私の家から四街道小学校への通学路は大日から新生(あらおい)への坂道を下っていくと下志津新田の集落へと入っていく
大日や鹿放ケ丘は戦前は旧日本陸軍の演習場だったところで戦後になって陸軍の復員兵や満州引揚者等に土地が払い下げられ農業をなりわいとして住んだ だからもともとの地元住民はいない
一方で下志津新田は「新田」という名でわかるように江戸時代からの古い村である
その古い村を突っ切って金毘羅神社で左折すると民家は途絶え、村はずれに田んぼに囲まれた墓地がある 田んぼを突っ切る道の両側は土手になって春になるとつくしや野蒜が育ち、学校の帰り道に野蒜を食べたりしていた そこから四街道小学校はもう近い 現在私が小学校前の道を車で通過する頻度は週に1~2度といったところだろうか
この墓地に花島秀雄が眠っているから時々彼のことを思い出す