2024年8月31日土曜日

停滞する台風10号



台風10号はいまだに時速15kmの低速で日本列島周辺をウロウロして大雨を降らせています
山へ行けない天候がまだ続くようです

幸子さんがいる時の食事は幸子さんが作ったり私が作ったり気ままに料理を楽しんでいますが、私は手の込んだ料理はできないのでサラダ中心のメニューになります

2024年8月29日木曜日

ガイド養成8期の募集は今日が締め切り 幸子さん帰宅


都岳連ガイド養成8期は今日が締め切り
申込者への案内やらマニュアルの改訂作業などうんざりするほどの仕事が山済みです
いつまで続くのかと思いますが、私には質の高いガイドを養成する責任があります
ベストをつくすほかありません

*****8期の応募要件は次の通りです*****
★共通
・山岳会や大学山岳部等で数年間にわたって後輩の指導育成の経験を有していること
・机上講習・実技研修のすべてに出席できること
・年齢が70歳未満であること

★トレックガイド(TGB)
・東京都山岳連盟加盟山岳会の会員又は都岳連個人会員であること
・直近10年間の山行日数300日以上の経験を有していること
・幕営山行(オートキャンプは含みません)50泊以上の経験を有していること
・懸垂下降、途中停止、登り返しを指導できること

★テクニカルトレックガイド(TGT)
トレックガイドの応募要件に加えて
・沢の中で1泊以上が必要な沢登り3本以上の経験を有していること
・一ノ倉沢、滝谷に類する岩場のルートグレード3級以上のクライミングルート5本以上の経験を有していること(ガイドに引率されたものは含みません)

★サミットガイド(SG)
・直近10年間の山行日数500日以上の経験を有していること
・幕営山行(オートキャンプは含みません)100泊以上の経験を有し、その内積雪期幕営が30泊以上ふくまれていること
・沢の中で1泊以上が必要な沢登りを5本以上の経験を有していること
・一ノ倉沢、滝谷に類する岩場のルートグレード3級以上のクライミングルート10本以上の経験を有し、そのうち冬期が3本以上含まれていること(ガイドに引率されたものは含みません)
・5.11以上の外岩でのレッドポイント3本以上の経験を有していること

★エキスパートガイド(EG)
・直近10年間の山行日数800日以上の経験を有していること
・幕営山行(オートキャンプは含みません)100泊以上の経験を有し、その内積雪期幕営が30泊以上ふくまれていること
・海外のビッグウォールクライミング又は国内における困難な積雪期ルートの経験を有していること ガイド同行の海外ツアー登山は含みません
・5.12以上の外岩レッドポイント又は初段以上の外岩ボルダー完登の経験を有していること
・20m以上のバーチカルアイスクライミングのリード経験を有していること
**********

2024年8月27日火曜日

都岳連事務所でリカバリー作業

左のガラス張りのビルはアース製薬本社ビル

8月5日のガイド認定式で交付したガイドライセンスカードですが不備がありました
これは毎度のことで、今年もハマったのかと思うと情けなくなる話です
ライセンスカードの情報はエクセルファイルで管理していますが、エクセルの日付データは1900年1月1日を起点としてシリアル値なので、それを考慮したオペレーションが必須です
ところが、それを忘れて処理したのでライセンスカード上の生年月日がシリアル値のままで発行されてしまったのです
それで、ライセンスカード再発行の為に都岳連事務所へ行きました
11時前に神田駅へ降り立つと先ほどまで雷雨だったようで道は雨で濡れていましたが、それが嘘のように夏空が広がっています

2024年8月23日金曜日

幸子さん不在の日々の暮らし


一昨日、庭の草刈りをしようとエンジン刈払い機を持ち出したのですが、エンジンがかかりません
この手のエンジンにはプライマリーポンプというものがあって、これにひびが入っているということはよくある話です
それでロイヤルホームセンターに行って部品を買おうとしたのですが、取り扱いはありません
帰宅してからネットでパーツを検索しアマゾンで発注しました

2024年8月19日月曜日

吾妻連峰 山形の山

名月荘にて

山形県と福島県にまたがる吾妻連峰を山登りの対象として知ったのは1972年でした
この年、山形インターハイが行われ千葉県代表として高校2年生の夏に大木さん、岩崎と一緒に参加したのです 「槇有恒」氏に初めて会ったのもこの時でした
大木さんの薫陶で岩と氷のクライミングの世界にのめり込んでしまった私が吾妻連峰を再び訪れたのは37年後の2009年でした きっかけは大怪我でした その年の正月山行で左足の脛骨を螺旋骨折した私はチタンパイプの入ったままでリハビリ山行として幸子さん、長女アッちゃん、次女トンちゃんの4人で6月に吾妻連峰を再訪したわけです
それから更に15年が経過した今年の夏に三度目の吾妻連峰を計画しました

さて計画では滑川温泉から前川大滝沢を遡行し、名月荘に一泊するというものでした
リーダーはもちろん素直ガイドで参加者のTさんパーティーに私がコバンザメという位置づけです

2024年8月16日金曜日

幸子さんが札幌へ帰省

成田空港第一ターミナル北ウィング

14時25分の飛行機で幸子さんが札幌へ帰省しました
台風7号による大雨・暴風警報が千葉県に発令されているさなかでしたから欠航となる可能性大でした
予定通りのフライトでしたが、新千歳空港から札幌までのバスが台風による間引き運転で次のバス迄3時間待ちで苦労したと連絡がありました

2024年8月12日月曜日

日航ジャンボ機墜落から39年

運輸安全委員会 (Japan Transport Safety Board), CC 表示 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=80616370による

1985年の夏
幸子さんとの結婚式を11月1日に控え、結婚式の衣装合わせなどの準備の為に幸子さんと札幌から帰省していました
私にとって結婚式は、これまで育ててくれた両親へのプレゼントという位置づけでしたから母の希望を尊重して場所を決めました
すなわち結婚式は「東京カテドラル聖マリア大聖堂」、披露宴は「椿山荘」でした
カトリック西千葉教会の主任司祭吉川神父様にお願いして申し込みをしました
「東京カテドラル聖マリア大聖堂」は若いカップルにとって憧れの結婚式場かと思いますが、土日祭日を除く平日の結婚式であればカトリック信者でなくても利用可能のようです

この年はつくば科学万博が開催されていました
筑波山の周辺はクライミングにとって岩質が良く、ルート開拓の対象として通っていましたから勝手知ったる地域でした
心細げな幸子さん それはそうでしょう 新しい家族、知らない土地でこれから暮らすかもしれないのですから 守ってあげられるのは私だけです
そんな幸子さんを連れてつくば万博に行っていました
そして帰りがけに岩崎の家に立ち寄りました

2024年8月11日日曜日

私をかえた遠藤周作


年間第19主日のミサ
平和旬間でしたからミサの中で武力行使による命や人権が奪われることに対して祈りを捧げました

キリシタンの流れを汲む祖母から受け継いできたカトリック教会でのミサも高校生になるころには世界史を学びカトリック教会が犯してきた数々の罪を知ってひところ教会に行かなかった時期がありました

それが変わったきっかけは妻である幸子さんでした

廻り目平で都岳連Zoom会議と朝練の効果は?


先々週に引き続いて小川山廻り目平で避暑を兼ねて滞在しました
現在の廻り目平は携帯電話の電波状態が非常に良く、オンライン会議も可能です
今回の滞在は8月7日から11日までの三泊四日ですが、初日の8月7日の夜に都岳連Zoom会議がありました 会議中は雷雨のさなかで雷鳴で音声が聞き取りにくいということはありましたが通信状態は良好でストレスのないオンライン会議が可能であることが確認されました
つまり、廻り目平に滞在しつつ仕事が出来るということです

今回の廻り目平滞在には単なる避暑ではなく幸子さんが2週間続けた朝練の効果を確認するという大きな目的がありました

2024年8月6日火曜日

カトリック豊四季教会 葬儀ミサ


葬儀ミサがカトリック豊四季教会で行われました
従兄弟の修ちゃんの奥様ジリオラ賀来伸子の葬儀ミサでした 伸子さんの葬儀ミサの案内は亨ちゃんから金曜日に受けました
久しぶりに従兄弟姉妹と会いました
修ちゃんは従兄弟の中で最年長で87歳になると言います

2024年8月5日月曜日

ガイド認定式の一日

都岳連会長の廣川さん

フランスではガイド資格は国家資格ですが、日本はそうではありません
各人が「私はガイドである」と宣言してガイド活動を行うことに対して法的規制はありません ですからガイド養成を複数の団体が実施していますが、公益法人としてガイド資格認定事業を行っているのは日本山岳ガイド協会だけでした
そのガイド資格認定事業に登山界最大の組織を持つ公益社団法人東京都山岳連盟が新規参入したのは8年前です
その都岳連の認定式が本日、千代田区にある都岳連事務所で行われました

長い一日を振り返ってみましょう

2024年8月4日日曜日

5時の気温23.7℃ 秋の空 ポジショニングバー

秋空が広がる大土手山山頂

素直ガイドは十日間の予定で剱立山方面へ昨日の朝6時に出発して行きました
主目的は日大山岳部ヘッドコーチとして夏山合宿で学生たちに指導するためですが合宿の前後に現地、剱立山でガイドの仕事をいれています
ベースキャンプは雷鳥沢野営場で近くに温泉もあるし標高2277mで平地よりも13.6℃気温がひくいわけですから暑さ知らずで真夏の長期滞在には夢のような場所です
今日の四街道の最高気温は34.9℃でしたから雷鳥沢の最高気温は21.3℃前後だったでしょう

ここ千葉でも猛暑が続いています
しかしながら数日前から朝5時という早朝ではありますが涼しい風を感じるようになっています 今朝5時の四街道市の気温の観測値は23.7℃だったそうで、どうりで涼しいわけです
朝練で大土手山へ行くと秋の空が広がっていました

朝練が終わってシャワーを浴びて朝食を摂り、9時過ぎに幸子さんと買い物にいき、肉と冷やし中華のタレを買いました 駐車場にはテントが張られ「ウニ奉行」などと書かれています 三陸のイベントのようです ウニと言えば札幌時代に積丹まで幸子さんと「うに丼」を食べに行ったことが懐かしく思い出されます

山王病院近くの焼とうもろこしの店が今年は開店しません

2024年8月2日金曜日

ガイド認定式をひかえて


今日も5時から幸子さんとの朝練をしましたが、吹き抜ける風が涼しく感じました
いわゆる「小さい秋見つけた」というのはこのような瞬間を表現したのかもしれません
朝練を終えて帰宅しシャワーを浴びて朝食
それからNHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」を見ました
ここまでは毎日のルーティーンです

今日は三日後に控えているガイド認定式の準備作業を行うべく朝から都岳連事務所に向かいました
認定証やライセンスカードの発行準備に追われました
ふと気づくと16時50分

2024年8月1日木曜日

朝練、Neox、jRO、Zoom会議

左からNeox、グリグリPlus、グリグリ2、初代グリグリ

今日も盛りだくさんだったなぁ~

5時に起床して幸子さんと朝練
朝5時過ぎに玄関から外へ出るとムッとするような熱気を感じることが多かったが、今日はそれがありません 少し暑さも緩んだのかも
八日目に入って、だいぶ体が慣れてきたようで心拍数が120を切るようになったので少し負荷を強くして124まであげて汗びっしょり 大土手山の山頂からは遠く筑波山が見えました

お昼前に小包が到着
先日、佐藤秀有さんを偲ぶ会の帰りがけにPETZLの新しいビレイディバイスNeoxを買おうと津田沼のヨシキスポーツに立ち寄りましたが「Neox売り切れ、入荷時期未定」というような掲示があり諦めました

2024年7月28日日曜日

「佐藤秀有さんを偲ぶ会」をきっかけに千葉県のフリークライミング黎明期を振り返る


1970年代、ミーハークライマーの極みだった私たちは当時の基準で技術的に国内最難とされていた黒部の奥鐘山西壁正面壁を登ることを目標に活動していました
しかしながら私たちが奥鐘山に一区切りをつけた頃には、日本登攀界はすでにヨセミテから押し寄せたフリークライミングの津波をかぶっていました
私たちもフリークライミング対応に追われ、すでにフリークライミングのルート開拓に取り組み始めていた1982年に千葉岳連に加盟しました
その時の千葉岳連理事長が佐藤秀有さんでした  千葉岳連加盟団体の市川山岳会のミニヤコンカ遭難のあった年です

2024年7月27日土曜日

町内会の納涼祭


私の住んでいる四街道は明治以降陸軍の演習場として栄えた町でした
特に大日、鹿放ケ丘などでは畑に砲弾や鉛の玉がたくさん散らばっておりました
小学生の頃にはこれを拾って売り、小遣い稼ぎをしたものでした
ですから戦前までは人は住んでおらず、現在の住民は全て戦後になってから入植してきた人たちです
大分の賀来家や湯屋家が存在する地域のように千年の歴史をふまえた祭りと言ったものはありません
新しい住民がそれぞれに隣近所で助け合いながら町内会を形成し、各種行事を行っています
例えばゴミ収集や草むしり、下水溝の掃除や雪のあとには道路の雪かきなど・・・
我が家ではそれらの町内会の役割のほとんどを幸子さんが担ってくれています
そんな町内会の納涼祭が今日ありました

2024年7月25日木曜日

大土手山トレーニング


1988年のグランドジョラス北壁を登る時にも基礎体力を養成するために大土手山を走って登っていました
朝4時45分にアラームをセットして大土手山トレーニングを行いました
今回幸子さんに提案したのは毎朝5時10分から5時25分までの15分間に大土手山の階段を数往復するというものです

2024年7月24日水曜日

暑さから逃れて廻り目平へ


印西の利用認定会が終わってから21時まで岩崎、砂田、幸子さんとクライミングをしましたが、明日から避暑の為に廻り目平に行くという話をしたら砂田が俺も木曜日?から行くから、それまでずーと廻り目平に滞在してくれ・・・と言いますが、水曜日の夜にグループ・ド・モンターニュのオンライン定例会があるので無理です
パソコン用のAC電源があれば廻り目平から参加することもできたのですがDC12V→AC100V用コンバータを探したのですが探し出せませんでした

7月21日日曜日
汗だくになって準備をして10時半に自宅を出て、途中でスーパーマーケットに立ち寄って買い出しをして千葉北ICから高速道路へ乗りました
日曜日の真っ昼間の下り線はまったく渋滞がありませんが、逆に上り線は小仏トンネルを先頭にして交通集中による長い渋滞になっていました
中央道は双葉SAのETCゲートで一般道へ入り、あとはいつもの通り茅が岳広域農道を走って信州峠を越えて川上村に入りました

2024年7月20日土曜日

防御技術の重要性


朝6時28分の快速電車で素直ガイドは都岳連クライミングスクール2の講師として三ツ峠へ出発しました

一方で、幸子さんと私はイベントでした
このイベントはJMSCAのスポーツクライミングコーチや山岳ガイドでも不合格になるほどのハイレベルなものです
近年ボルダリングジムが各地にできて登るのは長けているけれどロープの結び方やビレイは不十分というクライマーが少なくありません
イベントは20時近くまでかかってしまいました

2024年7月18日木曜日

「孫の一時帰国準備」と「印西市立体育館大前傾壁」


南フランスのコートダジュールに暮らす2歳の孫娘と4歳の孫息子
2歳の孫娘は今年2月に一時帰国して一か月ほど滞在しました
4歳の孫息子は「次は僕の番だ」と楽しみに期待しているということで11月に一時帰国してくれることになりました
母親である次女が言うには
「日本の教育レベルの高さをフランスで実感し、この機会に4歳の息子を日本の文化と教育に触れさせたい その手段として自分と姉弟が通った思い出深い”さくらがおか幼稚園”に一時帰国中の短期間でもいいから息子を通わせたい」
と言っています

