2016年12月29日木曜日

私の大切な人々に贈るアヴェ・マリア




息子の風邪で出発を延期した我が家の冬山合宿だけれども、今度は私が風邪をひいてしまった

少しだるいが今日は自宅で大掃除のまねごとをして過ごした
それでも、山へはいつでも出発できるように準備だけは行った

昨日、花島の墓に参ったことがきっかけになったのかもしれないが、今年亡くなった人たちのことを考えた
私には祈ることしかできないが、私を含めて残された人々の心の平安を願う
そんな願いをアヴェ・マリアに託したい

2016年12月28日水曜日

花島秀雄の墓に参る 冬山合宿は息子の風邪で延期


17才の花島秀雄が乗るホンダCB500が県道64号でトラックと正面衝突したのは1972年12月28日のことだったと記憶している
四街道小学校の同級生で佐倉高校へ進学した者は何人かいた
砂田もそうだし、腐れ縁の藤森や俵もそうだ
その中の一人が花島だった
当時、砂田と私は山岳部の部活動にのめり込んでいて、同じように花島と俵は体操部の部活動に打ち込んでいた

事故の当日はすでに冬休みに入っていたが、体操部の練習が佐倉高校の体育館で実施されるので、花島はそれに向かってCB500を走らせていたのである

2016年12月27日火曜日

2016年登り納めの印西

どっかぶりの右壁に挑む妻

南風が吹き込んで異常な高温となった関東地方
千葉市内の最高気温は19.8℃
フェイスブックへの山本ガイドの投稿では赤岳鉱泉で雨模様だという
午後になってから気温は急降下し夜半には6.3度となった
高山では雪が融け、それが再凍結してベルグラになったかもしれない・・・などと思う

今夜の印西の開始時間は17時
時短勤務の私でも17時に印西の松山下公園総合体育館に入るのは不可能
四街道駅に16時31分に到着し、迎えに来てくれた妻とともにそのまま印西へ直行
松山下公園総合体育館には17時15分に到着
体育館に入ってみるとすでに砂田が登っていた

2016年12月25日日曜日

冬山合宿の準備をしつつ習志野から印西への「はしご酒」ならぬ「はしごクライミング」

インナーグローブとテムレスの組み合わせでも5.10くらいなら問題ない

暖かい日が続いた

FBでの記述をみると八ヶ岳でさえも氷が緩んだようだ
一方で私は今日も「我が家の冬山合宿」の準備に追われた
行者小屋ベースキャンプなので暖房を兼ねてゆったりとガソリンストーブを使うことを前提に準備
ありがたいのは厳冬期でも行者小屋の水場が枯れないということだ
少なくとも雪を溶かして水を確保する必要がない
今年の我が家の冬山合宿は入下山に二日、行動日に二日、予備日に二日という5泊6日で準備を進めているが食料計画を含めて準備はまだ十分ではない
日本山岳会の講師として北アルプスへ行っている息子が帰宅してから詳細を検討しようと思う

さて、今日のこと
梶山さんが個人利用で習志野市東部体育館を予約し、それに誘ってもらっている
個人利用なので貸し切り状態にほぼ近く、他のクライマーに迷惑をかけない範囲内で比較的自由に登ることができる
妻にA2の人工登攀を教え、私はテムレスを使って5.10aを登ってみたが、まったくと言っていいほど問題なし

17時に習志野をあとにして印西へと向かった

2016年12月24日土曜日

13名がつどったクリスマスイブの習志野



21日深夜、正確に言うと22日の未明
1時頃に急に嘔吐感があって目が覚めた
それからは苦しくて明るくなるまでベッドの上で悶えていた
7時の段階では休暇をとろうとほぼ決めていたが、三連休を控えて私が休むと何が起こるのかを想像する一方で、三連休に休息すれば体調も復活するだろうと思い、オフィスへ向かうことにした
午前中からすでに椅子に座っているのも苦痛という状況で、午後からはますます状況は悪化
14時30分たまりかねて早退せざるを得なかった 16時半に帰宅し、そのままベッドに倒れこんだ
その夜は印西クライミングが計画されていたが、それどころではない
背中全体がバリバリときしむような筋肉痛で腰も痛い 翌23日も背中を丸めるようにしてベッドの上で悶え苦しんだ
食欲は全くと言っていいほどなく、かろうじて喉を通ったのは柿とミカンとアイスクリームだけ

