2025年1月25日土曜日

三浦三良山 鎌倉古道を歩く


今日は鎌倉古道から房州アルプスへと周回する予定で自宅を出発
ところが出発してすぐに車のフロントガラスに雨粒が落ちてきました
天気予報では午後から晴れるとのことだったので高速道路をそのまま走りました

鎌倉古道の出発点は梨沢 梨沢は沢登りの対象として幾度も登ったことがあり、真冬の積雪状態ですら登ったほどに通い込んだ沢です 2019年の台風で荒れた梨沢はその後死亡事故があったと梨沢公民館に掲示されていました
房総の山は地形が複雑で、岩盤が泥岩なので深く浸食して断崖絶壁を形作っており非常に危険な山域です
稜線を歩いていても左右が切れ落ちたナイフリッジを形成している箇所が随所にあります
沢の場合はこれが罠になっており、難所で高巻くと断崖の上にみちびかれがちです

2025年1月23日木曜日

昔のガソリンコンロをチェックしてから、岩崎と合流して印西大前傾壁


一緒に登り始めて54年になる岩崎と合流して、印西市立体育館の大前傾壁でクライミングでした
ワールドカップを何度か開催したことのある15mの大前傾壁は超面白いです
幸子さんも頑張りまし、69歳の岩崎も相変わらずでした
私はビレイグローブと上履きを忘れたのでビレイは勘弁してもらいました

日中は昔の古いガソリンコンロを持ち出して燃焼テストを行いました
機種はスベア123とホエーブス725です

2025年1月21日火曜日

グラデーション美しい印西クラック


午前中は曇りがちでしたが、午後から晴れ間がのぞき始めました
今日も印西クラックへ行く予定です
連日、ヴィーガン弁当で夕食としていますが、そろそろ別の物が食べたいということになって、普通の弁当を事前に用意して幸子さんの帰宅を待ちました

幸子さんが帰宅したのは16時20分
15分後に出発しました
ショッピングモールBigHopに到着する頃には残照のグラデーションが美しく広がっていました
幸子さんは仕事で体力を使う場面があったそうで、疲れた~とこぼしています
さすがに早い段階でギブアップ
19時半に帰宅しました

2025年1月20日月曜日

二日のレストで再開した印西クラック


快晴続きで乾燥しきった関東地方に久しぶりに雨が降り始めました
昨日の岩殿山で雨に降られることはなかったのですが、帰りの「かいじ」の車窓では濡れた路面が雨が降ったことを教えてくれていました
このような状態でしたから、今朝も雨模様かなと覚悟していましたが出勤する幸子さんを見送ってしばらくするとリビングに朝陽が射し込んできました

一昨日の「都岳連新春の集い」で日本フリークライミング協会理事長の篠崎さんに約束した「プロガイド養成マニュアル8期版」をレターパックで送るために郵便局へ行きました
さらに郵便局から物井のホームセンターなどに立ち寄りました 久しぶりに昔から保有しているガソリンコンロ(スベア123やホエーブスなど)の動作確認をしてみようかと思い、プレヒート用のスイスメタを探しに行ったのだけれどあるはずもありません

2025年1月19日日曜日

「稚児落とし」 悲しい伝説を秘めた岩殿山


東京都山岳連盟プロガイド養成委員会ではガイドを養成するだけではなく社会貢献事業の一つとして六つ星山の会のサポーターとして視覚障碍者支援に取り組んでいます
今回は「稚児落とし」の悲しい伝説を秘めた岩殿山で実施されました

朝4時に起床して身支度を整え幸子さんに稲毛駅まで送ってもらいました 四街道駅5:20の始発では集合場所の大月駅到着が集合時間の7分前到着になるので遅刻のリスクが高いと思ったのです 自宅を4:40に出発し稲毛駅到着は4:55 稲毛発5:10の快速電車に乗車できました

