2016年12月29日木曜日

私の大切な人々に贈るアヴェ・マリア




息子の風邪で出発を延期した我が家の冬山合宿だけれども、今度は私が風邪をひいてしまった

少しだるいが今日は自宅で大掃除のまねごとをして過ごした
それでも、山へはいつでも出発できるように準備だけは行った

昨日、花島の墓に参ったことがきっかけになったのかもしれないが、今年亡くなった人たちのことを考えた
私には祈ることしかできないが、私を含めて残された人々の心の平安を願う
そんな願いをアヴェ・マリアに託したい

2016年12月28日水曜日

花島秀雄の墓に参る 冬山合宿は息子の風邪で延期


17才の花島秀雄が乗るホンダCB500が県道64号でトラックと正面衝突したのは1972年12月28日のことだったと記憶している
四街道小学校の同級生で佐倉高校へ進学した者は何人かいた
砂田もそうだし、腐れ縁の藤森や俵もそうだ
その中の一人が花島だった
当時、砂田と私は山岳部の部活動にのめり込んでいて、同じように花島と俵は体操部の部活動に打ち込んでいた

事故の当日はすでに冬休みに入っていたが、体操部の練習が佐倉高校の体育館で実施されるので、花島はそれに向かってCB500を走らせていたのである

2016年12月27日火曜日

2016年登り納めの印西

どっかぶりの右壁に挑む妻

南風が吹き込んで異常な高温となった関東地方
千葉市内の最高気温は19.8℃
フェイスブックへの山本ガイドの投稿では赤岳鉱泉で雨模様だという
午後になってから気温は急降下し夜半には6.3度となった
高山では雪が融け、それが再凍結してベルグラになったかもしれない・・・などと思う

今夜の印西の開始時間は17時
時短勤務の私でも17時に印西の松山下公園総合体育館に入るのは不可能
四街道駅に16時31分に到着し、迎えに来てくれた妻とともにそのまま印西へ直行
松山下公園総合体育館には17時15分に到着
体育館に入ってみるとすでに砂田が登っていた

2016年12月25日日曜日

冬山合宿の準備をしつつ習志野から印西への「はしご酒」ならぬ「はしごクライミング」

インナーグローブとテムレスの組み合わせでも5.10くらいなら問題ない

暖かい日が続いた

FBでの記述をみると八ヶ岳でさえも氷が緩んだようだ
一方で私は今日も「我が家の冬山合宿」の準備に追われた
行者小屋ベースキャンプなので暖房を兼ねてゆったりとガソリンストーブを使うことを前提に準備
ありがたいのは厳冬期でも行者小屋の水場が枯れないということだ
少なくとも雪を溶かして水を確保する必要がない
今年の我が家の冬山合宿は入下山に二日、行動日に二日、予備日に二日という5泊6日で準備を進めているが食料計画を含めて準備はまだ十分ではない
日本山岳会の講師として北アルプスへ行っている息子が帰宅してから詳細を検討しようと思う

さて、今日のこと
梶山さんが個人利用で習志野市東部体育館を予約し、それに誘ってもらっている
個人利用なので貸し切り状態にほぼ近く、他のクライマーに迷惑をかけない範囲内で比較的自由に登ることができる
妻にA2の人工登攀を教え、私はテムレスを使って5.10aを登ってみたが、まったくと言っていいほど問題なし

17時に習志野をあとにして印西へと向かった

2016年12月24日土曜日

13名がつどったクリスマスイブの習志野



21日深夜、正確に言うと22日の未明
1時頃に急に嘔吐感があって目が覚めた
それからは苦しくて明るくなるまでベッドの上で悶えていた
7時の段階では休暇をとろうとほぼ決めていたが、三連休を控えて私が休むと何が起こるのかを想像する一方で、三連休に休息すれば体調も復活するだろうと思い、オフィスへ向かうことにした
午前中からすでに椅子に座っているのも苦痛という状況で、午後からはますます状況は悪化
14時30分たまりかねて早退せざるを得なかった 16時半に帰宅し、そのままベッドに倒れこんだ
その夜は印西クライミングが計画されていたが、それどころではない
背中全体がバリバリときしむような筋肉痛で腰も痛い 翌23日も背中を丸めるようにしてベッドの上で悶え苦しんだ
食欲は全くと言っていいほどなく、かろうじて喉を通ったのは柿とミカンとアイスクリームだけ

そして症状が幾分緩和し始めたのは今朝のことだ
食欲ももどり背中全体の筋肉痛も消えた

体調が良くなったので妻に手伝ってもらいながら年末年始の我が家の冬山合宿の準備を始めた
ダンロップのV6を張って外張りとの相性をチェックし、幕営&生活装備をチェック
それからクライミングギアを整理
個人装備と食料を除いて、ほぼ見通しがついた
17時からカトリック西千葉教会での降誕祭夜半ミサにあずかり、母を自宅へ送りとどけてすぐさま習志野市東部体育館クライミングウォールへ向かった

