2024年1月29日月曜日

ど素人にトップロープのビレイを教える


印西市役所主催のクライミング教室の参加者の中に、印西クラックで子供を登らせたいという人がいる
子供がクライミングが大好きだというから、ロッキー印西店へ通うことを薦めた
幾度かロッキーにも行ったけれど10mの大きな壁を子供は登りたがっているので、印西クラックを使わせてくれないかという
ビレイが必要なのでダメだというと「それではビレイを教えて欲しい」という

2024年1月28日日曜日

房総半島 冬の沢歩き


千葉岳連OB会の主要メンバーの多くは1973年に千葉県で開催された若潮国体関係者で構成されているように思います 私もそのメンバーの一人ですが、房総の山々はそれからの付き合いになります
房総では厳冬期の1月下旬ですら沢歩きが楽しめます
今日はそんな房総の沢歩きを楽しみました
この時期さすがに水は冷たく、河原の水たまりには氷が張っていました

2024年1月27日土曜日

宝篋山を登ってから大前傾壁へ


今日は幸子さんと朝5時半に自宅を出発し帰宅したのが21時だからずいぶんたっぷり遊んだものだ

まずは宝篋山へ
歩きはじめは手袋をしていても指が痛くなるほどの寒さだったが日が射し込むにしたがってポカポカ陽気となり、半袖で登った
今日は空気が乾燥しているのか展望が良く、左から権現岳、赤岳、横岳、硫黄岳、天狗岳とくっきりと八ヶ岳が見えた
宝篋山は今日ですべてのコースのトレースが終わった すなわち

2024年1月25日木曜日

千葉岳連OB会 新年の集い


今日は千葉岳連OB会でした
いつものことながら、千葉岳連から離れて30年以上が経つというのに、今回も誘ってくれたのです
場所は千葉駅近くの富士見町にある「すし波奈」
千葉県における山用品店の先駆けだった「ウチヤマスポーツ」跡地に近いお店です
11時30分スタート

2024年1月23日火曜日

池田功さんの話題で盛り上がった大前傾壁


今日はだいぶ温かい
印西市立体育館の大前傾壁へ向かおうと玄関から外へ出た時も寒さを感じなかった
10時、庭に生っているキンカンを三つほどちぎって車に乗り込んだ
いつもの通り独標登高会OBのY口さんと登った
一昨日の都岳連新春の集いで「池田功さんに逢った」という話題で盛り上がったのは言うまでもない
それにしても大前傾壁クライミングの楽しさよ 空中に身を躍らせるようなムーブが連続するのが本当に楽しくてたまらない

2024年1月21日日曜日

邂逅「池田功」さん


今日は公益社団法人東京都山岳連盟の「新春の集い」が催された
いわゆる「賀詞交歓会」である
場所は御茶ノ水駅近くにある私学事業団の東京ガーデンパレス

日本最大の山岳団体と言われる都岳連の「賀詞交歓会」なので登山界というか登山業界の主要メンバーが揃う
都岳連理事の私はおもてなし側という立場なので欠席という選択肢はありえず、昨年の内から予定をあけていた

今日は朝からあいにくの雨模様で、ガイドの仕事で谷川岳へ行っていた素直ガイドもお昼頃に帰ってきた
幸子さんに四街道駅まで送ってもらい12時51分の普通列車に乗車した
雨の御茶ノ水駅は工事の真っ盛りで四ツ谷駅のようなたたずまいに変貌しつつあるところだった
そんな中で駅構内にJR東日本が経営する立ち食いそば屋「いろり庵きらくそば」が新規開業していた 昼食がまだだったのでかき揚げそばを食べて、雨に濡れながら会場の「東京ガーデンパレス」へ入った

14時30分から15時30分までの参与会が終わってから受付を開始
受付では本日の参加者名簿が配布された
その名簿の中に「池田功」の名前があったが、同姓同名だろうと高をくくっていた

2024年1月20日土曜日

震えあがった宝篋山を登ってから印西クライミング


一週間前からの予報通り、大荒れの週末を迎えた
素直ガイドはガイドの仕事で八ヶ岳東面を計画していた 八ヶ岳東面は赤岳鉱泉付近とはかなり異なっていて、安易に入山できる山域ではないので昨夜相談して谷川岳へ変更することにしていた
朝5時30分に出発して行った素直ガイドを見送ってから、幸子さんと私も出発した
今日は17時から印西クライミングなので短めのコースが無難だろうと宝篋山へ向かった

曇り空の寒い一日になりそうだ
小田休憩所の駐車場に到着したのは8時半だったけれど、すでに多くの車が駐車して登山準備をしていた
常願寺コースを中腹迄登ってから純平歩道へ入り、極楽寺コースの上部を経由して10時45分山頂へ上がった