2025年1月18日土曜日

都岳連 新春の集い


今日は都岳連新春の集いが開催されました
民間企業では所属する業界団体で年始に賀詞交歓会なるものが開催されたりします
中央競技団体JMSCAの傘下の山岳団体として桁違いの規模を持つとされる都岳連の「新春の集い」は登山業界としての賀詞交歓会という役割を担っていますし期待されているという側面を持っています
実際のところ新メンバーを都岳連内の各委員会や出版社等メディア、登山用品メーカーへ紹介することを一回で済ますことができるのです
これは都岳連プロガイド養成委員会側からだけでなく登山用品メーカーや関連する組織側から見ても同様です

新しくプロガイド養成委員に加わったメンバーを紹介できたのは都岳連内の各専門委員の他にモンベル、山と渓谷社、ファイントラック、日本山岳ガイド協会などなど
忙しいひと時を過ごしましたが、それにともなう成果があったのではないかと思います

2025年1月17日金曜日

ヴィーガン弁当を食べて今夜も登りました


最高気温が9.2℃という寒い日でしたが、厚手のフリースの上にウィンドブレーカーを羽織ると寒さを感じません
明日は都岳連「新春の集い」が開催されます ご出席いただく方々をお迎えするという立場の私なので身だしなみを整える必要があろうかと床屋へ行きました
歩いていきましたから道すがらに咲いている花はないかなと探しましたが、水仙とイモカタバミの花がありました

私が委員長を務めているプロガイド養成委員会では障碍者支援事業を年間計画に入れています 明後日は視覚障害者の山岳会へのサポートで大月の岩殿山へ行く予定なので帰宅してからその準備をしました 安全管理の設計をして、それに沿ってギアを選択していきます
そうこうしているうちに16時近くになりました そろそろ幸子さんが帰宅する時間なので夕食の準備に取り掛かりました

16時50分に幸子さんが帰宅しました すぐにでも出発する勢いの幸子さんですが、私が用意した雑煮を薦めると「お腹減ってたの~!」といって美味しそうに食べてくれました
印西クラックへ向かって出発したのは16時58分ですから、そのドタバタぶりが想像できると思います

2025年1月16日木曜日

腕時計スタンドと“山岳レスキュー教本”


天気は良いものの気温は低いという天気予報でした
いつもの通り7時過ぎに幸子さんが出勤した後、1階のリビングの電動シャッターを全開にしました 東側の窓からまぶしい朝の陽光が射し込んできました
朝食にお餅を2個焼いて食べました

印西クラックは17時から21時まで松戸山の会の予約が入っているので、幸子さんと私が登ることはできません

今日の夕食の献立を冷蔵庫の中身をチェックしてから考え、買い物に行きました
ここのところ野菜の価格が暴騰しておりキャベツ1玉が500円、白菜600円という状況です お米の価格は数か月前から高止まりのままで一向に下がりません
それでも年末に岩崎が沢山の野菜をくれたので、それがまだ残っており助かります

2025年1月15日水曜日

ヴィーガン弁当を食べながら今夜も印西クラック


今日の印西クラックの予約状況は「ちば山」が19時からとなっているので、17時から19時までひと登りしませんか?と幸子さんに持ち掛けると二つ返事で
「いいよ~!」と言いながら出勤の為に玄関を出て行きました

電動シャッターを全開にすると陽射しがリビングの中に射しこんでポカポカと温かくファンヒーターの電源を切りました
高度計測ができる腕時計プロトレックを充電するにはピッタリの陽射しなので陽のあたる窓際に置きました
今日は南西の風となって気温が上昇し15時の段階で14℃まで気温が上昇したようです

午後になって、南フランスにいる次女から依頼されていた郵便物を投函するために蝋梅が咲く外に出てみると暖かく感じました 歩いて郵便ポストまで行って投函し家に戻ってみると幸子さんが通勤に使っている日産マーチがありました 幸子さんが帰宅したようです
さっそく印西へ向かって出発しました

2025年1月14日火曜日

幸子さんとナイトクライミング 印西クラック



ここのところ、インフルエンザが大流行しているために、体調不良で印西クラック予約のキャンセルが続いています
印西クラックが空いている時は「一緒に登らない?」と幸子さんに尋ねると、幸子さんは二つ返事で
「いいよ~!」と言ってくれました

それで今日は幸子さんの仕事が終わったら一緒に印西クラックで登る約束をしました
もうそろそろ帰ってくる頃だがと待ちながら、冷蔵庫の材料を確認して献立を考えていましたがなかなか帰って来ません 帰宅したのは16時50分
時間がないので夕食もとらずにそのまま車に乗ってもらい印西クラックへ向かって出発しました

2025年1月13日月曜日

鍋焼きうどんを食べるために烏場山?