そして症状が幾分緩和し始めたのは今朝のことだ
食欲ももどり背中全体の筋肉痛も消えた

体調が良くなったので妻に手伝ってもらいながら年末年始の我が家の冬山合宿の準備を始めた
ダンロップのV6を張って外張りとの相性をチェックし、幕営&生活装備をチェック
それからクライミングギアを整理
個人装備と食料を除いて、ほぼ見通しがついた
17時からカトリック西千葉教会での降誕祭夜半ミサにあずかり、母を自宅へ送りとどけてすぐさま習志野市東部体育館クライミングウォールへ向かった

生まれ故郷の教会を思い出しながらあずかったカトリック西千葉教会での降誕祭の夜半のミサ


私の生まれ故郷は大分県中津市賀来という名の小さな集落である
いわゆる戦前には賀来から最も近いカトリック教会は中津教会だった
それゆえ私の祖母は幼い子供たちの手をひきながら8kmの道を歩いて中津教会のミサにあずかっていたという 幼い子供たちとは伯母たちであり父である
戦後、賀来から3kmほどのところにドンボスコ学園が設立されてからは、その聖堂でミサをあずかるようになり、父と母の結婚式のミサもドンボスコで行われた 曹洞宗だった母がカトリック教理を学び、洗礼を受けたのもドンボスコである
だから私もドンボスコで幼児洗礼を受け、妹たちも同じようにドンボスコで幼児洗礼を受けた
戦後の祖母の心を支えてくれたのはドンボスコのカールデンライトネル神父であり、現在の私の四街道の自宅で行われた祖母の葬儀ミサの司祭は当時足立教会にいらしたカールデンライトネル神父が行ってくれた

今年の降誕祭夜半のミサはカトリック西千葉教会の17時のミサにあずかることにした
例年だと20時からのミサにあずかることが普通だけれど、今年はそもそも休日であり19時から21時の習志野東部体育館でのクライミングになんとか間に合わせたかったからである

2016年12月20日火曜日

最高気温15℃のぽかぽか陽気 夜は習志野

H壁の赤四角が廃止され、代わりに白バーが設定された


昨夜は現役時代の職場の仲間と反省会という名の忘年会が品川で行われた
当時お世話になった女性社員4名と同期入社の千葉さんと私の6人
昔話に花が咲き、楽しいひと時を過ごした
千葉さんの企画でクリスマスプレゼントの交換というのがあって、それぞれが用意してあったプレゼントをクジで相互に贈りあった
私は千葉さんからのプレゼントを受け取ることができた
そう、千葉さん自作の切子のグラスである
一方で私からのプレゼントであるモンベルのトレッキングソックスは私の娘達よりも若いAさんの手に渡った
素敵なレディーに囲まれていたので、節度ある飲酒でおさまった

そして今日
二日酔いもなく爽快な朝を迎えた
朝の気温は4℃
JR幕張駅から2kmを歩いて出勤したが右足の調子も良い
帰りも同じように歩き家路についた

夜になって、いつもの通り妻と習志野へ行く
息子は日本山岳会の行事準備があるらしく不参加と告げてきた

2016年12月18日日曜日

気温7度が暖かく感じる印西の夜にビレイディバイスを考える

前傾壁でロープをクリップする妻


午前中は昨日の八ヶ岳で使用したギア類の整備をして、妻は衣類を洗濯
テントを干し、テントマットの補修などをして過ごした

午後から新しくしたパソコンのソフトウェアのセットアップ
SSDのパソコンは起動が抜群に早く快適
電源を入れてからWindows10のログイン画面にはいるまで35秒
さらにOSが完全に立ちあがってSSDアクセスインジケーターが完全に消灯するまで34秒
高速スタートアップを無効にしていてこの速さ
感動ものである