生まれ故郷の教会を思い出しながらあずかったカトリック西千葉教会での降誕祭の夜半のミサ


私の生まれ故郷は大分県中津市賀来という名の小さな集落である
いわゆる戦前には賀来から最も近いカトリック教会は中津教会だった
それゆえ私の祖母は幼い子供たちの手をひきながら8kmの道を歩いて中津教会のミサにあずかっていたという 幼い子供たちとは伯母たちであり父である
戦後、賀来から3kmほどのところにドンボスコ学園が設立されてからは、その聖堂でミサをあずかるようになり、父と母の結婚式のミサもドンボスコで行われた 曹洞宗だった母がカトリック教理を学び、洗礼を受けたのもドンボスコである
だから私もドンボスコで幼児洗礼を受け、妹たちも同じようにドンボスコで幼児洗礼を受けた
戦後の祖母の心を支えてくれたのはドンボスコのカールデンライトネル神父であり、現在の私の四街道の自宅で行われた祖母の葬儀ミサの司祭は当時足立教会にいらしたカールデンライトネル神父が行ってくれた

今年の降誕祭夜半のミサはカトリック西千葉教会の17時のミサにあずかることにした
例年だと20時からのミサにあずかることが普通だけれど、今年はそもそも休日であり19時から21時の習志野東部体育館でのクライミングになんとか間に合わせたかったからである

2016年12月20日火曜日

最高気温15℃のぽかぽか陽気 夜は習志野

H壁の赤四角が廃止され、代わりに白バーが設定された


昨夜は現役時代の職場の仲間と反省会という名の忘年会が品川で行われた
当時お世話になった女性社員4名と同期入社の千葉さんと私の6人
昔話に花が咲き、楽しいひと時を過ごした
千葉さんの企画でクリスマスプレゼントの交換というのがあって、それぞれが用意してあったプレゼントをクジで相互に贈りあった
私は千葉さんからのプレゼントを受け取ることができた
そう、千葉さん自作の切子のグラスである
一方で私からのプレゼントであるモンベルのトレッキングソックスは私の娘達よりも若いAさんの手に渡った
素敵なレディーに囲まれていたので、節度ある飲酒でおさまった

そして今日
二日酔いもなく爽快な朝を迎えた
朝の気温は4℃
JR幕張駅から2kmを歩いて出勤したが右足の調子も良い
帰りも同じように歩き家路についた

夜になって、いつもの通り妻と習志野へ行く
息子は日本山岳会の行事準備があるらしく不参加と告げてきた

2016年12月18日日曜日

気温7度が暖かく感じる印西の夜にビレイディバイスを考える

前傾壁でロープをクリップする妻


午前中は昨日の八ヶ岳で使用したギア類の整備をして、妻は衣類を洗濯
テントを干し、テントマットの補修などをして過ごした

午後から新しくしたパソコンのソフトウェアのセットアップ
SSDのパソコンは起動が抜群に早く快適
電源を入れてからWindows10のログイン画面にはいるまで35秒
さらにOSが完全に立ちあがってSSDアクセスインジケーターが完全に消灯するまで34秒
高速スタートアップを無効にしていてこの速さ
感動ものである

夕方になったので妻と印西へ出発
18時45分に松山下公園総合体育館に到着
ちょうど岩崎も到着したところで三人で体育館へ入った

2016年12月17日土曜日

アイスクライミング 重田さんとばったり

下山の時に初めて太陽の光を浴びることができた


昨年は大怪我をしたので昨シーズンはアイスクライミングには行っていない

「久しぶりにアイスクライミングへ行こうじゃないか」ということで日帰りで八ヶ岳赤岳鉱泉にあるアイスキャンディーに行ってきた
アイスキャンディーは、シーズン初めにムーブを確認するには最適のゲレンデである

さて、アイスクライミングへ行くためにまず必要なのはスタッドレスタイヤへの交換だ
昨日は17時に帰宅し、息子に手伝ってもらいタイヤ交換を行った
ヘッドランプを点けて作業を進めたが、ほとんどの作業は息子がやってくれた
タイヤ交換は1時間で完了
それからクランポンのモノポイント交換やアックスのドライピックからアイスピックへの交換などをあわただしく行って19時半に自宅を出発

息子に運転してもらい、私は助手席で晩酌モード、妻は後部座席で就寝
22時半に「道の駅小淵沢」へ到着

2016年12月13日火曜日

休暇をとって古賀志 夜、帰宅してみるともぬけの殻

はりつくシーマ君5.11cをレッドポイントする砂田


印西でクライミングをしているメンバー9名を砂田が募って外岩を企画してくれた
当初の予定では湯河原幕岩だったが、関東南部ほど天候が悪いとの予報だったので、古賀志に変更して実施された
古賀志でクライミングをするのは20年ぶりくらいになる
土日なら谷川さんが管理人のようにしてお堂の前にいるのだろうが、あいにく今日はいない

案じられた天候はまずまずで日差しもあって暖かく楽しく登ることができた
ウィークデイなので私たちの他には地元クライマーが3人だけで、自由にゆっくりと登ることができた

2016年12月11日日曜日

印西に大木さんをむかえて登る

大木さんは20年も第一線から遠ざかっていたにしては
スリムな体形を維持している


母と午前中はカトリック西千葉教会で待降節第三主日のミサにあずかった
小林神父様の説教の中で300年前のイタリア人司祭シドッチ神父の話があった
かの新井白石に尋問を受け、白石は『西洋紀聞』を記した
しかも、一昨年茗荷谷の切支丹屋敷跡地から人骨が発見され国立科学博物館の調査によりシドッチ神父の遺骨であると特定されたという

12時過ぎに帰宅
当初の予定では幕張総合高校のクライミングウォールへ行く予定だったが変更した
昨日手を付けた庭のケヤキの大木の枝の切り落としを完了しておいたほうが良いと判断したのである
高さ10mを超える大木の切り落としは困難、かつ危険を伴うが、高所作業はお手の物
切り落とした枝をそのままフォールさせると隣家の屋根に枝が接触する恐れがあるのでロープで吊っておろす方式を採用し、安全に作業を進めることができた
問題だったのは中心部の幹の先端部の切断 これも手法を慎重に考えてクリア
意外なところでガイドとしてのレスキューテクニックが威力を発揮したものだ
日没まで作業は続き17時に終了

お茶を飲んで、柿などを食べて一服し、息子の運転で妻を伴い印西へ向かった

2016年12月10日土曜日

運命のいたずら 大木さんとの再会 新PCのセットアップ

左から
砂田、岩崎、大木さん


忘年会という名のお食事会の朝は快晴である
出発する前に、息子に手伝ってもらいハーネスを装着してロープを結び庭のケヤキの枝を落とした
アクロバティックな動作は人工登攀のA2に相当していた
10時25分に妻とともに自宅を出発し勝田台で砂田をピックアップ
ついで印西の岩崎宅へ向かった
先月、自宅を建て替えたばかりの岩崎邸へ立ち寄るのは初めてである
安食の金田屋に到着したのは11時40分
ところが、今日は予約客で満席だという
さて、どうしよう・・・

で、とっさに頭に浮かんだのは甚兵衛そばである
甚兵衛そばとは言うまでもなく宗吾霊堂前にある大木さんの店だ
岩崎も砂田も異論なく、甚兵衛そばへ向かった
12時10分に甚兵衛そば到着

2016年12月6日火曜日

PCの買い替え 夜は習志野



夕方から冬型の気圧配置になって冷え込むと天気予報は告げている

一週間ほど前に自宅のノートPCがいかれてしまって困ったが、思えば2011年の1月に購入したから6年近く使ったことになる
そろそろ買い替え時期ではあった
2年ほど前から会社ではSSD搭載機種を使い始めたが、一度SSDを使ってしまうととてもHDDには戻れない
BTO(Build to Order)PCが良かろうと思っていたところ、480GBのSSD搭載でメモリ8GBの手ごろな価格のノートPCがマウスコンピュータにある
オフィスはMSだと高いので、KingSoftのVBA対応版で構わない 送料税込みで64252円 安い! 注文した

夜は妻と習志野市東部体育館のクライミングウォールへ向かった

2016年12月4日日曜日

木内さんの命日 千葉岳連 忘年会 印西

京成船橋駅周辺にはディープな路地がある



今日は木内聡さんの命日
2007年のことだったから9年になる

今年は千葉岳連指導員総会と重なった
スポーツクライミングは盛んだが、いわゆる山登りに関しては千葉岳連は低調である
これが悩みの種か

総会がおわってから指導員研修会があり、今年はアライテントの福永さんが講師としておいでくださった
ヨシキスポーツによって現在入手できる主要テントを実際に張って見せてくれた
アライテント、エスパース、ダンロップ、ファイントラック、モンベル、MSR・・・・
テントも奥が深い