今日は寒いけれど天気が良さそうなので房総の烏場山のカヤ場で鍋焼きうどんを食べようということで幸子さんと二人で行ってきました

自宅を出発したのは7時 君津ICで一般道へ入り鴨川有料道路(現在は無償化)を走りました 前夜の天気予報では朝の冷え込みが強く房総とはいえ路面凍結の恐れがありますので慎重に運転しました 過去、凍結した路面でスリップして大破した車を見たことがあるのです

登りは花嫁街道を使用しました 花嫁街道の登山口の標高は18mで、そこから25分ほど登ると標高137mの地点で道は水平になります
地形から判断すると恐らく昔は林道だったようで、少しづつ登っていきますがほとんど水平に感じられるものです

2025年1月12日日曜日

前腕がパンプアップするまで追い込んだ印西クラック


曇り空で場合によっては雪がちらつくという予報だった三連休の二日目の日曜日
幸子さんと二人で午後からメンテナンスと自主練を兼ねて印西クラックで過ごしました

最近はもっぱら印西市立体育館の大前傾壁を登ることが多いのですが、大前傾壁では指をホールドにフッキングしてひきつけ動作はムーブをおこす時だけなので他の筋肉はほとんど使っていないことが多く素人が想像するほどには前腕のダメージはありません
一方で垂壁ではグレードがあがってくるとホールドが甘かったりして保持力が必要でパンプアップしがちです

今日の印西はとても寒く、鍵を開けてジムの中に入ると冷え切っていました
それでも1本登ると体が温まって体の動きも良くなりました

2025年1月11日土曜日

宝篋山のお地蔵さまと山頂での鍋焼きうどん

近くに筑波山を眺めながら

久しぶりに宝篋山の大師堂に鎮座するお地蔵様を拝みに行こう!という気分で幸子さんと行ってきました
山の中でいただく寒い時期の鍋焼きうどんは最高のご馳走でしょう
昨夜のうちに準備しました

自宅出発は6時35分
朝食はつくば市内のスーパーマーケットの弁当ですませ、登山口の小田休憩所に8時40分に到着しました
いつもよりも少し早い時間の到着でしたがすでに駐車場を満車です 困って駐車場の中を2回程回っていると、早朝登山を終えて帰路につこうとしている方から声をかけていただき無事に駐車することができました

今日のお目当ては大師堂のお地蔵様です 一年ほど前に新しくした赤いよだれかけはすっかり色あせていました

2025年1月9日木曜日

蝋梅の花、二日遅れの七草粥、印西大前傾壁、オンライン会議など


強い寒波が入って日本海側では記録的な豪雪とのことです
NHKのニュースでは青森県弘前市内の積雪状況が映像として流されています
ずいぶん昔に訪れたことのある岩木山の山懐にいだかれている湯段温泉に思いをはせたりしています

強い冬型の気圧配置になっていますから千葉は快晴で、庭の蝋梅も七部咲きになりました
今日は19時からオンラインで都岳連プロガイド養成委員会の1月委員会を実施予定なので、その準備をしたり、廣川さんと電話で意見交換などしていると仕事を終えた幸子さんが帰宅しました

2日前に七草粥の材料を冷蔵庫に保存していたので、幸子さんがそれを七草粥にしてくれました 幸子さんは七草粥を食べた後、クライミングの支度をして印西市立体育館大前傾壁へと出発して行きました

2025年1月7日火曜日

房総の伝説 百名山ハンターへのアドバイス


一週間前の正月元旦に初登山として房総の高宕山へ登りました
高宕山の山頂には鉄釜がありますがそのことをフェイスブックで紹介したところ廣川さんから「何のための釜ですか?」というような質問がありました

ネット上の情報では源頼朝の釜で雨乞いに使われているということでしたが、出典は不明です
房総の伝説の研究者による出典が望まれるので、「房総の伝説(1976年刊)」という本を注文していましたが、本日到着しました

2025年1月5日日曜日

今日の筑波山はつつじヶ丘から

幸子さん 女体山にて

幸子さんの冬休みは1月6日までなのであと二日あります
最終日の1月6日は残念ながら本格的な雨模様との予報になっています
つまりアウトドアで遊ぶとしたら1月5日・・・すなわち今日しかないようです
それで2日連続になりますが筑波山方面へ行くことにして6時42分に出発しました

今日のコースは「つつじヶ丘」から女体山を往復するというもの
2日前の1月3日は関東地方は冷たい雨でしたが、これが筑波山では雪になっていることだろうと想像していました

2025年1月4日土曜日

九ヶ月ぶりの宝篋山は無風、冬晴れ

鍋焼きうどんで楽しんだ宝篋山の山頂

房総の山が続いたので筑波山に隣接する宝篋山へ向かいました 前回、宝篋山を訪れたのは2024年3月27日ですからほぼ九ヶ月ぶりになります
Googleのタイムラインを見ると自宅を出発したのは7時43分

昨日は雨模様だったので国道408号線は路面が濡れており、それが早朝の冷え込みで凍結していました 牛久市内を通過した時に鈴木ジムニーが横転していました

途中で朝食の弁当を買って食べ、宝篋山の登山口となる小田休憩所到着は9時47分ですから2時間で到着しました

気温は低いのですが、快晴で風もほとんどないのでシャツ一枚で登っていると汗もかかず快適です 一方ですれ違うハイカーのほとんどが厚着しており汗びっしょりになっているのが笑えます

2025年1月1日水曜日

元旦の山歩きは高宕観音

石射太郎の肩から東京湾をはさんで望む富士山

房総の山奥、しかも車道も通じておらず徒歩でしかたどり着けない本当の山奥
そこに源頼朝ゆかりの観音堂があります
今年、最初の山歩きの場所としてこの高宕観音堂を選びました

8時に自宅を出発して長女の家に庭の柚子を届け、最寄りのインターチェンジから高速道路経由で高宕観音へのアプローチとなる「石射太郎」登山口に到着し、登り始めたのは10時でした
いったん石射太郎まで登るとそこから高宕観音までは気持ちの良い稜線を歩きます この稜線はほとんどアップダウンがありません しかも落葉樹が多いので日差しが射し込んで冬の低山としてはすこぶる都合の良い稜線歩きになっています

2024年12月30日月曜日

伊予ヶ岳の周回コース

伊予ヶ岳の南峰

昨日、水仙ピーク~嵯峨山を終えて、右足首関節の調子を注意深く観察したことは言うまでもありません
時間をかけて用心しながら登りましたから、この程度の負荷なら関節自体に大きな痛みは発生しません
ただし、一夜明けて翌朝になるといつもの通り血行が悪いことが原因で痛みが走りますが、それも30分ほどの間だけです
調子が良いからと言って負荷を高めるのではなく、この状態をしばらく継続して筋力の補強を定着させることを優先することにしましょう

さて今日は伊予ヶ岳を選びました
房総では珍しく岩場が露出した山で人気がありますので、大賑わいでした
たどったコースは主峰ともいえる南峰から北峰を経て北面から東面へ回り込んで周回するものでした

2024年12月29日日曜日

房総半島の山 水仙ピークと嵯峨山

鋸山の右側に107km先の富士山を望む

1981年一ノ倉沢烏帽子沢奥壁ダイレクト
2015年一ノ倉沢衝立岩雲稜第二ルート
そして昨年2023年のエルキャピタン
同じ右足首関節を骨折すること三度です
2015年の骨折は特にひどく、手術すること三回に及び、人工関節を薦められました
まったくどうしようもない大馬鹿者ですな
10月から再び痛み始めた右関節は12月になっても収まらず、年末になってようやく普通に歩けるようになりました
これに気を良くして無理をするとひどい目に合うことは学習していますので、今回は用心してリハビリを開始することにします

それで、まずは幸子さんと房総の山へ
選んだのは下貫沢~水仙ピーク~嵯峨山~釜の台~下貫沢
この季節は水仙が咲き乱れる楽園になるコースです

2024年12月25日水曜日

長女が用意してくれた最高のクリスマスパーティー


生後十ケ月の乳児を抱えて奮闘している長女がクリスマスパーティーをしたいから来てくれとお招きいただきました

長女の調理の腕前は高く、以前にも驚いたことがあります
幸子さんや私にとって最高にうれしいのは孫の相手をすることなので、これだけの料理を用意する苦労をおもんばかってしまいます

12時過ぎに素直ガイドと幸子さんと私の三人で長女の家まで行きました
我が家から信号が三つ 7分で到着します

2024年12月24日火曜日

クリスマス(キリストのミサ)


カトリック幼児洗礼の私はクリスマスの夜半のミサに与っていると幼い頃のことが思い出されます
それは生まれ故郷の大分県中津市のドンボスコや古城教会だったりします
幼い私は祖母や叔母、叔父、父、母に連れられてミサに与っていたのです

今年は幸子さんと16時のミサに与りました
クリスマスとはそもそもキリストのミサという意味で全世界のカトリック信者がミサに与ります フランスとは8時間の時差がありますがカトリック西千葉教会で洗礼を受けた南フランスの孫たちも同じように8時間後にはノエル(フランス語でクリスマスの意味)のミサに与ることでしょう

2024年12月22日日曜日

ほころび始めた蝋梅


強い冬型の気圧配置になって山は警報級の大荒れらしい
今年は大雪でサンタさんもやってこれないかもしれないと素直ガイドが言うほどだ
土日に川上村に行って男山ダイレクトを登ろうとしてしていた素直ガイドは激しい降雪に見舞われて雪景色に一変したという
夜の気温は-10℃で、最高気温も‐1.5℃だったようだ
ところが不思議なもので四街道は土曜の夜から日曜日の明け方までの最低気温が5.7℃と高かった 夜間は曇り空だったので放射冷却がなかったからだろう

2024年12月20日金曜日

恒例 甚兵衛蕎麦で忘年会


1年を迎えたことを実感する甚兵衛蕎麦での忘年会
今年も岩崎と大木さんに会いに行くために宗吾霊堂前の甚兵衛蕎麦へ行きました
アルコールが入るので幸子さんに休暇をとってもらい車で送迎してもらうのは毎年のことです
なぜ、大木さんに会いに行くのでしょうか?
***********
・・・・1975年6月
当時立教大学山岳部員だった大木友康さんが北穂沢で1年間の休学を必要とする大けがを負いました

2024年12月15日日曜日

ガイド養成実技2の二日目

懸垂下降の結び目の通過

今年の冬、最も冷え込んだ朝をむかえました
四街道の観測上の気温は-2℃ですが、市街地から少し離れた我が家ではもう少し低い気温だったのではないかと思います
昨年のヨセミテ・エルキャピタンでの右足首骨折の予後が悪く、ベッドから洗面所へ歩くのもつらい状態です
やりたい放題で皆さまへ御迷惑をかけてきた天罰ですな
パライソから土橋さんや木内さんが笑いながら見ていることでしょう

さて、ガイド養成実技2の二日目です
実施した主な項目は次の通りです

2024年12月14日土曜日

ガイド養成委員会実技2 レスキュー

最小限のギアで構築されたオートブロックシステムによる引き上げ

都岳連ガイド養成の実技2の初日が今日、印西クラックで実施されました
実技2はレスキューとショートロープが大きなテーマです
都岳連ガイド養成レスキューで講習する技術は通常の山岳クライミング、アルパインクライミング、ビッグウォールクライミングでも使用されることはほとんどないものばかりです
ですから市販の技術書やネットを検索しても該当は表示されませんので、ガイド養成参加者にとっては大きな喜びでもありますが、実技での説明は一回限りとなりますので反面真剣勝負の場となります