2024年1月19日金曜日

穏やかな筑波山


週末は大荒れ間違いなし、だけれども今日までは大丈夫だろうと思ってリハビリ山行に行くことにした
幸子さんを大日小学校まで送って、そのまま筑波山へ向かった
夜はZoom会議やクライミングの予定もなく時間の余裕があるので、一番しんどいコースである「つくし湖」~「薬王院」~「男体山」を選択

出発地点の「つくし湖」駐車場に到着してみるとウィークデイにもかかわらずほぼ満車
手袋をしていなくても手が冷たくならない冬にしては温かい日だ

穏やかな好天の山頂に到着
週末の大荒れを予想させるような湿った空気が流入しつつあり、遠くの山々も霞んで何も見えない
一旦、御幸ヶ原へ下って一休みし、自然研究路の南コースをたどって下降に移った

2024年1月17日水曜日

阪神淡路大震災から29年の印西市立体育館の大前傾壁

レッドポイントまでもう少しの幸子さん

今日は阪神淡路大震災29年の日だった
当時、勤務先で周辺機器販推をしていたが、その時の直属の上司とその上の上司が人格的に最低の人だったことを思い出す とはいえ部門トップの常務が私をとても可愛がってくれていたので、さほど気にならなかったし、むしろ二人を滑稽に感じていた
直属の上司はいつもアルコールの匂いがしており、震災後まもなく職場で倒れ、救急車で緊急入院した 救急車に同乗し病院まで付き添ったっけ
大企業は部門もたくさんあって、部署によってはとんでもない人員配置が行われていたりするのは仕方がないことだと思う
そんなことが阪神淡路大震災の記憶と重なって思い出され、懐かしく感じる

さて、いつもの通り今日一日を振り返って見よう

今日は岩崎と19時から印西市立体育館の大前傾壁の予定が入っている

2024年1月16日火曜日

60.70は「はなたれ小僧」


孫の動画が送られてきた
学校で作った王冠を被って…
「パパ、ガレット食べたい。今日学校でガレット食べて、家でもガレット食べる時間だよ。どこでもガレットを食べるんだよ。ガレット3つ食べたい」
先週はクリスマスの区切りとなる「主の公現(エピファニー)」だったからフランスでは学校でもガレット・デ・ロワを食べて、お祝いをしたのだろう

さて、今日は朝から風が強く寒い一日となった
幸子さんは仕事なので朝7時15分に大日小学校までマーチ号で送った 気温が低いとフロントガラスが凍り付くのが普通だけれど今朝は風が強かったので凍結していなかった
帰りがけにそのまま食材の買い出しをした 今日はキムチ鍋にする予定だから、そのために豚バラ肉を仕入れて帰宅した
帰宅してから皿洗いなどして一服し、印西市立体育館の大前傾壁へ向かった

2024年1月13日土曜日

トリプルヘッダーの一日

大前傾壁のルーフ部分でホールドをキャッチした瞬間の幸子さん64歳

三日前のリハビリ目的の筑波山(つくし湖~薬王院~男体山)で腫れあがった右くるぶしの痛みも和らいだので、今日も幸子さんを誘って筑波山へ行こうと準備をしていた

そうしたところ昨夜、素直ガイドが「風邪をひいたので明日のガイドの仕事を交替してくれないか?」と言ってきた
相当調子が悪いようだ
今日は素直ガイドの企画で印西クラックにおいて「クライミング基礎講習」が予定されていた

喜んで引き受けることにして、期待されている講習内容について素直ガイドから詳しくヒアリングして準備を進めた カリキュラムを決め25ページのマニュアルを用意した
講習では、その場では理解したつもりでも翌日には詳細については忘れがちになる そのような時にマニュアルがあると復習することができるので、私たちの基礎講習会ではマニュアル提供を準備している

10時に印西クラックに入り、10時30分から講習開始
途中昼休みとして1時間の休憩をとったが16時30分までびっしり実施した
主な実施内容は素直ガイド考案の「クライミング技術体系」の中の「防御技術」のビレイ項目を中心に行った 対象概要は次の通り

2024年1月10日水曜日

筑波山を登ってから大前傾壁

左:男体山から望む女体山 右:印西市立体育館の大前傾壁

昨日から幸子さんは仕事が始まりました
一方で今日は19時から印西市立体育館の大前傾壁で岩崎たちと登る予定があります
上記の二つの条件から導き出されるのは昼間は私一人で筑波山に登り、夜は幸子さんと一緒に岩崎たちと登るということになります

17時までには帰宅すると幸子さんに約束して筑波山へ向かって朝6時半に出発しました
私一人なので「つくし湖」~「薬王院」~「男体山」の往復コースを選択しました
このコースは筑波山最大の標高差820mを持っています
ときどきベンチマークテストに使っています
「つくし湖」から「男体山の山頂」までの標準コースタイムは2時間40分ですが、これを10㎏以上のザックを背負って1時間を切ることができれば、素直ガイド並みの体力と言えるでしょう
リハビリ途上の私は、10kgのザックを背負ってまずは標準コースタイム内で登ることが目標です