2016年12月3日土曜日

二子山インディアンサマー

大テラスでコーヒータイム

この日曜日は千葉県山岳連盟の指導員総会があるので、土曜日に日帰りでアイスクライミングに行きたかった
だが八ヶ岳でもまだ結氷はしていないようなのでアイスはあきらめた
とはいえ天気も良いという予報なのでどこかへ行きたい
そこで妻と息子の三人で二子山中央稜へ行くことにした
中央稜は過去8回登っていて、その内の四回を妻と登っているが、最終ピッチの6ピッチ目を除いていずれも引き上げシステム1/3を使って引き上げていた
インドアクライミングに本格的に取り組み始めて5.10aが登れるようになった妻がどこまで通用するだろうか
そして息子も最近、5.11aをオンサイトできる力をつけてきているので、今回は全ピッチ息子にリードしてもらうことにして二子山へ向かった

2016年11月27日日曜日

妻用ルートのセッティング

左から砂田、私、岩崎

岩崎は県民体育大会で傾斜を強めた左壁の傾斜を元にもどしてくれない
「岩崎よ、いつ戻してくれんだよ!」と問うても
「そのうちなー」とあてのない返事
岩崎が印西の壁を取り仕切っているわけで
「まぁ、しょうがねぇなぁ」という感じである

印西の壁で最も易しいとされているのが左壁のオレンジバー5.10b
妻をはじめとしてオレンジバーのレッドポイントを目標にして登っているメンバーはトップアウトすらできなくなってしまった
で、どうしようかと考えたが、ジャグホールドをつないだもっと易しいラインを新しく設定すれば良いのではないかと思った
それで午後からルート設定の準備をして、夕方になって妻と印西へ向かった
16時50分に印西到着

2016年11月26日土曜日

習志野は人影もまばらだったが、その理由は・・・


筑波山の筑紫湖から習志野市東部体育館まで71kmなので通常なら2時間で到着できる
15時前に出発できたから17時に間に合うかもしれないと思ったが甘かった
利根川を渡る栄橋を越えるのに30分、八千代市内に入ってからものろのろ運転が続き、結局体育館へ入ったのは17時40分 後片付けの時間を考慮すると1時間しか登ることができない時間だ
体育館へ入ってみると4人しかいない
どうしたことだろうか?

雪残る筑波山にて adidas→Sportiva Trango→Nepal


アウトランダーの修理が完了していないのでレンタカーを借りた
週末はいつものとおり筑波山へ登る予定だが、日曜日には天候が悪化するとの天気予報だったので土曜日の内に筑波山に登ることにした
朝8時にトヨタレンタカーへ
昨夜の内に申し込んでいたのでスムーズに借りることが出来た
8時20分に帰宅し、さっそく荷物を積み込んで妻と自宅を出た
積み込んだ荷物の中にはクライミングギアが入っている
17時から習志野体育館でのクライミングが予定されており、筑波山から直行しないと17時には間に合わないからである
息子は今日から後立山へ入る


2016年11月25日金曜日

息子と技術の確認などしながら秋の夜長を過ごす




今日は晴れた
日陰には雪が残っており、終日寒かった

美しい夕焼けがのぞまれた
帰宅してしばらくすると息子が大学から帰ってきた
レスキューテクニック、クライミングテクニック、あるいはクライミングギアの話をしながらひと時を過ごした
そんな時に、その話はどういう意味だったっけ?となることがあって、そのような時にはすぐにクライミングボードを設置してある部屋で実際に確認してみる
なるほど・・・そういうことだったのか・・・などと二人で納得することがある

2016年11月24日木曜日

アウトランダーの故障 11月の雪



まさかと思ったが11月なのに本格的な降雪となった
早朝は雨だったがやがて雪になった
雪は昼過ぎまで降り続いた

雪をかぶった筑波山を想った

さて、昨日は月に一度の千葉県フリークライミング協会練習日だったので9時過ぎに自宅を出て、幕張総合高校へ向かって海岸大通りを走っていた
稲毛海岸ヨットハーバーまで来たところで突然コンソールに警告インジケータが点滅
湯温が異常値を示している
路肩に車を止めクーラントのリザーブタンクを見ると空になっている

2016年11月20日日曜日

習志野コンペの復旧作業は今夜で一区切りつきました

妻のクライミング

今夜の習志野は17時スタート
筑波学園都市のショッピングモールで買い物をしていたら14時半になってしまった
16時までに帰宅できないと習志野17時は間に合わない
そこで筑波学園都市から習志野へ直行することにした

おかげさまで16時30分に習志野市東部体育館に到着
筑波山で汗まみれになったので、まずはシャワーを浴びた
そして新しい衣類に袖を通した
さっぱりして気持ちが良い

神秘的だった霧の筑波山


前日のうちに決めていた筑波山
息子は今週末から日大山岳部の初冬合宿にコーチとして後立山へ入山するので準備の為に専念するというので妻と二人で5時に自宅を出発した

前方の信号機すら見えないような霧で恐ろしいほどだった
路面は濡れており4WDモードで速度を緩めて慎重に車体をコントロールする
途中で「すき家」で、たまごかけご飯朝食250円を食べた
筑紫湖には6時47分に到着
支度を整えさっそ標高差800mにとりかかった

2016年11月19日土曜日

雨の土曜日 散髪 ヨシキスポーツ 習志野

床屋へ行ってすっきりした私の後姿

天気が良ければ筑波山へいく予定だったが、昨日の段階で雨模様ということがわかっていたので8時までゆっくり寝坊した おかげで疲れが取れた感じがしてすっきりした
雨の日は床屋が空いているので10時過ぎから床屋で散髪
そして息子とヨシキスポーツへ行った 社長に挨拶して通勤用の手袋を買い求めた
帰りがけに海浜幕張へ立ち寄って息子にグリーンアローのクライミングウォールを案内した

15時に帰宅し、写真の整理などをしながら相撲中継を見ていたら18時になった
息子の運転で習志野へ出発

2016年11月18日金曜日

習志野コンペの後始末と妻のトップアウト

トップアウトした瞬間

昨日に続いて晴れ渡った朝を迎えた
出勤時の気温は9度だったので、さらに紅葉が進むような肌寒さだった
ランニングは無理だけれどJR幕張駅から勤務先のオフィスまで2km強 これを時速6kmで歩けるようになった
帰宅時は気温が15度まで上昇していたので時速6kmで歩くと暑く感じるほどでワイシャツ姿になって腕まくりして電車にのった
JR千葉駅はここ10年近く工事中だったが、この週末に一部が完成するという
おそらく品川駅のようになるのだろうか
16時50分に帰宅できた

18時過ぎ、習志野コンペの後始末の為に息子の運転で妻と自宅を出発した
渋滞があって19時直前に習志野市東部体育館に到着

2016年11月17日木曜日

スーパームーンを三日過ぎた秋の夜長に印西で登る



久しぶりに青空が広がった 紅葉が秋空に映えていた
日中の気温も上昇し17度
今週いっぱい習志野コンペの後始末の予定が入っているが、今夜は印西クライミングの日でもある
少し迷ったが、妻は印西のつもりで準備しているようなので、印西へ向かってハンドルを切った

2016年11月16日水曜日

復旧が進む習志野の夜

今年の習志野コンペの象徴だったドーム状ホールドが撤去された


今夜も妻と息子と三人で習志野で復旧作業
昨日のブログにも書いたがとにかく易しいラインを設定しようと心がけた
その上で世界標準に適合した適正なグレーディング、つまり評価を行う

本日も昨夜に続いて垂壁であるA壁に取り組んだ
このA壁に5.5、5.6、5.7、5.8、5.9のルートを設定したい
このように設定できれば、まったくの初心者のステップアップの基準になるのではなかろうかという構想である

2016年11月15日火曜日

コンペの後始末 スポーツクライミングの裾野を広げる為に・・・


一昨日の習志野コンペでは既存のホールドの変更は最小限にとどめる形でルートセッティングが行われたようだが、トップロープの垂壁は一変してしまった
コンペで使われたルートを保存し、これを課題として再利用するというやり方もある
印西などは、そのような運用をしている
習志野の場合はあくまでもスポーツクライミングを一般市民に体験してもらうことを通じて、その裾野を広げることに重点が置かれているように思う
だからコンペのルートを保存するよりも一般市民が広くクライミングを楽しむことが出来るように、ルートを設定しなおす必要がある
習志野で求められいているのはコンペで使われたラインではなく、老若男女がすべからくステップアップできる環境設定、すなわちコンペの後始末である

2016年11月13日日曜日

習志野コンペ終了・・・

マジモードで選手をビレイする息子


親子三人で、3日間にわたってボランティアを行った習志野のコンペが先ほど終わった
地方の草コンペとはいいながらも21年目をむかえる本大会は優勝者の中から過去ワールドカップクラスの選手を輩出してきた大会でもある
2020年のオリンピック東京大会においても本日参加したジュニアメンバーの中から出場する子がいるかもしれない
クライミングは若年層の育成がオリンピックのメダル獲得を左右するという認識で関係者は一致していると思う

2016年11月12日土曜日

親子三人で9時から17時まで習志野コンペ設営



ジャパンカップなどで審判をしたことはあるが、審判以外にもルートセットや会場設営などさまざまな、ボランティアがあってクライミングコンペが成立していることを、しみじみと知った一日になった
昨夜の段階で、こまごまとした下準備が山のようにあることを知って、妻に加えて息子にも手伝ってもらうことにして朝7時に自宅を出発

2016年11月11日金曜日

習志野コンペ事前準備の夜


雨模様の朝を迎えた
出勤時には雨だけだったが幕張本郷に到着してみると雨に加えて風も強い
通勤時間帯のバスは勤務先の前に停まるのでさほど濡れずにすんだ
気温も低く終日10℃前後だったようだ
標高が1000m上がると6℃気温が下がるので標高2000mを超える山々では雪になったのではあるまいか