夕方になったので妻と印西へ出発
18時45分に松山下公園総合体育館に到着
ちょうど岩崎も到着したところで三人で体育館へ入った

2016年12月17日土曜日

アイスクライミング 重田さんとばったり

下山の時に初めて太陽の光を浴びることができた


昨年は大怪我をしたので昨シーズンはアイスクライミングには行っていない

「久しぶりにアイスクライミングへ行こうじゃないか」ということで日帰りで八ヶ岳赤岳鉱泉にあるアイスキャンディーに行ってきた
アイスキャンディーは、シーズン初めにムーブを確認するには最適のゲレンデである

さて、アイスクライミングへ行くためにまず必要なのはスタッドレスタイヤへの交換だ
昨日は17時に帰宅し、息子に手伝ってもらいタイヤ交換を行った
ヘッドランプを点けて作業を進めたが、ほとんどの作業は息子がやってくれた
タイヤ交換は1時間で完了
それからクランポンのモノポイント交換やアックスのドライピックからアイスピックへの交換などをあわただしく行って19時半に自宅を出発

息子に運転してもらい、私は助手席で晩酌モード、妻は後部座席で就寝
22時半に「道の駅小淵沢」へ到着

2016年12月13日火曜日

休暇をとって古賀志 夜、帰宅してみるともぬけの殻

はりつくシーマ君5.11cをレッドポイントする砂田


印西でクライミングをしているメンバー9名を砂田が募って外岩を企画してくれた
当初の予定では湯河原幕岩だったが、関東南部ほど天候が悪いとの予報だったので、古賀志に変更して実施された
古賀志でクライミングをするのは20年ぶりくらいになる
土日なら谷川さんが管理人のようにしてお堂の前にいるのだろうが、あいにく今日はいない

案じられた天候はまずまずで日差しもあって暖かく楽しく登ることができた
ウィークデイなので私たちの他には地元クライマーが3人だけで、自由にゆっくりと登ることができた

2016年12月11日日曜日

印西に大木さんをむかえて登る

大木さんは20年も第一線から遠ざかっていたにしては
スリムな体形を維持している


母と午前中はカトリック西千葉教会で待降節第三主日のミサにあずかった
小林神父様の説教の中で300年前のイタリア人司祭シドッチ神父の話があった
かの新井白石に尋問を受け、白石は『西洋紀聞』を記した
しかも、一昨年茗荷谷の切支丹屋敷跡地から人骨が発見され国立科学博物館の調査によりシドッチ神父の遺骨であると特定されたという

12時過ぎに帰宅
当初の予定では幕張総合高校のクライミングウォールへ行く予定だったが変更した
昨日手を付けた庭のケヤキの大木の枝の切り落としを完了しておいたほうが良いと判断したのである
高さ10mを超える大木の切り落としは困難、かつ危険を伴うが、高所作業はお手の物
切り落とした枝をそのままフォールさせると隣家の屋根に枝が接触する恐れがあるのでロープで吊っておろす方式を採用し、安全に作業を進めることができた
問題だったのは中心部の幹の先端部の切断 これも手法を慎重に考えてクリア
意外なところでガイドとしてのレスキューテクニックが威力を発揮したものだ
日没まで作業は続き17時に終了

お茶を飲んで、柿などを食べて一服し、息子の運転で妻を伴い印西へ向かった

2016年12月10日土曜日

運命のいたずら 大木さんとの再会 新PCのセットアップ

左から
砂田、岩崎、大木さん


忘年会という名のお食事会の朝は快晴である
出発する前に、息子に手伝ってもらいハーネスを装着してロープを結び庭のケヤキの枝を落とした
アクロバティックな動作は人工登攀のA2に相当していた
10時25分に妻とともに自宅を出発し勝田台で砂田をピックアップ
ついで印西の岩崎宅へ向かった
先月、自宅を建て替えたばかりの岩崎邸へ立ち寄るのは初めてである
安食の金田屋に到着したのは11時40分
ところが、今日は予約客で満席だという
さて、どうしよう・・・

