は少なく甚兵衛そばは比較的余裕がある

お酒を飲むので、今年も幸子さんに送迎役をお願いして11時に砂田宅へ、11時30分に岩崎宅へ立ち寄って甚兵衛そばへと向かった

こうして大木さんに会いに行く私たち
私たちを引きつけてやまない大木さんの魅力とは何だろうか?
そのルーツは多感だった15歳から18歳ころに山登りに対する「考え方」や「視点」といった面で影響を強く受けたからだろう

二十歳の頃、私たちで創立した鹿山会登攀クラブ
大木さんはただ登ればよいというのではなく、それぞれの山行にプロセスを感じさせるようなカリスマ的な存在だった
一ノ倉沢や奥鐘山西壁などに執着する私を高難度フリークライミングの価値観に向かってグイグイと引っ張ってくれたのも大木さんだった
初登されて間もないベルジュエール、ウスノロマンなどが次々とクラブのクロニクルに加えられた
大木さん、岩崎、砂田たちと池袋の要町三丁目のアパート「野村荘」でつづられた青春の日々の思い出は生涯の宝物かもしれない

甚兵衛そばには12時に到着し13時半まで滞在した
叔母様と奥様手作りの肴やデザートを感謝しながら頂戴した

夕方、山渓の北山さんから連絡があり、久しぶりに島田貞雄と連絡を取り合った
島田の最高傑作であり、当時のクライミング界における金字塔ともいえる二子山の「乾杯5.14c」の初登年月日が確定した 今まで島田は乾杯の初登についてメディアを通じては公にしていなかったからである
1995年3月25日土曜日
さかのぼること25年前だった


0 件のコメント: