2024年1月21日日曜日

邂逅「池田功」さん


今日は公益社団法人東京都山岳連盟の「新春の集い」が催された
いわゆる「賀詞交歓会」である
場所は御茶ノ水駅近くにある私学事業団の東京ガーデンパレス

日本最大の山岳団体と言われる都岳連の「賀詞交歓会」なので登山界というか登山業界の主要メンバーが揃う
都岳連理事の私はおもてなし側という立場なので欠席という選択肢はありえず、昨年の内から予定をあけていた

今日は朝からあいにくの雨模様で、ガイドの仕事で谷川岳へ行っていた素直ガイドもお昼頃に帰ってきた
幸子さんに四街道駅まで送ってもらい12時51分の普通列車に乗車した
雨の御茶ノ水駅は工事の真っ盛りで四ツ谷駅のようなたたずまいに変貌しつつあるところだった
そんな中で駅構内にJR東日本が経営する立ち食いそば屋「いろり庵きらくそば」が新規開業していた 昼食がまだだったのでかき揚げそばを食べて、雨に濡れながら会場の「東京ガーデンパレス」へ入った

14時30分から15時30分までの参与会が終わってから受付を開始
受付では本日の参加者名簿が配布された
その名簿の中に「池田功」の名前があったが、同姓同名だろうと高をくくっていた

催しが中盤に差し掛かった頃、その人が東京YCCの切嶋さんと親し気に話をしているのを見た
その瞬間、同姓同名ではない「池田功」その人であることを悟った

千葉の世間知らずの片田舎のクライマーに過ぎない私たちですら日本のフリークライミング黎明期のスーパースター「池田功」さんからは強い影響を受けていた
1980年代初頭に千葉や茨城に岩場を探し求めルート開拓に熱中していた頃と重なる
私たちが銚子の犬吠埼でオーバーハングを登っていた時、島田貞雄が登山靴を持ってやってきて「こんなところを登るんだぁ」とつぶやいて帰って行った頃のことである

池田さんとの話も弾んだ
もちろんイムジン河のことが最初に話題になった
まだマイクロカム「エイリアン」が登場しておらず取付き点のビレイ用支点として棒フレンズが使用された以外はほとんどをナッツでプロテクションとしていた時代である
マイクロカムが発達した現在ではイムジン河の5.11dというグレードはさほど難しいものとはされていないけれど、ナッツをプロテクションとしてセットしながらリードする精神的なプレッシャーを現代のクライマーたちは想像できないかもしれない

イムジン河をレッドポイントした後、一度だけ「スーパーイムジン」をトライしたことがある ルート全体で1本だけRCC型ボルトが打たれていて、その上に核心部のスプーンカットの甘いホールドがある このホールドを保持できずスーパーイムジンを諦めたことも池田さんに伝えた あの甘いホールドの感触は今でも私の指先に残っていて池田さんは「あのホールドね」と大きくうなずいてくれた 40年近く前のホールドの感触について初登者と共有できるというのは普通はあり得ない話だと思う

私の手の甲にはあの頃の思い出の傷跡であるジャミングダコがケロイド状になって今も残っている
私の手を見て池田さんは「相当入れ込んでいたんですね」と言いながら自身の手も見せてくれた
同じようなケロイドが残っていた

レベルは相当異なっていたにせよ同じ時代を共有していたことが嬉しく思った夜だった

帰宅しても幸子さんは印西市立体育館の大前傾壁に行っているから急いで帰る必要性もない
夜空を見ながら、鵬翔山岳会の松林さんや東京野歩路会の真島さんとのんびりと御茶ノ水駅まで歩き、東京駅から総武横須賀線快速エアポート成田のグリーン車で帰宅した

プロ写真家の塩田さんの作品にしばらく見とれました

塩田さんはスピーチの中でシャッターを押した前後のことを詳しく紹介してくれました

御茶ノ水駅構内に先月開店した「いろり庵きらくそば」のかき揚げそば520円也

途中で松元さんの体調が悪くなるという騒動があったものの都岳連顧問ドクターの沖先生など複数の医師が参加していたこともあり適切な処置がされて事なきを得ました
新春の集いは18時に終わり、四街道駅には19時33分帰着できました
幸子さんは印西市立体育館の大前傾壁へ行って不在なのでイトーヨーカ堂に立ち寄って買い物をして帰宅しました

しばらくすると幸子さんが帰宅しました

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