で、とっさに頭に浮かんだのは甚兵衛そばである
甚兵衛そばとは言うまでもなく宗吾霊堂前にある大木さんの店だ
岩崎も砂田も異論なく、甚兵衛そばへ向かった
12時10分に甚兵衛そば到着

2016年12月6日火曜日

PCの買い替え 夜は習志野



夕方から冬型の気圧配置になって冷え込むと天気予報は告げている

一週間ほど前に自宅のノートPCがいかれてしまって困ったが、思えば2011年の1月に購入したから6年近く使ったことになる
そろそろ買い替え時期ではあった
2年ほど前から会社ではSSD搭載機種を使い始めたが、一度SSDを使ってしまうととてもHDDには戻れない
BTO(Build to Order)PCが良かろうと思っていたところ、480GBのSSD搭載でメモリ8GBの手ごろな価格のノートPCがマウスコンピュータにある
オフィスはMSだと高いので、KingSoftのVBA対応版で構わない 送料税込みで64252円 安い! 注文した

夜は妻と習志野市東部体育館のクライミングウォールへ向かった

2016年12月4日日曜日

木内さんの命日 千葉岳連 忘年会 印西

京成船橋駅周辺にはディープな路地がある



今日は木内聡さんの命日
2007年のことだったから9年になる

今年は千葉岳連指導員総会と重なった
スポーツクライミングは盛んだが、いわゆる山登りに関しては千葉岳連は低調である
これが悩みの種か

総会がおわってから指導員研修会があり、今年はアライテントの福永さんが講師としておいでくださった
ヨシキスポーツによって現在入手できる主要テントを実際に張って見せてくれた
アライテント、エスパース、ダンロップ、ファイントラック、モンベル、MSR・・・・
テントも奥が深い

2016年12月3日土曜日

二子山インディアンサマー

大テラスでコーヒータイム

この日曜日は千葉県山岳連盟の指導員総会があるので、土曜日に日帰りでアイスクライミングに行きたかった
だが八ヶ岳でもまだ結氷はしていないようなのでアイスはあきらめた
とはいえ天気も良いという予報なのでどこかへ行きたい
そこで妻と息子の三人で二子山中央稜へ行くことにした
中央稜は過去8回登っていて、その内の四回を妻と登っているが、最終ピッチの6ピッチ目を除いていずれも引き上げシステム1/3を使って引き上げていた
インドアクライミングに本格的に取り組み始めて5.10aが登れるようになった妻がどこまで通用するだろうか
そして息子も最近、5.11aをオンサイトできる力をつけてきているので、今回は全ピッチ息子にリードしてもらうことにして二子山へ向かった

2016年11月27日日曜日

妻用ルートのセッティング

左から砂田、私、岩崎

岩崎は県民体育大会で傾斜を強めた左壁の傾斜を元にもどしてくれない
「岩崎よ、いつ戻してくれんだよ!」と問うても
「そのうちなー」とあてのない返事
岩崎が印西の壁を取り仕切っているわけで
「まぁ、しょうがねぇなぁ」という感じである

印西の壁で最も易しいとされているのが左壁のオレンジバー5.10b
妻をはじめとしてオレンジバーのレッドポイントを目標にして登っているメンバーはトップアウトすらできなくなってしまった
で、どうしようかと考えたが、ジャグホールドをつないだもっと易しいラインを新しく設定すれば良いのではないかと思った
それで午後からルート設定の準備をして、夕方になって妻と印西へ向かった
16時50分に印西到着

2016年11月26日土曜日

習志野は人影もまばらだったが、その理由は・・・


筑波山の筑紫湖から習志野市東部体育館まで71kmなので通常なら2時間で到着できる
15時前に出発できたから17時に間に合うかもしれないと思ったが甘かった
利根川を渡る栄橋を越えるのに30分、八千代市内に入ってからものろのろ運転が続き、結局体育館へ入ったのは17時40分 後片付けの時間を考慮すると1時間しか登ることができない時間だ
体育館へ入ってみると4人しかいない
どうしたことだろうか?