予習と復習が前提となっているガイド養成ですが事前準備をしている参加者とそうでない参加者がいるのも事実です
プロガイド養成委員はニコニコしながら穏やかな口調で説明していますが内容は極めて辛辣です

2024年12月10日火曜日

柚子も黄色くなった師走の火曜日


冬型の気圧配置になって朝の気温が0℃となる日が続いています
連日のように車のフロントガラスが凍りついています
私の風邪はほぼ全快し右足首の痛みも和らいで日常生活に戻りつつあります

ところが昨日、仕事を終えた幸子さんが帰宅するなり
「風邪ひいた~」と言ってソファーにどさっと倒れ込んでしまいました
16時半過ぎでした
それでいち早く夕食にしようと近くのスーパーマーケットに寿司を買いに行って素直ガイドを含めて3人で食べました
食べ終わったのは18時で幸子さんはそのまま就寝しました
それからは素直ガイドと明日の講習会のマニュアルを作成しプリントアウト 更に土日のガイド養成の相談をして私も就寝しました

そして今朝

2024年12月8日日曜日

クリスマス気分で盛り上がる世間ですが・・・


今日はカトリックの教会歴では待降節第二主日です

長引いている風邪はようやく収まりつつあるのですが、昨年のヨセミテエルキャピタンで負った右足のくるぶしの骨折の具合が良くありません
この右足のくるぶし骨折は同じ個所を3回に渡って骨折しているので、もうどうしようもありません

五日ほど前には痛みが激しくトイレまで歩いていくことができないような状態でした
ヨセミテメディカルクリニックで用意してもらった松葉杖
戒めとしてこの松葉杖はギアラックに飾っているのですが、これを引っ張り出してトイレに行くような状態でした
今日になってだいぶ痛みもやわらぎ松葉杖なしで歩けるようになったのでカトリック西千葉教会のミサに与りに行きました
カトリック西千葉教会から帰宅すると幸子さんが美味しい昼食を用意してくれていて、それを食べてからのんびりしました

2024年12月4日水曜日

木内さんの命日は体調不良

東壁ルンゼにて

今日は2007年に亡くなった木内さんの命日です

孫たちが去って、火の消えたような我が家
素直ガイドは一昨日から谷川岳に入っているし、幸子さんは仕事
私はだだっ広い家に一人で伏しています
というのも11月25日から風邪をひいて調子が悪かったところへ日テレ取材で筑波山へ行ったからでしょう
廣川さんから「とある報告書」のコメントを要請され、それをまとめるのが精一杯でした
かなり重症なのでもう数日かかりそうです
全快したら、また筑波山へ行きたいものです 許されるのであれば上田さんや宮崎さんたちと夜間に登って関東平野の夜景を見下ろすことのできる素敵なテラスでビバーク出来たら最高かも

2024年12月1日日曜日

日テレの取材と孫の離日


一時帰国していた孫が離日する日がとうとうやってきた
とてもしょんぼりすることには変わりはないのだけれど、2022年2月に渡仏した時とは状況は変わっていた
あの時は母親である次女にとっても未知の世界への旅立ちだったから、送り出す私たち家族も感傷的な気分を超えた不安というものがあった
あれから2年半が経過し、孫たちにも友達ができて、夫の仕事も順調でベンツがあり、次女もフランス語の国家資格の最上位を取得し現地の会社で最優秀社員表彰を受けるなど生活基盤が確立している
そして孫娘も待っている

日テレの取材があるので私は孫がまだぐっすりと眠っている6時10分に筑波山へ向かって出発した
紅葉の真っ盛りをむかえた筑波山での日テレ取材は順調に進んだが、少々誤算だったのが順番待ちのロスタイムだった 女体山を往復するだけで1時間以上、下山のケーブルカーが50分 合計2時間あまり行列に並ばなければならなかった
取材クルーとつくば駅で解散したのは18時半
放送は明朝だというから、これから新橋の日テレタワーに戻って徹夜で編集作業などをするのだろう 頭が下がる思いだ

私は素直ガイドに連絡を入れた
一旦、四街道に帰宅する余裕はないので直接羽田に向かうと
素直ガイドは羽田まで孫たちを乗せて出発しようとしている直前だったと思う