2015年7月12日日曜日

・・・手術・・・


今回の治療では三回の手術が予定されている
一回目は創外固定
二回目はメインの手術でプレートによる骨の固定
三回目はプレートの抜去

メインとなる二回目の手術が7月9日木曜日に行われた
手術後、痛みと発熱による苦しさでベッドの上で悶えていたが、術後四日目にしてようやく夜明けが来た
熱も下がり、痛みも和らいで、ぐっすりと睡眠をとることができ3時半に目がさめた
夜が明けてから窓辺へ近寄り、四日ぶりに外を見た
長いトンネルだった

このブログは私の日記だから手術から今日までのことを振り返って書きとめておこう



7月9日木曜日
手術は午後からと聞いていたが、10時ころから点滴を始めるそうで手術に備えた専用の衣類を手渡され着替えた
妻は仕事なので16時にならないと来ることができない
手術室が空かないので14時半すぎになりそうだと告げられた
そうこうしているとTさんがプロテインパウダーを持って見舞いにやってきた
Tさんは今週日曜日からシャモニへ行ってクライミングだという
シャモニというとさまざまな景色が思い出されるが私の場合はサンミッシェル教会前の広場だろう ガイド組合の事務所もここにある
青空に建つサンミッシェル教会を思い浮かべた



Tさんが帰ってから間もなくして手術のお呼びがかかった
時計を見ると15時30分
東棟2階の中央手術部のドアの前まで行くと大きな観音開きの自動ドアがバッと開いた
いよいよ始まるとの思いが強くなる
手術室へはさらにもう一つドアがあって、これはインターフォンで呼び出さないと開けてくれない
名前を告げるとドアが開いた
滑るようにしてストレッチャーは通路を進んでいく
手術室がいくつも並んでいて、その中の一つに私を載せたストレッチャーは滑り込んでいった
ストレッチャーから手術台へ移動し全裸になり、手足をバンドで固定される

天井をみると大きな照明装置が二機
左手にはCアーム
「このCアームで透視しながら手術を行うのですか?」と問うと
「そうです」とドクター
2009年の左脛骨螺旋骨折の手術の時には手術室にスコットランドの名曲「アニー・ローリー」が静かに流れていたのが強く印象にのこっているが、今回のオペ室には音楽はなかった
酸素マスクを口にあてがわれた
6月25日の一回目の手術の時には緊急だったこともあってあわただしく、麻酔で意識を失う境界線を認識することはできなかったが、今回は認識したいものだと考えていた
全身麻酔で意識を失う瞬間は、死の時に近いものがあるのではないかと思っていたからだ
「麻酔かけますよ」と麻酔医がチューブのバルブを開けた
目を開いてしっかりと意識を持ちながら天井の照明装置を見つめていた
スッと画面がフェードアウトされるように意識を失った
なるほど死の瞬間とはこんなものなのかもしれない

手術はおよそ5時間に及んだ
千葉市消防局の救急救命士の挿管実習が私の体を使って行われたし、麻酔の導入や覚醒などがあるから正味4時間ほどの手術だったのではないかと推測する
私が病室に戻ったのは20時半
意識が戻って激痛にさいなまれた
1982年の烏帽子ダイレクト左くるぶしの粉砕骨折は痛いことには痛かったが身をよじるほどではなかった
一方で1992年の凍傷や2009年の左脛骨の螺旋骨折は痛みにもだえ苦しんだ
今回はそれ以上の痛みを経験した
焼け火箸を押し当てるような痛みという表現があるけれど、まさにこの表現が当てはまるような強烈な痛み
妻の手を強く握りしめながら痛みをこらえようとするが、体は正直で、痛みのために震えが出て歯がガチガチと鳴る
座薬ではとても治まらない
点滴による鎮痛薬の投与により、ようやく体の震えが治まった

7月10日金曜日
全身が総力を挙げて手術で受けたダメージに耐え、リカバリーしようとしているのだろう
38度の熱がでる
意識はもうろうとして何かを考えることができない
朝食は通常の食事がでた
あまり食欲がわかなかったが残さず食べた
朝食を食べきったことが確認されたので輸液の点滴が打ち切られた
昼前に尿道へ差し込まれていたチューブがはずされ、車椅子を使ってのトイレを許される
手術の痛みは相変わらず激しく、午後になってから追加で鎮痛薬を投与してもらう
このような状況下においてもリハビリテーションが実施されたのには驚いた
理学療法士のSMGITさんはこの2週間のリハビリで私の筋力を十分に知っているので通常はとてもきつい運動を強いられるが、さすがに今日は簡単に終わらせてくれた
リハビリの内容はベッドの上で手術した右足の指に対する入念なマッサージを行い、指の動きの確認と運動、健康な左足の屈伸、さらに腹筋運動 最後に車椅子を使用してのトイレの往復の動作確認を行った
夕方になって薬剤師がベッドサイドまでやってきてくれた
「すでに鎮痛薬の投与限界に達しているので、様子を見に来たが、痛みが我慢できる範囲に収まって来たら、徐々に鎮痛薬の量を減らしていきたい」という
熱と痛みで苦しい一日だった

7月11日土曜日
夜は足の置き場が定まらず、よく眠れなかった
熱は下がっていないが、痛みはだいぶやわらいできた
10時の回診で術後、患部の点検を目的に初めて包帯をとった
何層にもあてがわれたガーゼはたっぷりと血を吸って、あるところは褐色に、またあるところは真っ赤に染まっていたが、すでに出血は止まっていた
Dr.SRGさんの説明によると今後の懸念点は二つ
1.腫れが強いので皮膚が引っ張られ、縫い口がふさがらない恐れがある
2.骨はプレートとビスで定位置に固定することができたが中には1cm四方程度に砕かれたものもあり、超音波治療によってもこれらの骨がつながらない可能性がある その場合は関節を固定することになる
午後、うとうとしていたら妻がやってきてくれた
AGS-Jの大先輩冨安さんからお見舞いの電話を頂戴したことを知らされた
やがて職場の新婚のT君と奥さん、大阪単身赴任中のK君が見舞いに来てくれた
一昨年5月にみんなで訪れた檜洞が思い出された
またみんなで上高地などに行ってみたいものだ
夜になって、また少し発熱した

そして
7月12日日曜日
ようやく安定期を迎えてほっとしたところだ
鎮痛剤の服用も自主的にやめた

久しぶりに車椅子で屋外に出てみた
蒸し暑い空気に夏の到来を肌で感じた




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