雪残る筑波山にて adidas→Sportiva Trango→Nepal


アウトランダーの修理が完了していないのでレンタカーを借りた
週末はいつものとおり筑波山へ登る予定だが、日曜日には天候が悪化するとの天気予報だったので土曜日の内に筑波山に登ることにした
朝8時にトヨタレンタカーへ
昨夜の内に申し込んでいたのでスムーズに借りることが出来た
8時20分に帰宅し、さっそく荷物を積み込んで妻と自宅を出た
積み込んだ荷物の中にはクライミングギアが入っている
17時から習志野体育館でのクライミングが予定されており、筑波山から直行しないと17時には間に合わないからである
息子は今日から後立山へ入る


2016年11月25日金曜日

息子と技術の確認などしながら秋の夜長を過ごす




今日は晴れた
日陰には雪が残っており、終日寒かった

美しい夕焼けがのぞまれた
帰宅してしばらくすると息子が大学から帰ってきた
レスキューテクニック、クライミングテクニック、あるいはクライミングギアの話をしながらひと時を過ごした
そんな時に、その話はどういう意味だったっけ?となることがあって、そのような時にはすぐにクライミングボードを設置してある部屋で実際に確認してみる
なるほど・・・そういうことだったのか・・・などと二人で納得することがある

2016年11月24日木曜日

アウトランダーの故障 11月の雪



まさかと思ったが11月なのに本格的な降雪となった
早朝は雨だったがやがて雪になった
雪は昼過ぎまで降り続いた

雪をかぶった筑波山を想った

さて、昨日は月に一度の千葉県フリークライミング協会練習日だったので9時過ぎに自宅を出て、幕張総合高校へ向かって海岸大通りを走っていた
稲毛海岸ヨットハーバーまで来たところで突然コンソールに警告インジケータが点滅
湯温が異常値を示している
路肩に車を止めクーラントのリザーブタンクを見ると空になっている

2016年11月20日日曜日

習志野コンペの復旧作業は今夜で一区切りつきました

妻のクライミング

今夜の習志野は17時スタート
筑波学園都市のショッピングモールで買い物をしていたら14時半になってしまった
16時までに帰宅できないと習志野17時は間に合わない
そこで筑波学園都市から習志野へ直行することにした

おかげさまで16時30分に習志野市東部体育館に到着
筑波山で汗まみれになったので、まずはシャワーを浴びた
そして新しい衣類に袖を通した
さっぱりして気持ちが良い

神秘的だった霧の筑波山


前日のうちに決めていた筑波山
息子は今週末から日大山岳部の初冬合宿にコーチとして後立山へ入山するので準備の為に専念するというので妻と二人で5時に自宅を出発した

前方の信号機すら見えないような霧で恐ろしいほどだった
路面は濡れており4WDモードで速度を緩めて慎重に車体をコントロールする
途中で「すき家」で、たまごかけご飯朝食250円を食べた
筑紫湖には6時47分に到着
支度を整えさっそ標高差800mにとりかかった

2016年11月19日土曜日

雨の土曜日 散髪 ヨシキスポーツ 習志野

床屋へ行ってすっきりした私の後姿

天気が良ければ筑波山へいく予定だったが、昨日の段階で雨模様ということがわかっていたので8時までゆっくり寝坊した おかげで疲れが取れた感じがしてすっきりした
雨の日は床屋が空いているので10時過ぎから床屋で散髪
そして息子とヨシキスポーツへ行った 社長に挨拶して通勤用の手袋を買い求めた
帰りがけに海浜幕張へ立ち寄って息子にグリーンアローのクライミングウォールを案内した