今週末は習志野のコンペなので今夜は事前準備の夜になる
18時に息子の運転で妻と三人で自宅を出発し18時40分に習志野市東部体育館に到着した

結婚記念日のプレゼント


先日11月1日の31年目の結婚記念日の妻へのプレゼントとして注文していたフォトアルバムが届いた
2011年に妻と行ったヨーロッパアルプス行の写真をピックアップして、ホームページに掲載した写真と文章をアレンジした
このように写真集してみると思い出が再びよみがえる

2016年11月8日火曜日

朝は気温5℃ 紅葉の始まりを感じ、夜は習志野で砂田と親子三人で登る


昨夜は上田さんから木内さんへの思い出をつづるメールがあって、少ししんみりした
来月12月4日はヒマラヤニスト木内聡さんの命日である
亡くなる一週間前に見舞いに行ったときに
「筑波山はふるさとの山 賀来さんと一緒に登ってビールをのみたい」
と言っていた
筑波山の山頂に近い岩場に腰掛けて静かに酒を飲みながら遠い夜景を眺めてみたいと時々空想することがある

さて本日
出勤の為に7時半に自宅を出る時の気温は5℃ これは霜が降りる寸前の気温だ
長袖のボタンダウンにソフトシェルジャケットを着てJR幕張駅から歩いていると最初は寒さを感じたがやがて体が温まってポカポカしてきた
ふと気がついたが通勤途上にあるイオンの前の街路樹も紅葉が始まっていた

今日は火曜日なので習志野の日である
いつものとおり妻と私は自宅から習志野へ向かい、息子は大学から直行した

2016年11月6日日曜日

三日月が美しい夜に親子三人で楽しんだ印西


小春日和の穏やかな秋晴れの日曜日だった
昨日、筑波山で買い求めたフクレみかんの皮を干す 陳皮としてS&Bの七味唐辛子に入れようと思った
その後、自宅ボードでいつものサーキットを行おうとしたがスタートホールドをつかんだ瞬間に「出来ない」と感じた
9月に行われた手術後、少し気が緩んで日本酒をがぶ飲みする夜が続き体重が3kg増加した
だましだまし登っているが4kgの減量が必要だったのに3kg増加したのだから最終目標値よりも7kgの差になる
今日からふんどしを締めなおそう!

さて、今夜の印西

2016年11月5日土曜日

今夜も魅せてくれました幸子さんのクライミング


筑波山から四街道の自宅へ戻ってみると剱岳から息子が帰宅していた
今回の早月尾根は冬の一歩手前だったという
早月尾根を登ったことのない私は
「早月小屋から剱岳本峰は見えるのか?」
と問うたところ
「冬の早月尾根で天候の良かったことは一度もないのでわからない」
との回答
夕方になったので親子三人で習志野へ向かった

筑波山の帰りに立ち寄った安食の割烹「金田屋」


松花堂弁当

一昨日木曜日の夜、クライミングを終えて駐車場へと歩きながら砂田がいう
「安食に日本料理の店があるんだけど、庶民的な値段で結構美味しい その店で岩崎と三人で忘年会やんねぇか?」
「へぇ・・・安食みたいな田舎にそんな店があるのかい 是非忘年会やろう お酒を飲まない女房に運転してもらえば、俺たちは酒がのめる」
で、その店が気になってネットで検索してみたところ創業1890年の老舗割烹「金田屋」ということがわかった
今日は土曜日なので、例のごとく筑波山を登ってから夜は習志野でクライミングのつもりで朝5時過ぎに自宅を出た
運転していて良いアイディアが浮かんだ
それは筑波山の帰りに「金田屋」へ立ち寄って昼食をとろうというものだ

2016年11月4日金曜日

小林広三さんの訃報


15時過ぎに千葉県フリークライミング協会の目次さんからのメールで小林さんの訃報を知った
一昨年の船橋で行われた忘年会で久しぶりに再会した
「賀来さんからすべては始まった」と小林さんはいう
確かにそうかもしれないが時代の流れでもあった
そして年明けに60歳以上のクライマーを対象にしたマスターズカップを企画しているから出場しないかとの誘いを受けた
相変わらずの熱血漢に再会してうれしさもひとしおだった

2016年11月3日木曜日

県民体育大会女子予選ルートをやってみる


「ならしの山の会創立50周年パーティー」から帰宅したのは15時半
妻にパーティーの一部始終を話す
話を聞き終わった妻は鏡の前で記念品のPAC-K2 Plus Ⅲを背負って具合を確認している
たぶん妻や息子のメインザックになるのだろう
こういう玄人好みのシンプルなザックが欲しいと思っていた私なので、たまには使わせてもらいたい
パーティーでの飲酒は最低限におさえたが車を運転するわけにはいかないので、妻に運転をお願いして18時10分に印西にむかって自宅を出発した

ならしの山の会創立50周年記念パーティー


千葉県山岳連盟最大手の「ならしの山の会」のパーティーに出席してきた
昔からの千葉岳連の古い仲間とも再会できるし、習志野市東部体育館クライミングウォールで毎週一緒に登っているメンバーも来るだろう
とても楽しみにしていた

2016年11月1日火曜日

31年目の結婚記念日を壁にぶら下がりながら迎えてしまった妻の人生 息子は剱岳早月尾根へ



冷たい雨が降る朝を迎えた
11月になったことを実感させられるような寒さだ
妻に四街道駅まで車で送ってもらった
四街道駅に到着して車を降りる時、今日が結婚記念日であることに言及しようかと思ったがうまい言葉が見つからなかった

雨は昼過ぎにはやんで日がさしこみはじめた
いつもの通り17時前に帰宅した
四街道駅からの帰宅途上で巨大なザックを背負って自転車で駅へと向かう息子とすれ違った
息子は今夜から一週間の予定で剱岳の早月尾根へ入る

2016年10月31日月曜日

新しいヘッドランプ



ここのところ数年ヘッドランプはブラックダイヤモンド社のストームを使っている
上ノ廊下などに行ったりする私の用途ではヘッドランプは完全防水(IPX7)であることが必須だけれど、一体型であることも重要なポイント
分離型は過去しばしば断線した 一体型は断線の恐れがない
また、私は4本組の単四電池を購入するが、このストームは単四電池が4本セットされるので、電池の管理も楽である
5年近く前に購入した第一世代ストームは100ルーメンで、使い方の荒い息子は昨年、第二世代ストーム160ルーメンに買い替えた
先日、息子と赴いた土橋さん捜索における北鎌尾根の夜間行動で、第一世代と第二世代の光量差を見せつけられた
点灯5時間後の照度は息子のストームの方が圧倒的に明るかった
日経ビジネス2008年10月27日号」の記事によれば光源のLEDはドッグイヤーで進化しているという

2016年10月30日日曜日

岩崎の家来となってがんばった千葉県民体育大会山岳競技

撤収作業中の砂田


朝8時集合なので7時に妻と自宅を出発
岩崎が競技委員長なので私も砂田も岩崎の家来という感じである
競技は10時スタート
参加選手は、小学校4年生から70歳近い人まで78名
小学生、中学生、高校生が強い
競技委員長の岩崎にあとで確認してみたいが予選のグレードは5.12のどこかで、決勝は5.13のどこかであろうか
地方の草コンペだけれども、男子決勝では完登者続出で参加者のレベルが高いことが実証されたが、ルートセッター泣かせの締めくくりとなった

2016年10月29日土曜日

筑波山から帰宅して少し休み親子三人で習志野


筑波山から帰宅してみると息子は剱岳早月尾根の準備中
「これからお母さんと習志野へ行くけど、行く?」
「行くよ」との返事
息子の運転で18時に四街道の自宅を出た

週に一度は山に登りたい 妻と落ち葉ふみしめる筑波山へ


毎日でも山歩きをしたいというのが本音だけれど、社会生活との両立を考慮すると週に一度というのが現実的かも知れません
しかも毎日スポーツクライミングしたいというのもあって体が幾つあっても足りない
で、一日の内に山歩きとスポーツクライミングが出来ると最高ということになります
その理想的なパターンが午前中に筑波山筑紫湖からの800mを登って夕方から印西や習志野でスポーツクライミングをするというものです
本日は、そんな幸せな一日となりました

2016年10月27日木曜日

一週間ぶりの印西で砂田、岩崎、妻と登る

45年一緒に登っている岩崎と砂田のクライミング


昨日は休暇をとってじっくり腰の養生をした
さて、今朝は勤務先のオフィスへの往復もJR幕張駅から徒歩で通勤できた 腰痛は若干改善されたようだ
それでも椅子から立ち上がるときに少なからぬ痛みがある
今夜、印西へ行くべきか少し迷った 妻は反対したが行くことにした

2016年10月25日火曜日

妻と息子は習志野へ 私はお留守番


今日は何とかオフィスまで行ったが腰が痛い
湯河原で最後にやったシャクシャインがダメ押ししたのかもしれないなぁ・・・
椅子から立ち上がるだけで一仕事
で、定時に帰宅したけれど「今夜の習志野は禁止!」と妻に宣告されました
習志野へ行くこと自体は出来そうでしたが、壁の前にいると登り始めてしまうでしょうからしかたがありません
おとなしく寝室へ向かいベッドに横になりました

2016年10月24日月曜日

私はぎっくり腰で湯河原幕岩 妻は筑波山 息子は授業!