2024年7月17日水曜日

県体成年女子チーム編成と印西市立体育館大前傾壁


出勤する幸子さんを見送ってからNHK連続テレビ小説「虎に翼」を見て印西市立体育館大前傾壁へ向かいました

今日もいつものメンバーで楽しく登りました
そんな中で、今年の県民体育大会で印旛郡市として成年女子チームを構成するにあたり「幸子さんに加わってもらえないか?」とNさんから打診がありました
30年ほど前の県民体育大会クライミング競技会の第一回目に岩崎、砂田の奥さんと幸子さんの三人で印旛郡市成年女子チーム構成したことを知る人は誰もいないでしょう
「幸子さんは嫌がるかもしれないけど、伝えておきます」とNさんには返事をしました

2024年7月15日月曜日

新幹線を使って過ごした東北の三連休


事前の気象情報で悪天候が予測されている場合、山岳会などのプライベート山行であれば臨機応変に日程や山域を変更することが可能ですが、公募型山行の場合には日程がフィックスされています
特に商業公募型山行の場合は「登る山」をコミットしているので場所の変更もできない
2009年7月のトムラウシ遭難の背景にはこのような事情があったことは容易に想像できます

「海の日」三連休に都岳連バリエーションスクールの実技9を実施しました
最終実技となる実技9は仕上げとして黒部の宝石「黒部源流赤木沢」を遡行する計画でした
例年は8月の「山の日」の三連休に企画するのが通例ですが、今年の「山の日」は東京都が担当なのでスケジュールを空けておく配慮をして「海の日」に実施することになりました
ただし「海の日」は梅雨明け前の可能性が高く、その対策が企画立案時の大きなテーマでした

そして迎えた、今年の実技9
梅雨前線の動きを継続してチェックしていました
素人評価では赤木沢の核心部は大滝ということになろうかと思いますが、ガイド視点で評価すると薬師沢小屋から赤木沢出合までの黒部川の遡行が最大の核心部になります
これは大滝はロープを使用することによって安全をガイドがコントロールできる一方で、増水した黒部川本流は安全コントロールがほとんど不可能だからです

2024年7月11日木曜日

冷房が効いていた印西市立体育館大前傾壁

山口先輩のビレイで登る

海の日の三連休を控えて忙しい日々を送っています
都岳連バリエーションスクール実技9を赤木沢で実施する計画でしたが、どうも天気の塩梅が悪いようです
スーパーコンピュータで予測しても予測しきれない梅雨前線の位置ですからハズレとなる公算もありますが、標高2500mの稜線でのリスクと標高1500mでのリスクを同じ物差しで語ることはできません 結局、都岳連の行事として実施するには不適切な気象条件だと判断し場所を変更することで対応することにしました

昨日から都岳連バリエーションスクール実技9対応に追われ、今日も朝から都岳連事務局への保険変更通知や交通機関の下調べなどで忙しい一日になりました

そんな中でもクライミングだけは欠かせません
夕方になって幸子さんが帰宅しいつもの通り印西市立体育館大前傾壁へと向かいました
今日は冷房が効いていて最高でした
相変わらずイモっちゃんのロープが古すぎてロープの繰り出しに難儀しました

2024年7月8日月曜日

参加者に手伝ってもらってガイド養成ビデオ制作


今日、府中では39.2℃だったと報じられています
外に出ると頭がくらくらするような暑さです

今週末に予定している都岳連バリエーションスクール実技9赤木沢
北アルプスでも最深部ともいえる黒部川源流ゆえ、当然ながら天候にも神経質にならざるを得ません 講師の一人としてお願いしていた江崎さんの怪我の影響も考慮しながら素直ガイドとこの件について検討を行って午前中を終えました

午後からはバリエーションスクール参加者向けの特別講習を印西クラックで行いました
特別講習は16時に終えましたが、参加者に手伝ってもらってビデオ撮影をしました
動画の教育的効果は大きなものがあります