15時に帰宅し、写真の整理などをしながら相撲中継を見ていたら18時になった
息子の運転で習志野へ出発

2016年11月18日金曜日

習志野コンペの後始末と妻のトップアウト

トップアウトした瞬間

昨日に続いて晴れ渡った朝を迎えた
出勤時の気温は9度だったので、さらに紅葉が進むような肌寒さだった
ランニングは無理だけれどJR幕張駅から勤務先のオフィスまで2km強 これを時速6kmで歩けるようになった
帰宅時は気温が15度まで上昇していたので時速6kmで歩くと暑く感じるほどでワイシャツ姿になって腕まくりして電車にのった
JR千葉駅はここ10年近く工事中だったが、この週末に一部が完成するという
おそらく品川駅のようになるのだろうか
16時50分に帰宅できた

18時過ぎ、習志野コンペの後始末の為に息子の運転で妻と自宅を出発した
渋滞があって19時直前に習志野市東部体育館に到着

2016年11月17日木曜日

スーパームーンを三日過ぎた秋の夜長に印西で登る



久しぶりに青空が広がった 紅葉が秋空に映えていた
日中の気温も上昇し17度
今週いっぱい習志野コンペの後始末の予定が入っているが、今夜は印西クライミングの日でもある
少し迷ったが、妻は印西のつもりで準備しているようなので、印西へ向かってハンドルを切った

2016年11月16日水曜日

復旧が進む習志野の夜

今年の習志野コンペの象徴だったドーム状ホールドが撤去された


今夜も妻と息子と三人で習志野で復旧作業
昨日のブログにも書いたがとにかく易しいラインを設定しようと心がけた
その上で世界標準に適合した適正なグレーディング、つまり評価を行う

本日も昨夜に続いて垂壁であるA壁に取り組んだ
このA壁に5.5、5.6、5.7、5.8、5.9のルートを設定したい
このように設定できれば、まったくの初心者のステップアップの基準になるのではなかろうかという構想である

2016年11月15日火曜日

コンペの後始末 スポーツクライミングの裾野を広げる為に・・・


一昨日の習志野コンペでは既存のホールドの変更は最小限にとどめる形でルートセッティングが行われたようだが、トップロープの垂壁は一変してしまった
コンペで使われたルートを保存し、これを課題として再利用するというやり方もある
印西などは、そのような運用をしている
習志野の場合はあくまでもスポーツクライミングを一般市民に体験してもらうことを通じて、その裾野を広げることに重点が置かれているように思う
だからコンペのルートを保存するよりも一般市民が広くクライミングを楽しむことが出来るように、ルートを設定しなおす必要がある
習志野で求められいているのはコンペで使われたラインではなく、老若男女がすべからくステップアップできる環境設定、すなわちコンペの後始末である

2016年11月13日日曜日

習志野コンペ終了・・・

マジモードで選手をビレイする息子


親子三人で、3日間にわたってボランティアを行った習志野のコンペが先ほど終わった
地方の草コンペとはいいながらも21年目をむかえる本大会は優勝者の中から過去ワールドカップクラスの選手を輩出してきた大会でもある
2020年のオリンピック東京大会においても本日参加したジュニアメンバーの中から出場する子がいるかもしれない
クライミングは若年層の育成がオリンピックのメダル獲得を左右するという認識で関係者は一致していると思う

2016年11月12日土曜日

親子三人で9時から17時まで習志野コンペ設営



ジャパンカップなどで審判をしたことはあるが、審判以外にもルートセットや会場設営などさまざまな、ボランティアがあってクライミングコンペが成立していることを、しみじみと知った一日になった
昨夜の段階で、こまごまとした下準備が山のようにあることを知って、妻に加えて息子にも手伝ってもらうことにして朝7時に自宅を出発

2016年11月11日金曜日

習志野コンペ事前準備の夜


雨模様の朝を迎えた
出勤時には雨だけだったが幕張本郷に到着してみると雨に加えて風も強い
通勤時間帯のバスは勤務先の前に停まるのでさほど濡れずにすんだ
気温も低く終日10℃前後だったようだ
標高が1000m上がると6℃気温が下がるので標高2000mを超える山々では雪になったのではあるまいか

今週末は習志野のコンペなので今夜は事前準備の夜になる
18時に息子の運転で妻と三人で自宅を出発し18時40分に習志野市東部体育館に到着した