2016年6月19日日曜日

大倉カップ’90のタンクトップで登る印西


習志野のファミリーフェスタではビレイするばかりで、私も砂田もフラストレーションがたまってしまった フェスタが早めに終わったので、砂田と19時から予約の入っている印西へ行くことになった
印西へ行けば岩崎もいる

習志野のフェスタで着ていたヨセミテで買ったポロシャツはすでに汗ばんでいた
空調の効いた習志野ですらそのような状況だったからには印西は地獄の様な暑さであろう
それで最近はめったに着たことのないタンクトップを引っ張り出してきた
このタンクトップは1990年に行われた第二回大倉カップで配布されたユニフォームだ

その頃は島田さん達と小川山に入り浸っており、その前年に国内における人工壁を使った本格的な初めてのコンペである第一回大倉カップが開催されていた その第一回目の予選ルートのグレードは5.11だと聞いていた 当時5.11bまでならほぼ100%オンサイトしていたので、それなら予選は通過するかもしれないと考えて第二回大倉カップに島田さん達と出場したのである
結果は散々だったが、受けたインパクトは強烈だった こんなコンペを千葉でもやってみたいと思った
この時、帽子も配布されて、余った帽子をさらにいくつかもらい、砂田、岩崎、大木さんなどにプレゼントした記憶がある その帽子を岩崎が今でもいつもクライミング用バッグの中に携行しているのには驚いた

18時10分 息子の運転で妻と三人で印西へ向かって出発
印西は案の定、暑かった
特に壁の上部まで登りつめていくと汗が噴出すような暑さだった
そんな状態だったが、息子が念願の5.10bで印西初レッドポイントを達成
現在の印西のルート設定では一番易しいのがこの5.10bだけれど、錦糸町なら5.10dから5.11aに相当する 垂壁にはめっぽう強い息子だが、前傾壁でレストが出来るようになり、印西にもだいぶ慣れてきたようだ
妻にとっては、さすがに印西の前傾壁は辛いが、妻もがんばって3本
私は4本 内2本でフォール 内容が悪く、まったくぱっとしない
だが、たとえぱっとしなくとも登り続けることが出来るのは、砂田や岩崎のおかげであり、妻や息子のおかげである

体育館から外へでてみると小雨がぱらつき始めていた

腰を落として腕をまっすぐに伸ばしレストに入ろうとする息子
印西にもだいぶなれたことがわかる

息子が5.10bをレッドポイントした瞬間
錦糸町の5.10d/5.11a相当


妻がトライするのは息子が本日レッドポイントしたルート
72.65kg