2024年1月8日月曜日

大前傾壁スタート


12月23日から始まった四街道市立大日小学校冬期休業も今日がいよいよ最終日
幸子さんと二人でこの17日間の冬期休業中に山歩きを7回、クライミングを11回行うことができました

そして今日は印西市立体育館の2024年初登りでした
成人の日の祝日なので8名という印西市立体育館としては沢山の参加者がありました

11時に体育館へ入ると「やぁ、やぁ 明けましておめでとうございます」などと声をかけ合いましたが、やはり最初の話題は能登半島地震のことでした
岩崎とのクライミングも今年初めてになります そういえば砂田の姿を最近見ないけれどどうしているのだろう?などと岩崎と話しました 以前同じように2~3日見ないと思っていたら山で遭難していたことがありましたが、相変わらずどこかで登っているのでしょう

2024年1月6日土曜日

宝篋山 薬師堂・新寺・ドクターヘリ そして印西クラック


四日連続だった一昨日は疲れがたまったせいか印西クラックでのクライミングにも精彩を欠いていた それで昨日は完全レスト日とした方が良かろうと幸子さんと話した 山歩きもクライミングもお休みということだ

そして今日
宝篋山で歩き残した最後のコースである薬師堂コースと山口コースと新寺コースを歩くことにして家を出た
薬師堂コースは私が勝手に名付けたもので国土地理院の地形図には徒歩道としてはっきりと記載されている
Googleマップには薬師堂を鬼子母神社と表記されていたが、実地検証してみると境内の正面に薬師堂があり、その左側に鬼子母神堂が併設されているという配置である 薬師堂という表記が妥当だろう

2024年1月4日木曜日

宝篋山の魅力とは・・・

大師堂のお地蔵様

昨日購入した幸子さんのトレランシューズとクライミングシューズをさっそく試してみようということで、宝篋山を登ってから印西クラックへ行ってクライミングをすることになった

宝篋山は12月23日に初めて登り、今日までの13日間で4回目なのでかなり高密度に登っていることになる
理由はいくつかある 9月末のエルキャピタンでの右足首の骨折のリハビリにちょどよい穏やかな山容だったということが一番の理由だけれど、それ以外にも次のようなものがある
  1. 登山者を歓迎してくれていることを感じさせる地元の取り組み
  2. 歴史を物語る数々の遺跡、城郭跡の存在
  3. 展望の素晴らしさ
  4. ロープウェイがないので観光客がおらず登山者だけの世界ということ
さて、今日選んだコースは小田休憩所を起点として極楽寺コースを登って小田城コースを八幡様まで下山して「北斗の道」を使って出発点へ戻るというものだが国土地理院地形図には徒歩道としての記述はない

2024年1月3日水曜日

印西クラックのあとはヨシキスポーツへ


幸子さんのクライミングシューズの先端に穴があいたので、新しいクライミングシューズを買いたいというので、今日はヨシキスポーツへ行くことにしました
とはいってもヨシキスポーツの開店時刻は11時と遅いので、その前に印西クラックへ行ってひと登りして、それからヨシキスポーツへ向かうことになりました
10時に印西クラックへ入り、いつもの通り登ったわけですが、スローパー気味の甘いホールとハイステップで猛烈にパンプします

2024年1月2日火曜日

クライミング初め


夜が明けるとともに令和6年能登半島地震の被害状況が少しずつ明らかになり始めた
2016年の熊本地震を上回るような災害となるのではないかと心が痛むばかりだ

今日は幸子さんと午後から印西クラックで登り初めを行い、帰宅してNHKを見ていると驚くような映像が流れた JALと海保の飛行機が羽田空港で接触し炎上したという

2024年1月1日月曜日

鎌倉時代の遺跡をたどる宝篋山

下浅間神社からの展望 ザックの重量は12kg強

リハビリ目的で元旦から筑波山方面での山歩きを幸子さんと終えて帰る途中だった
16時10分、国道16号線外回り横戸交差点付近を走行していた時に「緊急地震速報」がけたたましく鳴った すぐにNHKラジオ第一に切り替えた
最初に思ったのは北アルプス白馬岳北方に入っている素直ガイドのことだった
日大山岳部の冬山合宿にヘッドコーチとして数日前から入っているので、地震によって誘発されるであろう雪崩のリスクを想像したのである
すると16時15分に素直ガイドから次のようなメッセージが届いた
「今現在、無事です テントでも強い揺れを感じました」
恐らく素直ガイドも「強い地震→雪崩の誘発→関係者が心配している」と思って関係者に送信したのであろう
夜になったので被害状況はつまびらかになっていないが、夜が明けるにしたがって明らかになるだろう

大変な新年を迎えたが、今日一日を振り返って簡単なメモとして残しておきたい