2024年7月7日日曜日

私の手料理


幸子さんは小学校に勤めているので昼食は学校給食です
夕方16時頃に幸子さんが帰宅して、連続テレビ小説「虎に翼」を液晶テレビで再生し終わると次の言葉は「お腹減った」です

そのような毎日を過ごしているので午後15時頃から夕食の準備を始めます
土日は山へ行っていることが多いのですが、山へ行っていない時には朝、昼、晩と三食を私が作ったり、幸子さんが作ったりしています
幸子さんが作る時にはとても凝ったものを作ります 例えば筑前煮など・・・

2024年7月6日土曜日

山岳事故の法的責任


都岳連ガイドの認定は都岳連理事会の審議事項になるので、その理事会対応でこの一週間も忙しい日々の連続だった

今日は「山岳事故の法的責任」についての講習会にオンラインで参加した
三重県山岳遭難防止対策連絡協議会によるもので、JMSCA→都岳連経由で案内があった
山岳事故の法的責任についての基本的知識は心得ているつもりだけれど、都岳連で私たちが行っている公募スクールの法的責任をはじめとして、頭の中を整理することのできた有意義な講習会だった
講師の弁護士「溝手康史」さんは適任だったと思う
単なる法的解釈に終始するのではなく登山家としての捉え方が随所にあって共感を覚えた

2024年6月30日日曜日

ぼくのヤマビル研究記「ヒルは木から落ちてこない」


小学生の夏休みに大分の田んぼで蛭にくわれたことがありますが、今回は山にいるヤマビルの話です

登山者としてのヤマビル生息地帯として昔から有名だったのは南アルプス南部でしょう
初めて私がヤマビルに遭遇したのもその山域にある篠井山で1978年でしたが、当時のヤマビル生息地域は限定的で私たちの普段の山登りに考慮することはありませんでした
1973年千葉国体では房総丘陵を舞台として登山競技が行われましたが、その時も特段ヤマビル対策というものはありませんでした
丹沢でもヤマビルは裏丹沢と呼ばれる一部地域に限られており西丹沢にはいないとされていました
そんな西丹沢で私たちがヤマビルにやられ始めたのは10年以上前のことでした

2024年6月29日土曜日

孫を抱っこしてから印西クライミング


長女の家に向かって11時過ぎに出発
信号は三つしかないので所要時間は7分です
生後四か月を過ぎてますます可愛らしさが高まっていく孫です
看護師資格のある長女が右薬指の傷の手当をしてくれました

今日は印西市役所主催のクライミング教室があります
集合時間が17時なので15時半まで孫と一緒に過ごし印西へ向かいました
スタッフを集めて諸注意の説明を行いましたが、ハーネスのバックル解除率は三割を超えていることが岩崎と確認できました

2024年6月27日木曜日

倉上さん杉野さんの話題となった大前傾壁

右薬指の傷が裂けないように人差指、中指の二本指で登りました

昨日、缶詰の缶を資源ごみとして出すために洗っている時に右手薬指の腹をざっくりっと切ってしまいました
かなりの出血があって止血におおわらわ
今朝、5時に素直ガイドは山へ出発しましたが、その段階でもズキズキ痛んで気を揉みました
夕方になって少し痛みも和らいだので、厳重なテーピングをして幸子さんと印西へ向かって出発しました
今日は印西市立体育館大前傾壁の練習会で岩崎たちと登る約束をしているからです

山口さんにビレイしてもらったり、ビレイしたりしながら楽しい時間を過ごしました
当然のことですが倉上慶大氏が話題になりました

2024年6月26日水曜日

倉上慶大 逝く


夕方、リビングでクライミングギアの整理をしていると素直ガイドが三階の部屋からリビングに降りてきて私に告げた
「倉上慶大が死んだ」

夜になって廣川健太郎さんから電話があって
「倉上慶大が死んだ」

クライミングの本質を追求し頂点に達した数少ないクライマーの一人だった倉上慶大

およそ日本で真摯にクライミングを継続しているクライマーで倉上慶大を知らない人はいないと思う