福原さんと私の楽しい三日間のクライミングも今日が最終日
ところが・・・
朝、フロントからの朝食を知らせる電話を取ろうとしてぎっくり腰になってしまった
とほほのほ
クライミングは難しい状況だったが、場所を変えて湯河原幕岩へ向かった
岩場の下で寝転んで腰痛の収まるのを待ったが、なかなか良くならない 登っている最中は夢中になっているので痛みを感じず、無理をしてしまうのが良くない
帰りは福原さんに小田原駅まで送ってもらいグリーン車で家路についた 涼しい一日だった
一方、妻は筑波山で秋を堪能したという
息子は授業!

2016年10月23日日曜日

私は城ヶ崎海岸 妻は印西 息子は山研


城山の麓にある大仁温泉の一二三荘を宿舎にしているので今日は城ヶ崎海岸へ向かった
シーサイドのアプローチ部分が変更になったことはメディアで知っていたが実際に利用するのは初めてだった シーサイドは真夏のような陽気で暑くホールドが汗でヌメッて閉口した
途中で靴をインドアの前傾壁で多用しているパイソンからミウラーに変更したところフットホールドをとらえるのが楽になった
一方で妻は印西でクライミング
息子は上高地にある日本山岳会の山岳研究所へ
それぞれにクライミングと山を楽しんだ土曜日だったようだ

2016年10月22日土曜日

私は城山 妻は習志野 息子の小川山は錦秋


まずまずの天候となった10月下旬の週末
木曜日の夜から息子は小川山へ向かった
私は土曜日の始発電車に乗車し新幹線を乗り継いで城山へ向かった
9時に墓場の駐車場で福原さんと待ち合わせて今日から三日間クライミングがスタートした
蚊がうるさいほどに気温が高くスズメバチの巣の周辺には近寄ることが出来なかった
一方、妻は一人で習志野へ
それぞれにクライミングを楽しんだようだ

2016年10月20日木曜日

砂田・岩崎・私の三人が久しぶりにそろった印西の夜

妻のクライミング


10月にしては高温
まだ半袖のボタンダウンで通勤しているがJR幕張駅から勤務先までの2kmを早足で歩いたら汗びっしょりになった
午後になって少し気温が下がるかと思ったがさほどでもなかった

朝から喉が痛い
風邪をひいたのかも知れないなぁ・・・
そういえばふくらはぎがだるい

息子は日大山岳部の仲の良い同期のH君と小川山でクライミングをしたあと上高地の日本山岳会の山荘へ行くということで不在
17時に帰宅すると妻は印西クライミング・スタンバイ
ちょっとしんどいが日課の自宅ボードの課題をこなしてから印西へむかった

2016年10月18日火曜日

習志野の夜に前傾壁5.11aを一撃した息子 そして私の治療完了

5.11aを余裕で一撃する息子と5.10aを登る彼の母親

昨日は雨の中を御茶ノ水の日大病院へ行って診療を受けた
昨年の6月25日の緊急手術以来お世話になっている駿河医師が言う
「関節の変形が激しいのでいずれ人工関節への手術が必要になるかもしれないが今回の治療に関しては今日を最後にしましょう」
「一年数ヶ月の間、本当にありがとうございました」
「事故直後の手術前にCT画像を見て、これは二度と登山はできないなと思っていました 驚異的な回復だと思います 賀来さんの場合は人工関節のお世話にならずにこのまま行けるかも知れませんね」

そして今夜
私は一週間ぶりにクライミングをした

2016年10月16日日曜日

雪渓の消えた北鎌沢左俣の捜索



長野県警のヘリコプターが他の遭難者の捜索時に偶然土橋さんのザックを発見したのは昨年2015年9月28日のことだ
10月1日に一人で松本警察署母袋さんに面会して発見場所の詳細情報を伺うことができた
長野県警は位置を確定するために再度現場までヘリを飛ばし正確な位置情報を割り出していた
そして母袋さんは「人体はザックより重いので多くの場合遭難者は下にいる」という
これらの情報を共有すべく10月17日第七回栃木・茨城・千葉三県合同土橋敬司氏遭難対策本部会議が本部長の谷川さんにより召集された
ザックが発見された場所は関係者の間で意思疎通を図るために作成されたリファレンスマップにおけるJ沢の源頭部2470m付近
発見されたザックはウェストベルトのバックルが連結されたままで破断しており、ザックを残して土橋さんがさらに落下して行ったことを物語っていた
土橋さんが落下したと想定されるJ沢は急峻な地形を経て2145m付近で北鎌沢左俣に落ち込んでいる